2011/12/12

今度のうちはどこ?

2011.12.4

 引越し日12月3日(土)の朝は、前夜からの冷たい雨が降っていましたが、引越しに雨天順延はありませんから決行あるのみです。

 引越し業者さんは仕事ですから文句も言わず、「重い物を運ぶコツ」ってやつでテキパキと荷物を運び出していきます(海洋測量をやっていた時分に重い機材をよく運びましたが、運搬より設置等の中途半端な姿勢で力を入れる際に、腰を痛めたことを思い出します。いずれにしても、もう無理)。
 荷物は少ないので担当者は2人で、役割としてはトラックに積み込む側が先輩、部屋から運び出す側が後輩担当のようです。
 運び出す側の若い兄ちゃんは、小柄ながらもフットワーク良く重い荷物を運んでくれますが、経験は浅いようで書類に関するやり取りになると「先ほど忘れましたが……」を連発してきます。
 元ヤンキーっぽくも見える彼ですが、運び出しの際「寒いですねぇ」「荷造り上手で助かります」等々、気をつかうような声を盛んに掛けてきます。
 きっとマニュアルにあるのでしょう、彼にとっては「大変な努力」かも知れませんし、その懸命さから好感を受けますが、先輩の態度には「もっと、ちゃんとやれよ!」の心情が見て取れます。
 引越業者は数社しか知りませんが、いまどき業界では「気づかい」による好感度アップを目指しているように感じられます。

 転居先に運び込まれた荷をほどくと、防水用ビニールのしわにたまった水で室内が水浸しになってしまうも、ぞうきん類が出てこない! と、放っておくしかない状況からのスタートです……

 さて、今回わたしはどこに引越したのでしょうか?
 下の写真からお考え下さい「アタック チャ〜ンス!」(?)


●新幹線で引越しました(?)

 これまでの武蔵小杉・新丸子付近にも新幹線は通っていましたが、こんな隣接地に住むとは思っていませんでした。
 新幹線の近くには住みたくない(騒音・振動や電波障害等)と思っていたものの、新丸子で中原街道の騒音に慣らされたおかげで、さほど気になりません(都会慣れなのか、鈍感になったのか?)。
 武蔵小杉同様、最寄り駅に新幹線の駅はありませんが、交通の便はいい場所でJR2路線、地下鉄2路線の駅があります。

 上写真は走行中なのでクリアではありませんが、フロントボディに周囲の景色が写り込んでいます。おそらく、空気抵抗を極力抑える取り組みから「鏡面」のような車体が生まれたのでしょう。「ピッカピカにしなければ」と、取り組んだ姿勢に敬意を抱きます。


●右側は確かに三丁目です……

 通りの先に東京タワーが見える場所柄から、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の鈴木オートからもこんな光景が見えたのか? とも。
 そんな場所へのあこがれは無いにしても、日常的にタワーを見上げる地域に暮らしてみると、「地域のシンボル」として住民たちには欠かせない存在であることが理解できます。
 時代は違いますが、鈴木オートのオヤジがタワーを見上げて感じたであろう、自らを鼓舞する心の動きのメカニズムまで、現代においても素直に受け継げるような印象があります。

 普段眺めている六本木方面からは分かりませんが、この方向だとタワー塔頂部が少し傾いている様子が見て取れます。
 3月11日の地震で傾いたそうで、その姿がよく分かる方向からは別の機会にレポートします。


●製品はひとつも使ってませんが……

 写真では分かりませんが、完成当時はくびれの部分にある空洞は何? と思った大手電機メーカーの社屋です。
 ビル建設にあたり、隣接する都営アパートの洗濯物が飛ばされないための配慮として、「風穴」(ウインドアベニュー)とされる大きな開口部が設置されました。
 確かに付近は海からの風が吹く地域なので、それを通すための設計のようです(新橋のグレートウォールは海風を遮断してしまった)。

 日本に「パーソナルコンピュータ」を普及させ、PC-98シリーズには以前仕事でもお世話になりました。
 しかし戦略的にはビジネス指向なので、出版関連業種の弱小ユーザは視野に無く何もしてくれないため、その後はApple、Adobe等、米企業システムの日本向けカスタマイズに希望を託すことになります(日本語版Mac環境の整備には、かなり時間を要しました)。
 そんな経緯からか、この会社には好感が持てぬまま現在に至ります(そういえば、横須賀線武蔵小杉駅はこの会社の工場に隣接しています)。


 ●紙幣の顔となる資質


 近ごろ「一人勝ち」的人気の私学ですが、紙幣の顔となった創始者の銅像を「1万円札が多く手に入りますように」ではなく、一度拝見したいと思っていました。
 昭和の時代に流通した聖徳太子の1万円紙幣には、太子の存在にも似た「神格化」されたイメージがありましたが、高度成長〜バブル崩壊を経験してわれを取り戻した庶民が日常使用する紙幣に、「学問のススメ」を説いた人物像を採用したことはとてもいい判断と受け止められます。


 上写真は「ペンは剣よりも強し」の大学紋章(原典は19世紀イギリスの戯曲『リシュリュー』とされる)。
 キャンパスは広くありませんが、歴史ある建造物には「思想」が込められているようなので、今度ゆっくりと見学させてもらいます。
 日曜のため学生も少なく、自粛だ何だといい気になっている「ミスキャンパス」候補となりそうな方は目にできませんでした……


 もうお分かりと思いますが、今回の引っ越し先は(家政婦の?)三田・田町になります。
 しかしすみかとなる賃貸住宅は、映画で見た香港や台湾のアパートを想起するような古い建物なので、「まだそんなものが?」と思う設備があったりするようです。
 次回はそんな「施設探検」をしてみます。


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●おまけ
2011.12.10


 12月10日(土)に皆既月食がありました。上写真は皆既状態の様子です。
 天文少年のころに見た皆既月食の「ボーッと赤い」姿が記憶に焼き付いているので、今回の姿にはとても明るい印象を受けました(それは、都心の明かりが月を明るくしたわけではありません……)。
 皆既状態の色がどんな色になるのかは、大気の状態に左右されるため予測できないそうです。

 周囲の星が流れているのは、200mmのレンズでも15秒シャッターを開くと、その間に地球の自転が記録されることによります(拡大しています)。
 都心でも星が写ることに驚きましたが、それは目をこらして夜空を見つめる機会が無いだけ、と気付かされます。
 ガキ時分に思っていた「こんな写真を撮りたかった」ことを実現したわけですが、この星が流れた写真を見た時、昔あこがれていた「赤道儀式望遠鏡」と自動追尾装置を手に入れないと望んでいた絵は撮れないことを、何十年かの後に思い知ることとなりました。
 さてこの先、少年時代の夢を追い続けることができるのだろうか?

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