2010/07/05

江戸を救った、姫とラストサムライ──池上線

2010.6.19
【東京都】

蒲田(Map)

 ここは京浜急行の京急蒲田駅付近にある、第一京浜国道の通行を頻繁に遮断してしまう、羽田空港線の踏切です。
 慢性的な交通渋滞や、箱根駅伝でも問題視されて久しいですが、待望の高架工事が進められています(箱根駅伝は毎年1月2日・3日に行われ、2日の往路の通過時間は午前中なのでいつも寝ており、工事状況を知りませんでした)。
 この工事はかなり大がかりで、周囲に建造物が迫る場所で、路線の分岐を作り(品川、横浜方面双方から乗り入れる必要がある)、なおかつ、何本もの主要道と立体交差を実現させるため、工事区間が広範囲に及んでいます。
 羽田空港線への分岐付近では、複線を確保するため高架部分を3階建てにしたので、駅も3階建てにする必要があります(下写真左奧が京急蒲田駅)。
 計画を耳にしたとき「どういう構造になるだろう?」と、イメージできずにいました。
 無理やり作っている様子にはちょっとあきれながらも、手のかかる整備事業でも必要性は高いので、早期実現を望む人が多いことと思います。


 現在、京急蒲田駅も工事中なので仕方ないのですが、目的の電車が1階 or 2階のどのホームから出るのか、電車ごとに変わる状況には困ってしまいます。
 時刻案内とホームへの案内看板を見て歩いても、乗り遅れてしまうと、次の電車のためにフロアを移動する必要が生じます。
 早く、これだけ便利になった、という姿を見せてもらいたいものです。


 上写真は、JR・東急線蒲田駅の駅ビルである、蒲田東急プラザ屋上にある小さくて有名な観覧車です。
 ここは、ナムコのアミューズメント施設だそうで、いわれてみれば玄人肌の仕切りというのか、さびれた施設は無く、どこもそこそこ人が群れています。
 裏返すと、それゆえどこの施設も同じ印象を受けるのかも知れません(みなとみらいの幼児用施設と変わらない気がします)。
 まあ、関心が無ければどこも同じに見えてしまいますが……

 何でも、ショッピングセンターが屋上の遊戯施設に力を入れるのは、「シャワー効果」を期待するからだそうです。
 屋上で遊び、レストランで食事をした帰りに、買い物へと誘導する、というシナリオなんだそうです。
 でも、ショッピングセンター等のレストランは値段が高い印象がありますし、近ごろはどこにもファストフード店が入っているので(それも1階)、その効果はあまり望めないかも知れません。
 松屋浅草にあった、日本で初めての屋上遊園地が閉鎖されたのも、そんな理由なのだろうか?
 少子化と言われると、営業努力や工夫では解決できない気もします……


池上本門寺(Map)

 現在では、東急池上線の池上駅が最寄り駅とされますが、「池上線」の命名はお寺から取られたように思われます。
 駅前からの参道には門前町の面影も残るので、以前はかなりのにぎわいだったようです。

 幕末、江戸総攻撃へ攻め込む西郷隆盛率いる官軍(薩摩軍等)は、池上本門寺に陣を敷きます。
 対する徳川家側の勝海舟は、江戸城無血開城を条件にこの地で西郷と談判し、江戸での戦闘が回避されます。
 そこには、敵対関係となってしまった篤姫の、同郷人である西郷説得への祈りが込められていました。
 同郷人の願いゆえか、敵方本陣の要人である姫からの嘆願に、西郷が刀を納めたところにドラマがあります。
 その祈りこそが、現代日本の礎になっていると思えてなりません……

 池上本門寺は日蓮宗の寺になります。
 1282年病身の日蓮は、総本山である身延山(山梨県)を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう途中のこの地で亡くなります(遺灰を納めたとされるお堂もあります)。
 そのため日蓮宗では、重要視される寺院のひとつになります。

 またこの寺でよく見かけるのが、加藤清正(熊本藩初代藩主)の名前です。
 秀吉側近の武将で「賤ヶ岳(しずがたけ)の七本鎗」や朝鮮出兵における奮闘で名が知られます。
 清正は日蓮宗への信仰心がとてもあつく、旗印にお題目(南無妙法蓮華経)を用いたことなどから、法華教(日蓮宗の根本教義)の守護神と位置付けられたそうです。
 右写真奧は、清正側室の墓石。

