2008.12.16-18
【東京都】
東京圏の紅葉の見頃は短いような印象を受けました。
平野が広く山が遠いので(関東平野は広い。でも、海がある!)、環境・気候のバリエーションが限られているせいかも知れません。
しかし、茶色(雑木林)をベースにして、黄色の線(イチョウ並木)と紅の点(カエデ等)がメリハリになることを特徴とすれば、とてもカラフルな秋模様であると思われました(って、これまで何を見ていたのか?)。
旧芝離宮恩賜(おんし)庭園(Map)
JR浜松町駅に隣接する庭園です。
浜松町駅前と言えば、日本の超高層ビルの先駆けである「霞ヶ関ビル」を高さで抜いた「貿易センタービル」があります。
古いなぁ、なんて言わないでよ。当時は「プロジェクトX」モノだったんですから。
正式名称は「世界貿易センタービルディング(WORLD TRADE CENTER BUILDING)」というそうで、超高層ビル建設への意気込みが感じられるのですが、アメリカのビルようなテロの標的にはならないと思われます。
と言うのもかなり以前に、健康診断でビル内の診療所を訪れたことがあり、「ふつうの雑居ビルと変わらない」印象にガッカリした覚えがあるからです……
何でそんな話しになったかといえば、芝離宮のパンフレットのイラストに、そのビルが描かれていたからです。
「ビルが借景?」とビックリしましたが、そこに込められた「当時の自慢したい気分」を理解できる年代とすれば、これも立派な文化遺産(?)であるかも知れない、と思ってしまいます。
現代では、背景にビルが入らないようにとアングルに腐心するのですが、「現代っ子の体格は格段に大きくなっているのよ」と周りを囲むビル群が、見下ろすように迫ってきます……
上写真は雪吊りの様子なのですが、枝が広がると樹高よりかなり高い心棒が必要であるように見えますが、これ美観目的のディスプレイなのかも知れません(そのように見せる場所も増えているそうです)。
竹芝桟橋(Map)
伊豆諸島(七島、小笠原)と行き来する船はここから出入港します。
付近一帯も再開発によりビルも建ち(劇団四季の劇場が近くにできたり)、すっかりおしゃれなデートスポット(?)になりました。
写真は湾内クルーズの食事などを楽しむ観光船ですが、旅客ターミナルには昔から変わらぬ「離島の匂い」がプンプン漂っています。
これは誘われているのではなく、欲しているのだと感じています。
すぐ裏(陸側)には、大学の卒論で文献(関東大震災関連の記録)調べに通った東京都公文書館が昔のままの姿で残っていました(単なる感慨です)。
こちらに戻ってみて東京圏の地震の多さを実感したのですが、近ごろ少ないような気がしませんか?
適度に起こらないと(?)、逆に不安に感じてしまうのですがどうなのでしょう……
浜離宮恩賜庭園(Map)
ここは以前、徳川将軍家の別邸「浜御殿」として埋め立てや、庭園等が整備されたそうです。
──わたしも以前、現住所近くの「小杉御殿(町)」に住んでおりました。東海道が整備される以前の江戸時代初期には、現住居の目の前を通る「中原街道」(やかましくてたまらん!)が主要街道で、将軍宿泊地の本陣があったため地名として残っているようです。
もとい、幕末の浜離宮には外国人接待所として延遼館(幕府海軍伝習屯所)が建設され、鹿鳴館ができるまで迎賓館として使用されたそうです(勝海舟はこの付近で活動したのか?)。
「篤姫」にもありましたが、最後の徳川将軍である慶喜が、大阪からしっぽを巻いて逃げ帰ったとき、ここから上陸したそうです。
下写真のバックは、汐留地区再開発の完成型(なれの果て)です。
ここまでくると、背景がどうのこうの考える気すら起こりませんから(水面にもビルが写り込む)、撮ってやりましたよビル群の宣伝写真を!
再開発を計画した人は、この完成型をイメージしていたのでしょうから、きっと満足なんでしょうねぇ?
