2012/07/09

疑似空間の体感スポット──御徒町〜秋葉原

2012.6.30【東京都】──「山手線を歩く! 25」


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神田佐久間町(Map)

 今回は始・終点を秋葉原駅としますが、電気街の前に神田川付近を少し歩きます。
 付近の神田佐久間町は江戸時代に材木問屋が並び(材木商佐久間平八が町名の由来)、「神田材木町」とされるほど取引が盛んでした。
 近隣には関連業種の、薪や炭を扱う業者も多く、幕末〜明治期にはこの町の「炭価格」が東京の相場を左右したとされます。
 「火事は江戸の華」とされる時代の材木商は、それはもうホクホクだったようです。

 たび重なる大火を見かねた明治天皇の命により、現在のJR秋葉原駅付近に「鎮火社:火の神、水の神、土の神」が祭られます。
 しかし庶民は、古くから火防(ひぶせ)の神である「秋葉大権現」と誤解し「秋葉(あきば)さん」と呼び、付近の空地を「秋葉の原(あきばのはら)」と呼ぶようになります。
 この読み方は地方で異なるようですが、本来は「あきは」のようです。


秋葉原電気街(Map)

 「ここの写真を撮れ!」と引き寄せられた印象の、建設中に火事を起こした正面ビルと、「無差別殺人事件現場」付近の交差点です。
 厄払いが必要なのは人間ばかりでなく、土地の霊に対しても必要かも知れません。
 近所の神田明神に祭られる「平将門:墓の周辺で天変地異が頻発し、それを静めるため神とされた」が、騒ぎ始めている?

 電気街の歴史は、付近の闇市で近所の電機学校(現東京電機大学は移転)の学生向けに、真空管やラジオ部品などを扱う店が総武線ガード下に並んだのが始まりとされます。
 電子部品〜製品(オーディオ、テレビ→パソコン、ゲーム機)〜ソフトウエアを扱うも現在は、「専門の細分化」を目指す町の特性が「趣味の多様性」を求める若者には心地いいようで、「AKIBAサブカルチャー」が根付いています。

 現在電気街口駅前広場には、「AKB48カフェ」「ガンダムカフェ」が並び、もちろん「AKB48劇場」があり、秋葉原クロスフィールドではビル内にプロレスのリングが設置され盛り上がっています。
 昭和通り側のヨドバシカメラ前にはネットゲームのスポットがあるらしく、端末を手にしてこうべを垂れる群れが一心にボタンを押しています。
 以前から「電波」はこの町のキーワードですし、スクランブル状態から目的を探し出すワクワク感も理解できるので、最近のこの地には「疑似空間の体感スポット」という魅力があるようです。

 以前もコスプレ姿のビラ配りはいましたが、今どきは「コスチュームを見せたい(?)」若い娘たちが、街頭にあふれています(撮って宣伝して! にならぬように……)。
 ツクモ電機の店舗が並ぶ付近では、メイド姿の若い娘が道の両側から声を掛けてきます。
 「ヒマなんでしょう〜」の声に「だから歩いてる」と仲間とつぶやく様子は、場所を置きかえると見慣れた光景に見えてきます。
 そこでは「オタク界のキザ男」的な野郎が、メイドさんと話し込んでいます(道端での会話はOKのようです)。
 「オタク天国」に見えた光景も、実は「非オタク」同様で結構厳い社会に見えました……


湯島聖堂(Map)


 この施設は1691年五代将軍綱吉が、現在の上野公園付近にあった「孔子廟」を、この地に移転したことを起源とします。
 元は、林羅山(はやしらざん:江戸初期、梵鐘の銘文に家康が怒り豊臣家に因縁を付けたとされる文章の解釈をした)の私学でしたが、後に幕府官立の昌平坂学問所とされます(付近にある昌平橋の「昌平」は孔子が生まれた村の名とは、知りませんでした)。

 施設は明治期に閉鎖され、後の東京大学・筑波大学・お茶の水女子大学の礎となります。
 現在隣接する東京医科歯科大学の敷地は、旧学問所の跡地だそうです。

 当然「学問の神様」ですから、合格祈願に訪れる方もいます。
 受験する年齢で、孔子への造詣(ぞうけい)を持つ世界的視野を持てたなら、きっと「天神様:菅原道真」よりも大きな祈りができたかも知れません。


日本サッカーミュージアム(Map)

 右は「ワールドカップ:優勝トロフィー」でないことは色で分かりますよね。
 ここは日本サッカー協会の建物(JFAハウス)に、2002年FIFAワールドカップ日韓大会を記念して開設されたサッカー展示施設です。

 まだワールドカップ最終予選中なので、おごるような発言は控えますが、以前は「ここでできれば!」と感じたことを、選手たちが「やらねば」でなく「やってやる!」の気持ちが伝わり、「イケーッ!」の声援と、失敗を恐れないチャレンジへの拍手が増えたと感じています。
 入場料を取られる(500円)ことに抵抗を感じ(時間もないので)、門前で失礼。


神田明神(Map)

 今回大きな失敗をしました。
 右は湯島聖堂に向かう道路の反対側から撮ったもので、訪問前から「門前はこの場所から撮ろう」とをイメージしていましたが、奧の人だかりに「何かやってるの?」と、とぼけるようでは時節を追う資格はありません。
 前回紹介した湯島天神の夏越大祓式は「6月の晦日(みそか:月末)に行われる」と書きながら、訪問日がその日に当たることを意識していませんでした。そればかりか、ちょうど写真を撮ったこの時刻に行われていたようです……

 人込みは好きな方ではありませんが、目の前で行われていると知っていれば「見たかった」と悔いています……


 それに加え!(まだあります)行事終了後に行われた結婚式も後追いで、上は主役たちが昇殿した後の親族方の姿です(朱傘を支える巫女さんが主役となりました)。
 お参りする時分には、式を挙げる方々が社殿内に並んでおり、式の参列者を避けて祈るのはどうすればいいの? ですし、神様の関心は彼らに向いているでしょうから、聖徳太子以上であっても「祈っても無駄かしら?」とも……


 そんな行事の名残と思われる紙切れが、境内の片隅で舞っています。
 この姿こそが人々からはらわれた「厄」の姿にも見え、しばし境内に滞留しながら消え去る先を探しているように見えてきます……


追記──パンダも育児疲れ?

 約3年ぶりに上野動物園で公開されたパンダはやはりニューズメーカーで、早々の妊娠〜出産で大喜びした翌日には「育児放棄?」のおそれから、人工保育器に移されました。
 ファンの勝手な期待をよそに、本能的行動に戻ってしまったようです。
 パンダは「子孫繁栄にあまり関心が無い?」なんてわけもなく、であればとっくに絶滅しています(現在の生息数1600頭ほど)。
 やはり、飼育される環境でのストレスかも知れません。
 
 まだキミたちのことは勉強不足のようでゴメンナサイ。きっと快適な環境を作るからね!
 としか、声を掛けられないという現状なのでしょうね……

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