2009.2.8
【東京都】
上野動物園(Map)
2008年4月にリンリンが死んだので、上野動物園(都立)にジャイアントパンダはいなくなったと同時に、日本が所有権を持つ個体はいなくなったそうです。
現在ではワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)により、学術研究目的以外での取引が難しいので、すべて「中国籍」でのレンタルなんだそうです。
そのレンタル料もサッカー選手のように高額で(ベッカムはもっと高い?)、「1億円払うくらいならいらない」という石原都知事の発言も記憶に新しいところですが、今どきは「パンダ外交」ではなく「〜ビジネス」と言われるそうです。
都と動物園が出した結論が「レッサーパンダ」という落ち(?)で、ピーク時に「立ち止まらないでください!」の、パンダ舎の新しい住人になります(明るくない室内でウロウロ動き回るので写真撮れませんでした)。
どちらも「パンダ」の名ですが、分類上は他人なんだそうです。
日本では、パンダ=ジャイアントパンダですが、レッサーパンダの方が先に認知されたので本来は、パンダ=レッサーパンダなんだそうです。
「むかしここにパンダがいた」ことを、「むかしここにゾウがいた」(横浜野毛山動物園)と同じように、子どもたちに伝えていかねばならない立場ではあるのですが、実在しない対象を言葉で伝えることは大変難しいことと思われます。いくら説明しても「なんだぁ〜」と走り去られてしまったら、寂しく感じるんだろうなぁ、とも……
ペンギンはひなたぼっこ中なので、おとなしくしてくれました。
フラミンゴの首の後ろ側がカクカクして骨格の様に見えるのですが、元からそういうものなのでしょうか。
栄養が足りない? と思ったりもします。
写真では分かりづらいですが、上目づかいの表情にはかなり奇妙な印象を受けます。
こども動物園のヤギ山では、「みんなでヤギにエサをあげましょう!」と飼育員の方がカゴに入った草を持ってくると、ヤギたちは一斉に柵の抜け穴から、子どもたちからエサがたくさんもらえる広場へと飛び出してきます。
最初はおそるおそるだった子どもたちも、次第に慣れてきてスキンシップが出来るようになってきます。
右写真の子のお父さんは「コイツこんなに動物好きだとは、知らなかったぁ」と、家族で盛り上がったりしています。
まだ、恐怖心なき好奇心で行動しているようにも思うのですが、無垢(むく)なままでは生きていけないことを理解している大人たちも、子どもたちの姿から感じるものがあるのかも知れません。
──子どももヤギも動き回るから大変!
周囲の大人たちは、子どもたちやヤギに関心が向いてしまい気付かないと思われるのですが、周辺一帯はヤギのフンとおしっこで大変なことになっています。
それを、目立たぬように静かに清掃する人の存在に気付き、何という心配りかと思わされました(苦情が多かったんだと思いますが)。
野生ではないけれども、近ごろのキーワードは「ふれあい」だったりしますから、動物園側は「サービス提供者」であるならば、ディズニーランドのような清掃係の人がいて当たり前、と思われたりするのか? なんて感じました。今どきのサービスって大変ですよね……
下写真は不忍池(しのばずのいけ)で、学生時代に毎年5月末(?)に行われる「皐月(さつき)の盆栽展示会」で夜警のアルバイトをしていました。
10日間くらい、夕方から朝まで泊まり込んで見回りをしていました。
現在でも上野という土地柄は、どちらかといえば都市のひずみの吹きだまりような場所なので、学生時代にしてはとても刺激的な経験をさせてもらった、という印象があります。
最近はだいぶキレイになってきたと思いますが、夜を見ていないので……
●妙心寺展
下町散策の目的のひとつとして、国立博物館の「妙心寺展」に絡めて歩こうと考えていたのですが、今回ようやく立ち寄ることができました。
国宝の梵鐘(壊れるおそれがあるので叩けない=見るために存在する鐘)や、法堂(はっとう)の天井に描かれた「雲龍図」の複製が飾られてあり「やっぱ、これだぁ!」の思いがよみがえりました。
美術展の使命として、背景等のきちんとした説明が課せられていると思うのですが、おかげで今回本来の理由を理解できたことがあります。
