2012/05/07

暮らしを守るための選択──大塚〜巣鴨

2012.4.28【東京都】──「山手線を歩く! ⑯」

 この日は前回「サンシャイン60」展望台から見かけた、護国寺との間に広がるペタンとした低層の住宅街に足を踏み入れたく、地下鉄有楽町線「東池袋駅」から都電荒川線沿いを西巣鴨「庚申塚」停留所+JR巣鴨駅まで歩きました。


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 東池袋駅周辺の再開発には「居場所が分からない」ほどの変ぼうぶりに驚きました。
 豊島区立中央図書館、豊島区立舞台芸術交流センター(あうるすぽっと)が入居するライズシティ池袋+高層マンションが建った姿には、新しい池袋を目にした思いです(池袋は決して新しい町ではないだけに……)。

 旧巣鴨拘置所跡(現サンシャイン関連施設)や造幣局東京支局(本局は「桜の通り抜け」で有名な大阪)の存在から、江戸幕府の御用地〜明治時代国有地の流れに見えます。
 1638年徳川幕府は、品川と牛込に御薬園(おやくえん:薬用植物園)を開設します。牛込の施設は現在の高田馬場・目白・大塚に広がるも、護国寺建立のために移設されます。
 護国寺の記録には「幕府所属の高田薬園の地を賜い」とあるので、かなり広い土地を譲り受けたようです。
 おそらく空襲で焼け野原となり、支援はできずも困窮する人々を拒まなかったため、計画性の無い市街地が現在まで黙認されてきたのではあるまいか。この町並みの背景には、寺院等の影響が残っているように感じられます。



 町の様子は、サンシャイン60展望台から見たイメージ通りで、「この先車両通行不可」の看板をあちこちで見かける、迷路のような路地に家屋が密集しています。
 散歩する側にはワンダーランド(角を曲がると何が現れるのか?)なので、幾通りにも迷路を歩きたくなる(さっき右曲がったから今度は左、など)楽しめる町並みではありますが、防災の観点からは危なっかしい家並みです。

 雑司ヶ谷周辺(隣町)では、都電沿線両側に新しく道路を作ったおかげで気にならなくなりましたが、この付近では都電沿線を歩こうにも線路沿いの道はありません。
 狭い路地を右へ左へ線路から離れないように歩くと、線路の長さの3倍くらい歩いた印象があります。
 この付近にも線路際に防災用道路を作るらしく、再開発用地といえ、住宅密集地の明らかな私有地でも「失敬!」と公然の通路とする場所まで、フェンスで閉め出されては途端に不便になります。


  ですが雑司ヶ谷で感じたように、見晴らしをよくすることで緊急車両(消防車など)が通れる道幅になるわけですから、行政側としては「やらねばならない」事業であるのは確かです。




 今回都電荒川線沿いを(乗らずに)歩き、車窓からは分からなかったと感じたのは、これまで山手線駅のイメージで区別していた地域が、連続性を持ってつながっている地域であると実感できたことです。
 新大久保一帯に都営施設が作られた等の例外はあれど、これまでの早稲田〜雑司ヶ谷〜東池袋〜大塚と続いたその先には(荒川線とは離れるが)、山手線内側の茗荷谷〜谷中・千駄木・根津へとつながるイメージが浮かびます(後日フォローしたいと思います)。

 荒川線は学習院下で高台を上り、大塚で上・右写真の坂を下ります。この先の王子付近でまた坂を下りますから、荒川線の中では、この付近が最も高い地点となります。
 あのコンパクトな車両の登坂能力以上に、踏切で見かける線路の溝の浅さや簡易さに「これでよく脱線しないものだ!」と驚きます(傾斜地を走らない江ノ電でももっとシッカリしていたような気がします)。
 線路を間近で見ると左右別々にゆがんでおり、そりゃあ揺れるのは当たり前ですが、それを風情としたら擁護しすぎだろうか……

