2011/12/19

いまも昭和な空気漂う──田町駅前アパート

2011.12.11
【東京都】


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 引越し先は一般的に「新居」とされますが、今回その表現は当てはまらない様子をお伝えします。
 ここは1966年(昭和41年)に建てられ、当時の日本住宅公団(現UR都市機構)が管理し、現在も入居募集が継続される現役の集合住宅になります。
 以前暮らしていた高島平団地(板橋区)の入居開始は1972年(昭和47年)ですから、それよりも古い建物であることは内覧の際に理解できました。
 ここは現代の「同潤会アパート」(大正時代末期〜昭和時代初期の関東大震災復興機に建てられた鉄筋建築物で、東京・横浜に建設された)的な存在では? の印象を受けます。

 旧公団の賃貸に引越そうと考え候補をいくつか問い合わせていたところ、ここに空きがあると聞き、粘ってもいつになるか分からないし、家賃が手頃な物件はどこも歴史ある建物ですから、立地は一番便利そうなのですぐ決めちゃいました(こだわりは何もありませんから)。
 新築の部屋は確かに便利ですが、古くても楽しみ方はあるというスタンスで暮らそうと思っています。

 また新幹線からのスタートでスミマセン(まだ珍しいんです……)。
 ここは山手線に面したギリギリ「山手線の内側」に位置します。これまでそんな場所には暮らしたくないと思っていたはずが、現在感じる不便は床屋、クリーニング屋等の店探しだけで、住環境に対して不満は感じていません(どこでも順応できるというか、鈍感になっただけでしょう……)。

 右写真は屋上からの絵なので、線路や駅との距離感が分かると思います。
 そこで寝起きするも、駅の発車メロディは聞こえますが、新幹線の存在は気にならない理由が写真から見て取れます(線路は9本ある)。
 新幹線車内の会話にも「新横浜まではゆっくり走ってる」などと耳に入るように、都内では始・終点の都合もあり、山手線に追い抜かれるような徐行運転をする場合もあります。
 加えて田町付近にこんなに大きなカーブがあったとは知らず、就寝時(主に朝)もまるで新幹線の音を意識しない理由をこの光景から知りました。

 線路とは反対側には国道15号線(旧東海道)が通っているので、相当やかましいだろうと覚悟していましたが、ちょうど中間付近の部屋なので道路からの騒音も特段意識することもなく、ホッとしています(これが好感度アップにつながったようです)。
 ここは正月の箱根駅伝コースとなるので、一瞬「これは楽しみ!」と思うも、正月は実家に帰るのですれ違いとなりそうです。

 近ごろの共同住宅では、屋上を開放するところは少ないようですが、ここには幼児向けの施設(かくれんぼができる程度)や、フジ棚風の憩いの場(屋根はない)があったりします。
 前回の月食写真が撮れたように、夜間も利用可能のようです(高島平団地では、花火大会の時だけ屋上を開放していました)。
 入居当初から、屋上を目指すエレベーターが多い様子に「何があるんだろう?」と楽しみにしていましたが……(↓)


 この建物は長方形で「日の字」状の長辺沿いに部屋が並ぶので、ほとんどは東もしくは西向き窓になります(中央部は吹き抜け)。両側はビルに挟まれるため屋上でも昼前後しか日は当たりませんが、それでも風通しのいい場所で干したいと、洗濯物を抱えて屋上に上がるようです。
 近ごろの映画やTVの屋上シーンは、オフィス、学校、病院等に限られていて、生活感を感じさせる絵は登場しません。
 そんな珍しさからか、この下町の長屋的な生活感丸出しの光景を目にすると「昭和が生きている!」と思わず声を上げてしまいます。
 洗濯物の向こうから(若かりし)倍賞千恵子さんの「あら、今日は早かったのね」との声が聞こえてきそうですし、近ごろでは薬師丸ひろ子の「どうしたらこんなに汚せるの、一平!」ってところか……
 共用の物干しを利用するには利用者にモラルが求められますが、これだけ多くの洗濯物が風になびく様子を見れば、「物干しコミュニティ」は問題なく運用されているようです。
 都会の庶民生活の様子を身近で目にできたことから、都心の下町に対する関心の扉が開かれた思いがしました。