これまで塔頭(たっちゅう)とは「禅寺の祖師や高僧の死後、その弟子が師を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)や敷地内に建てられた小院(48あるそうです)」の説明通りに解釈していたのですが、志はいいとしてもお金のことまで考えていませんでした。
この寺は花園法皇(退位した天皇が出家した際の称号)によって開かれた経緯から、その威光を利用したスポンサー探しによって、寺自体の修復費用や周囲の塔頭寺院の建設費を捻出してきたようです。
美術展には、地方有力者からの奉納物であると明記された展示物が並んでします。信心の有り様はそれぞれでいいと思いますが、これも文化貢献ですから、スポンサー側にすればこれで胸を張れるわけです。
なるほど文化事業というものは、資本主義社会と同じで、権威や威光に裏付けされ社会認識として納得される信用(御利益などの口コミ等)によって、動き始めたことがうかがい知れます。
──今回、経済面についての理解を東京で得られたという点は、距離感として納得できる気がします。それを京都のお寺の中で感じていたとしたらロマンがないと言うか、冷徹な研究者の視線になってしまうという気もしました。
入谷(Map)
入谷鬼子母神(きしもじん・きしぼじん)の通称で有名ですが(真源寺)、七夕に朝顔市が開かれるお寺と言った方が分かりやすいかも知れません。
よく耳にする「おそれ入谷の鬼子母神」という言葉は、地口(じぐち)と言われる駄洒落(だじゃれ)で、「おそれ入りました」+「入谷の鬼子母神」というだけの意味だそうです。
ちなみに「びっくり下谷の広徳寺」→「びっくりした」+「下谷の広徳寺」、「いやじゃ有馬の水天宮」→「いやじゃありませんか」+「有馬の水天宮」等々。
思い浮かんだのは「あたり前田のクラッカー」(「てなもんや三度笠」なんて分かるかなぁ? これも例文として載ってました)ですから、意味は無くともフレーズとして記憶されていると思われます。
脳内の記憶整理が可能なら、このフレーズを削除して新しい記憶スペースを確保したいのですが、茂木先生〜!
「その記憶にも意味があるんですよ」なんて言われた日には、どう考えたらいいんでしょうねぇ?
ここには下写真の富士塚があります。実際に見たのは初めてです。
富士塚は富士信仰から生まれたもので、富士山を模して造られた人工の山や塚で、頂上には富士山と同じく浅間神社(せんげんじんじゃ、あさまじんじゃ)が奉られています。
江戸にあって京都にないのが富士山ですから、江戸っ子の鼻息も荒かったと思われますが、江戸時代から地域や集落単位の集団で参拝する富士講(ふじこう)という信仰が盛んになったそうです。
現在ではほとんど行われていないそうですが、御師(おし:参拝・宿泊などの世話をする)の家(宿坊)がまだ存続している様子を、少し前にテレビで見ました。
これは、実際の富士山にお参りできない方のための施設のようで、毎年富士山の山開きの日にはここでお参りできるそうです。
もとは、富士塚の山頂から富士山が拝めるように作られたと思われますが、今どきでは富士山が見える富士塚がいくつあるのか……
ちなみに多摩川沿いの東横線脇にある浅間神社(富士塚の有無は不明)からは、富士山が拝めます。
上は、小野照崎神社の社を守る獅子(?)。
「三球・照代さん(漫才コンビ)、地下鉄はここから入れるんですよ〜!」って「そんなこと、とっくに知ってますよ」ですよね……
事前に地図を眺めていたら「地下鉄検車場」(銀座線用)という施設が目に入り、こんな光景がきっと見られるとの期待から立ち寄りました。
写真の背後側に車両基地があって、この地下への入り口の間を一般道が横切っています(撮影位置は踏切になります)。
「警戒中」の表示があるように、地下へと通じる一本の線路の両脇に2人ずつの計4人の警備員が張り付いています。
テロの警戒? 海外の要人のためとしたら、ヒラリーあたりか?
普段は気にしないのですが目の前に立っているもので、撮影してもいいか聞いてみると「その辺りからなら」と、位置を指定されました。
何かあったのかなぁ? ご存知の方がいらしたら教えてください。
締めとして、まま有名な池袋大勝軒(ラーメン屋)からのれん分けしたという上野の店に寄りました。
スープの分量間違えてない? というくらい、しょっぱかった!
好みが変わってきたのであれば、それは年と共に変化する体の要求なので問題ないのですが……
サッパリ味が好きになってきたのは確かです。
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