2022.1.5【東京都】
年始の帰りに通った、門前仲町駅で目にした富岡八幡宮の土産袋から読み取った、「正月終了」の空気感を味わうために、「去りゆく正月の過ごし方」の提案を、受け止めて見ようかと。松の内の時分は、まだ心にゆとりを持てました……
日本一の黄金大神輿とされる御本社神輿(右)が、隅田川に架けられた永代橋を渡御する際に、人の重みで橋を崩落させたエピソードというのは「江戸っ子の好物」ですから、何十倍にも膨らませた痕跡が残っていそうです。以後、神輿渡御は禁止され、大神輿は関東大震災で焼失します。
近頃のような感染症の影響(延期・中止)を受けては、盛り上がりようもありませんが、氏子町会では「例大祭の通常開催」を目指し、虎視眈々と爪を研いでいるのではないかと。次回は令和5年(2023年)8月開催予定。
近頃のような感染症の影響(延期・中止)を受けては、盛り上がりようもありませんが、氏子町会では「例大祭の通常開催」を目指し、虎視眈々と爪を研いでいるのではないかと。次回は令和5年(2023年)8月開催予定。
成田山 東京別院 深川不動堂は、江戸時代はじめの市川團十郎(歌舞伎役者)の芝居に登場した成田山の不動明王を、実際に拝観したいという気運が、江戸っ子たちの間で高まり、富岡八幡宮 別当・永代寺に於いて出開帳が開かれたことに始まります。
明治11年(1878年)、現在の場所に成田不動の分霊を祀ってからは、「深川不動堂」として認められるようになり、本堂も完成しましたが、関東大震災(〜再建)、東京大空襲(〜再建)、それぞれで不幸を繰り返すことに……
「門前仲町」の名称が「永代寺の門前町」に由来することは、大分認知されるようで、実際に歩いてみて「あぁ、これが!」と、同時にサイズ感が把握できるようになると、親近感を覚えるようです。
護摩供養が行われる本堂の外壁には、梵字(ぼんじ)の不動明王真言が配されます。サンスクリット(梵: संस्कृत、saṃskṛta、英: Sanskrit)は、文学、哲学、学術、宗教などで広く用いられた、ヒンドゥー教の礼拝用言語でもあるように、大乗仏教でも多くの仏典がこの言語で記されます。
日常から意識して利用しないものの、インドの憲法で指定言語とされ、紙幣に記載されるサンスクリット文字には、かなり馴染んでいそうです。数字の書体表現を並べてみても、文字同様ピンとくるものはありませんし、実際の紙幣には汚れたものが多いため、判読不明とされることが多いとのこと。いまどきは、手にすることもはばかられそうとも……
門前仲町駅前の、永代通りに面した赤門から深川不動堂へと続く150mの参道には、和菓子店・土産物店 等が立ち並び、「人情深川ご利益通り(深川不動尊商店会)」(リンク先Youtube)と命名されます。特徴的なのは、毎月1・15・28日の縁日のにぎわいで、日常の延長のような自然な人出なのに、観光地としての差別感が出せるのは、長く続く好感度と、反対意見の少なさによるバランス感覚ではないか、と。
その参道が門前仲町の中心であるため、知名度に比べ町の規模や店舗数が控えめと感じるように、ほどほどの人出が、ちょうどいい落ち着きと感じるため、気軽にリピートしたくなるのかもしれないと。
右:小磯象牙店
同一条件を提供する困難さ
2021年に始まった大学入学共通テストは、2年連続してコロナ感染下で行われ、会場前での傷害事件や、(火山噴火による津波ではない)津波警報(1月16日)が出される中でも、めげることなく実施されました。発生確率のかなり低い事象が、偶発的にこれだけ重なる確率はかなり低いはずですが、当然の顔をして発生している様子から、確率自体に変化が起きているのか? とすら感じる、とても稀な事態かと。
われわれは「コロナ感染症パンデミック」「試験会場前の傷害事件」「津波警報」を、「稀な事象」に分類しますが、これら以外にも同程度の発生確率を持つ事象は、星の数ほどあると考えると、国内に限ったとしても、同一条件の試験日を2日間連続して提供する困難さに、ようやく気付いたのかもしれない、とも……
当事者の発表は「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化」、というものでしたが、故 高野悦子さんに育てられた思いを持つ者の間では、これだけ長期間に渡り活動を支え続けた、盤石の運営体制(年配者を中核に据えたカルチャーセンター化)を崩壊させたのは、「情熱不足」との見方で一致しそうです。高野さんがご健在なら決して閉館にはならなかったし、それが限界とされた場合の覚悟もできていました。
笑顔溢れる「映画語り」の姿は、現在もどこかで続けられるのでしょうから、その活動の一部に触れることができたことに感謝し、これからは、語られた映画との出会いを振り返り、じっくりと味わうことに……
ありがとうございました!
境内に建つ伊能忠敬 像も、大事をなすは個人の信念に違いない、と示していることと。