わたしには、ちょっとこのセンスは理解できないのですが……
この光景を目にして、グレートウォールという天文学の言葉を想起しました。
グレートウォール(The Great Wall)とは、地球から約2億光年離れた位置にある、膨大な数の銀河で構成された「壁」を意味します。
シャボンの泡の膜面に当たる部分に銀河が高密度で存在し(グレートウォール)、泡の中の空洞には銀河がほとんど存在しない、というイメージ。
上写真では、泡の膜面部分にはコンクリートが高密度で存在しているが、泡の中(手前の庭園)にはコンクリートはほとんど存在しない、というキャプションになります。
万里の長城を英語で「The Great Wall of China」と言うそうなので、これはさしずめ「The Great Wall of Tokyo」でしょうか。
品川もそうですが、海辺に高い砦を作って海から進入してくる敵の攻撃から、東京を守ってくれそうなのは有り難いようにも思えるのですが、今どきは頭上から「ピコピコッ」とねらい打ちですからね……
これらの壁が、海風等の熱対流を阻害してしまい、それが東京近郊の局地的な異常気象を生み出しているとの研究もあります。
立派なのは分かりますが、でもこれ、バカだよ! くらい言わせてください。
しかしそれは、下から見上げてひがむ立場の声であると感じたのは、ビルからの眺めは「これ、うちの庭だよ」なんて言える最高の景色なのであろうと想像するしかない、御殿の塀の外から飛び跳ねて中をうかがう庶民の姿と変わらない、と思えたからです。
写り込むにしても、せめて右上写真くらいにしてもらいたいと思うのですが……(写真は悪いが絵になりますものね)
東京タワー(Map)
12月でちょうど開業50周年になるそうです。
だからキレイだったのでしょう、とても入念に手入れされている印象がありました(エレベーター内も大阪通天閣や、京都タワーに比べると格段にキレイでした)。
「東京に暮らす者は、タワーには行かない」と言われますが、確かにわたしも片手未満ではないでしょうか。
──新宿の高層ビル街の上には飲み屋があるので若いころにはよく行きましたが、結局は「池袋サンシャイン60:2回?(水族館あり)」「東京都庁:1回?」「横浜ランドマークタワー:1回?」程度ですから、動機は物珍しさだけということですね。新たな関心としては、もうブームは去ったらしい(?)六本木ヒルズも、1度くらいはと思っています。
特別展望台へのエレベーター案内係の若い人に「芝のゴルフ練習場は無くなったんだっけ?」と声を掛けると、「いやぁ、自分が来たときにはもう無かったので……」の返答。
その瞬間「オヤジトーク」を通り越して「浦島太郎的トーク」をしてしまったと、ガックリと肩を落として落ち込みました……
しかし懲りないオッサンは、もう一つの関心事である「東京タワーと言えば、蝋人形館」はまだあるのか? キョロキョロ歩き回りました(しかし蝋人形って何が楽しいのか?)。
ガキのころ、マリリンモンロー、ジョンウエインとか言われても「ふーん」としか思えなかった気がする蝋人形館は、いまも健在でした(未見。あることが確認できただけで十分です)。
でもまだ、東京タワーがシンボルでいられるのは、最上階の特別展望台(250m)が、東京を見渡せる最も高い場所であることを実感できるからだと思われます。
でも、高さ610mという新東京タワー(正式名称は「東京スカイツリー」で完成予定は2011年12月)ができたら、このタワーはどうなるのだろうか?
いまのうちに行っておいた方がいい、なんてことになるのだろうか?
映画『三丁目の夕日』ではないですが、わたしにとってもガキのころには「あこがれの存在」のように見上げていた、東京の象徴だったのかも知れません(名誉のために言わせてもらいますが、登場人物の一平よりも年代は下になります。当時生まれてませんもの!)。
必要なのか分かりませんが、いまの子どもたちって、共有できるあこがれ・シンボルのようなものを持っているのだろうか? ということを考えました(「昔はよかった」という考えではありません)。
「拝金」資本主義が疑問視される近ごろでは、どのように将来像(希望)を伝えていけばいいのでしょうか?
どこかの国のように、みんながシンボルを指さすような構図では、困るのですが……
おっかしいなぁ〜。
右写真は夕焼けではありませんが、そこに薬師丸ひろ子のセリフをイメージしてもらって、
「大丈夫、来年はきっといい年になるわよ!」
と締めるつもりだったんですが……
何か、東京の事を書いていても楽しくないので、ちょっとリフレッシュしてきます。
今年はこれで終了と思います。よい年をお迎えください。
自分も、明るい年にしなければ、と思っております。
P.S. 近ごろ江戸時代づいていますが(東京の主な歴史は江戸時代からなので仕方ないところ)、たまたま近所でやっていた、広重「名所江戸百景」の世界、という浮世絵の展覧会を見ました。
「センスの塊」というわけの分からぬ感想を持ったのですが、現代ポップアートの祖とでも言うのでしょうか、自由闊達な精神から生みだされる「絵心」は、なかなか超えられるものではないだろう、と思わされました。
版画で、雪の「白」(刷り色なし)の表現が伝わってくるセンスには、声を上げてしまいました。
以前映画で北斎を演じられた緒方拳さん、ありがとうございました(TVドラマ、最後まで見させていただきました)。
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