 この寺は武勇に秀でた人物に手厚いのか、墓地内に力道山の墓があります。脇にある銅像の目にはガラス玉が埋め込まれてあり、ちょっと不気味な印象があります。
 また、門からにらみきかせる仁王像のモデルは、アントニオ猪木なんだそうです(意図が理解できない)。
 そこまでくると「闘うお寺」の印象も受けますが、主に勝負事や災難除けを祈る方が多いそうです。


 勤め始めてからは、梅雨の湿度と気温に「あぢぃ」と思うだけで、花をめでるような季節感やゆとりが消失したこと、実感しています。
 京都を歩いた時も勤めていましたが、季節の催しがめじろ押しの土地柄には、日常の暮らしにメリハリを与えてくれる工夫があったようです。
 そんな反省によるあじさいの写真です。


御嶽山(おんたけさん)(Map)


 池上線に御嶽山という駅があり、こんな町中に山があるわけもないと思いつつも、気になっていました。
 駅近くの御嶽神社(おんたけじんじゃ:長野・岐阜県境の木曽御嶽山にある御嶽神社の支社)にちなんだ御嶽山前駅から、改名されたそうです。

 古くからあった祠(ほこら)を、江戸時代の山岳信仰ブーム(富士山信仰等)に便乗して(?)、御嶽山で修行した一山行者(いっさんぎょうじゃ)が盛り立て(1831年)、御嶽山詣でのブームを巻き起こします(三度参拝すれば、木曽御嶽山へ行ったのと同じとされた)。
 富士山信仰同様の、講社(信仰結社・団体)等による参拝が現在でも行われているそうです。
 そんな人出から、富士山詣でにおける富士吉田のように、駅周辺は団体宿泊施設の宿場町として栄えたそうです。


 本殿は江戸時代の建立で、江戸の豪商からの寄付もあり、周囲には大田区の指定文化財とされる彫刻がはめ込まれています(上写真)。

 本殿の裏には、木曽御嶽山に見立てた土盛りがされ、石碑と共に右写真の金属製のかめのようなモノが、逆さに納められています。
 ちょっとその理由までは見当たらなかったのですが、思うに、雨水がたまって困る、福を逃さぬように閉じこめる、などの理由があったのではないでしょうか。
 駅前にあるため敷地は広くありませんが、神社名の彫られた石碑は堂々としており、現在でも胸を張ったたたずまいの印象があります。

 御嶽山駅は、半分新幹線の線路上に作られています。
 新幹線保守の立場からすれば、高速走行するので、できるだけ陸橋等を除いた構造物は作らせたくない方針と思われますが、都内の住宅密集地ということもあり、認めざるを得なかったのかも知れません。
 ゴミを投げるやからもいそうですが、いまどきは防犯カメラで監視されていそうです。
 線路の整備状況にもよりますが、新幹線より併走する横須賀線(湘南新宿ライナー)の騒音の方が、やかましい印象がありました。
 でも近隣住民には、音よりも振動が気になるのかも知れません。
 右写真の、新幹線の上を交差する池上線の赤い線が見えるでしょうか? 電車を待って撮ったんですが……


洗足池(Map)

 付近一帯の「せんぞく」の表記には、「洗足」や「千束」がありますが、平安時代の文献には「千束」とあるそうなので、由来は後者のようです。
 しかし、隣接しているにもかかわらず目黒区は「洗足」、大田区は「千束」と表記する方針を貫きますが、洗足池は大田区にあってもこの表記です。
 「洗足:汚れた足を洗うこと」と「千束:多くのたば」を、関連させたり、対立させる伝説や歴史があったのかも知れません。
 流入する川はありませんが、付近一帯には大小の湧水が多くあり、用水路等を通じて集まり池となったそうです。


 上述の勝海舟は、池上本門寺へ向かう途中にこの池のほとりで休息したそうで、それが縁で勝はこの地に居を構え、後年、夫妻の墓も池のほとりに建てられます(花が供えられてました)。
 また、西郷が勝の家を訪ねた縁から、勝夫妻の墓の隣に西郷の碑が並びます(当時の東京府南葛飾郡から移設)。
 かつてにらみ合った敵同士も、和解の後にはひざを交える仲となる「潔さ」に、彼らこそ「ラストサムライ」(特に西郷の心意気に対して)ではないか、との印象を持っています。

 NHK大河ドラマにおける勝海舟のイメージとして、2008年『篤姫』の北大路欣也には風格が感じられましたが、2010年『龍馬伝』の武田鉄矢は、どうもホラ吹きオヤジのように見えてしまいます……

0 件のコメント: