2016/11/21

やはり夢は、お金?──羅漢寺川

2016.11.03【東京都】──「目黒川を歩く_17」 羅漢寺川(らかんじがわ)

 今回は、目黒本町付近に始まる複数の流れが林試の森公園周辺で集められ、目黒不動前から目黒川に流れ込んだ、羅漢寺川を歩きます(全域暗きょ)。




 以前、下の車庫付近には羅漢寺川支流の六畝(ろくせ)川水源の池がありました。近くの清水バス停の名は、池(湧水)と畔にあった清水稲荷神社によるそう。流れ沿いに移設された神社脇から六畝川プロムナードが整備されます(一番長い支流)。
 羅漢寺川本流の谷頭(始点)は、現在の目黒本町図書館付近とされるが、付近を通された品川用水(玉川用水の分水)から分水を受けたのではないか?


 2011年東日本大震災の夜に徒歩で帰宅した際、上のバス車庫の交差点を曲がり幹線道(目黒通り)から離れた途端に、人の流れが少なくなった状況が思い出されます。
 そんな経験と共に、記憶に刻まれる場所となりましたが、喉元を過ぎた現在、備えが何も無いのはいかんと思うも、いつ取り組むのか……




 1905年(明治38年)開所の林業試験所がつくば市へ移転後の跡地に、89年開園。
 林業試験所からの大木が多く残されるため地表の日当りは悪く、そこを子どもたちが走り回るため地面は丸坊主です。
 上の谷は、目黒線 武蔵小山駅方面からの流れに浸食されたもの。この流れも品川用水から分水を受けたと知り、耕地が広がっていた時分の景色を想像してみます。
 水は少ない流れでも長い年月をかけて谷を浸食しますが、人の活動は正反対で、常に多くの水を必要としながらも、平坦地の存続(浸食の阻止)を求めます。その後の宅地整備が表面を整地するだけでは、災害に弱い住宅地になってしまいます。


 上は2011年の台風で倒れたユーカリの大木。大地に還る姿を観察するため保存されるもので、ルーツである林業試験所に通じるふさわしい取り組みと。
 でも、日なたでは腐敗に時間がかかり(湿潤な環境の方が微生物の活動が活発ではないか?)、われわれの世代は、新たに芽吹く森林更新まで見届けられないようにも。
 自然の現象は時間が掛かるもので、都市環境でも倒木の様子を親子で語ることから、この地なりの自然観(次世代への伝承)が生まれるかも知れません。




 交差点・バス停に「元競馬場」の名が残る目黒競馬場(1907年:明治40年〜1933年)は、施設拡張のため現在の東京競馬場(府中)に移転します。
 当初は黙認された非合法の馬券は賭博と見なされ禁止されますが、途端に不人気となったため、商品券で払い戻す「勝馬投票券」として復活し、変遷を経て現在の人気に至ります(近ごろ陰りが見られると耳にしたが…)。
 上は競馬場の外周部で、地図では道の曲線がよく分かりますが、利用者は真っすぐな道の方が近いと思う程度か?
 わずかな名残りでも、馬の駆け音や歓声が響いた様を思い浮かべてみると、楽しかったりします。


羅漢寺川緑道(目黒不動周辺)

 右は、目黒不動(瀧泉寺)の湧水地に続く崖下から湧き続ける湧水。
 周辺の環境も変わり水質が保証されない湧水は、そのまま下水に流されます。使い道はありそうと思うも、この程度の水量でも水質管理にはかなりの費用が掛かりそうなので、風情として味わうしか無いのかも知れません。
 ここは緑道整備対象外のような斜面際の狭い裏道で、下水を裏に隠した表側はスッキリし過ぎて、歩く方も何の関心も持たず素通りしそうです。
 ですが斜面を背負う怖さは、災害報道で繰り返し目にしますから、用心されますよう。

 右は目黒不動前にある、江戸最初の七福神めぐりとされる恵比寿神境内の手水舎(ちょうずや)。
 上からは数百m、目黒不動の湧水から100m程度の距離なのに、ここだけ施設が赤茶ける様子を撮りたかったもの。
 渋谷川、目黒川(中目黒の蛇崩川合流付近)でも見られた鉄さびを含む水は、富士山等の火山灰層(関東ローム層)からの湧水に思えます。
 一方、鉄さびのない上や目黒不動の湧水は、表層に近い黒ボク土(湿地帯に降った火山灰の上に茂った植物の腐植土層)から流れ出たのではないか?
 とすれば右は、ある程度深い地下水のように。

 右は、目黒不動参道にある「八ツ目や にしむら:鰻屋」(初代は大正時代巣鴨とげぬき地蔵近くに開業)は、江戸時代の行楽地で、目黒不動の富くじ人気で人が集まるこの地に出店します(落語「目黒のさんま」の舞台も付近)。
 高値で手が出ない近ごろは、ケチではないつもりでも、落語「始末の極意:うなぎを焼くにおいでご飯を食べる」気持ちが分かる気がします。
 右のようにうなぎ好きは多いので(においが引き寄せるのか?)、研究者には是非、完全養殖を実現してもらいたい! と。
 川の名称は近くの五百羅漢寺(未見)に由来。


追記──豊洲の空洞も埋めてもらいたい!

 博多駅前で発生した道路陥没事故現場が、1週間で復旧・通行再開されました。事故原因はお粗末ながら、あの大きな穴を埋めた上に、ライフラインも1週間で復旧させた心意気(墓穴は速く埋めたい?)に拍手を贈りたい(ライブ映像を撮った人にも驚いた)。
 また、事故で休業させられても「賠償金は別のことで街に役立てて」と受け取り辞退の店など、博多っ子の株を上げます(自分に出来ることで貢献する姿はカッコイイ!)。
 そんな博多っ子にお願いすれば、豊洲の「恥の空洞」も1週間で片がつく? それは無理にしても、取り組む姿勢の違いに都庁のたるんだ体質を再認識します。

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