 上写真は階段の踊り場のスペースですが、共用の場所にテーブル、イス、本棚等々が並べられ、まるでサロンのようなフロアがあります。
 この手の共用スペース占有に過敏に反応するのは消防署ですが、ご覧のように避難経路は十分に確保されているようなので、おとがめはないようです。
 これからの季節は寒いと思いますが、暑い時期には窓を開ければ風通しもよさそうなので、エアコンを使わない避暑地になるのかも知れません。
 そんな様子からも「半老人ホーム的アパート」と思っていましたが(高島平など古い団地には老人だけが残り続けます)、交通の便がいいためか、若い人たち(乳児を抱えた若い夫婦も見かける)が多いことに驚きました。

 年を取ったのは建物だけでなく、建設当時には「昭和モダン」とされたのか、現代では採用されないような渋い赤と緑の色づかいが、玄関の扉、エレベーターホール天井、共用区域の配管部分等に現在も「アクセントカラー」として尊重されています。
 汚れが目立たない色選択かも知れませんし嫌いではないのですが、2色使いでも「赤は単なるさび止めだった?」というオチがありそうな気もします。
 高島平では4色使いだった気がするも、ペンキを上塗りして隠そうとする姿勢は昭和的というか公団的なのかもしれません。

 右写真は各階にある駐輪場で、建設当時の自転車は「財産」ですから屋根付きの駐輪場が求められるも、駅前の限られた土地なのでやむなく屋内に立体駐輪場を設けたように見えます。
 しかし、以前暮らした高島平団地には1階に屋根付きの駐輪場があるも、わざわざエレベーターで運ぶ人を見かけましたから、物を大事にするというより盗難防止が主目的なのかも知れません……


 ここは管理人室のフロアにある共同シャワー室です。いまどき? と思いますが、このアパートには浴室の無い部屋もあるため現役で利用されているようです(冬場は寒そう……)。
 付近に銭湯は無いでしょうし「いまどき風呂のない部屋?」と思うも、工場で働いていれば職場の風呂に入ったり、スポーツクラブでも入れますし、風呂嫌い? もいるかも知れません(住人には海外出身者も見かけます)。
 現在の「UR都市機構」では社宅的な利用も促進しているので、短期労働者、出張の宿泊施設用等として契約しているのかも知れません。
 その様子をのぞき見たい気もしますが、同じ建物に住む立場なのでこれ以上のせんさくはやめておきます。


 建物1階の国道15号線に面する部分は屋根付きの通路になっていて、地下鉄(都営浅草線、三田線)の出入口があります。
 それは「傘を持たずに地下鉄の乗降ができる」プラス、地下道を歩けばJR駅まで傘無しで行けるということです(実際JR駅に向かう際は、30m程度ダッシュすると思います)。
 これはきっと当時の住宅公団が、駅隣接住宅のモデルケースとして便利さをアピールするため、東京都と交渉した産物のような気がします。

 1階には「りそな銀行」と「ファミリーマート」があり、ファミリーマート前にはこの建物らしく? テーブルとベンチが並べられ、(基本的に)店で買った物が飲食可能な「憩いの場」とされています。
 利用者には便利な設備で、昼間は仕事の準備や一服(灰皿もある)していますし、夜にはミニ宴会する連中もいる様子から(店内にトイレもあるので万全)、この町の飾りっけの無さが見えてくるような気がします。

 都内でも大使館等の多い港区には「一等地」的なイメージがありますが、三田・田町周辺に限れば「山手線」のイメージよりも、「京浜東北線」の響きから想起される「労働者の町」「下町」に近い場所柄との印象を受けます。
 そんな下町感が、映画『三丁目の夕日』の舞台とされた地域の雰囲気に似ている気がするので、「映画のにおい」を身近に感じているのかも知れません……

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