 山の手にある「住宅密集地」と低地にある「下町」の違いについては、後日フォローできれば(忘れないように)と思います。



 都電側の「巣鴨とげぬき地蔵」最寄り停留所は「庚申塚:こうしんづか」で、その駅名由来の庚申塚は「巣鴨猿田彦大神:すがもさるたひこおおかみ」とされます。
 庚申信仰とは「人の身体にいる三尸(さんし)という虫が、六十日に一度の庚申の夜に人の罪状を天帝に告げに行くことを、人々は寝ずに過ごして寿命が縮められるのを防ぐ」ものとされます。
 猿田彦は伝説の存在で、天孫降臨の際に道案内をしたことから、道の神、旅人の神とされるようになります。
 江戸時代に入ると「申:さる」の音から庚申信仰と結び付けられ、参道の両脇には三猿:見ざる、言わざる、聞かざる」として広まった「猿」が並びます。


 猿田彦の話しはどうでもいいのですが庚申信仰は、集落の人々が庚申の夜にお堂に集まり、世間話をしながら夜を明かし、お互いのつながりを確認し合うとても大切な行事だったように思います。



 とげぬき地蔵(高岩寺:こうがんじ 曹洞宗の禅寺)では、境内でたかれたお香(上写真)を自分の治癒を願う部位にすり込み、行列のできる「洗い観音」の治したい部分を洗うとご利益があるとされます。
 以前は「たわし」でこすったため、のっぺらぼうにされるほどの願いが掛けられました(現在はタオル)。だから「身代わり(とげぬき)地蔵」とされるんですよね……

 信仰と現実のバランスをほどよく保ってくれるのが、巣鴨地蔵通り商店街の活気なのでしょう。
 赤いパンツや甘味処には関心はありませんが、時折「コオナゴ:小女子」の升売りを見かけ「そんなに食べられない」と手は出ないも、近所のスーパーで小さいパックを買っちゃいました。
 コオナゴは関東の呼び名ですが、北海道は「オオナゴ:大女子」など、各地で呼び名が変わる「イカナゴ」の稚魚で、つまみには最適。
 関西では兵庫県の淡路島周辺や徳島県が名産とされ、さすがにおいしいのですが、あちらには「釘煮」という佃煮の原型のような、コテコテに甘い品があります。「これかぁ〜」とはしを出し、あまりの甘さにブッ飛んだ覚えがあります……


染井霊園(Map) ←是非、航空写真で見て下さい。

 ここは都営霊園ですが、その中で最も規模が小さい理由は、元は江戸時代の水戸徳川家墓所とされた地に、明治時代「神葬墓地」が開設されたことによります。
 明治時代の「神仏分離政策:神道と仏教を区別させる」により、それまで多くの墓が寺にあったものを、神社やキリスト教会に移設するには墓地が不足するため、1872年明治政府により神葬墓地とされます。
 その後、1874年東京府管理下で「宗教によらない公共墓地」とされて以降、都営霊園が各地に開設されることになります。




 上写真は霊園に接する敷地の境界付近に植えられた、巨木並木の新緑です。初めて目にしたわたしも「何がある敷地?」と関心が高まってしまいます。
 地図で見ると「三菱重工の住宅」とあるも、建物表示のない広い空き地が気にかかります。
 そこには、三菱財閥創業者「岩崎弥太郎」の墓があるとのこと。当初は霊園に葬られるも、後に隣接の三菱の敷地に移されたようです。
 なるほどガードは堅いのですが、今どきは「Google Earthなら敷地内の様子が見えますよ」のアシストを目にし、「なるほど!」と納得した次第です。

 2010年大河ドラマ『龍馬伝』での福山龍馬の「弥太郎〜!」以来、偉人を身近に感じられるようになったことを、関係者は好感すべきでは? と思ったりします。

 これは調べても見当たらないので勘違いかも知れませんが、映画『それから』(監督:森田芳光 出演:松田優作、藤谷美和子 1985年)のロケ地ではなかったかと引っ掛かっています……

 桜のソメイヨシノ(染井吉野)はこの地で育成されたことにちなみます。


追記──2012.5.4【神奈川県】 片瀬海岸(江の島)

 ゴールデンウィーク後半の関東地方は、まさしく天候に「水を差された」格好となり、商売をされる方には「ことしこそ!」の夢をくじかれた思いが強いことでしょう。
 3日は全休(外歩きは無理)ですし、4日は(右以下の写真)江の島方面を歩きましたが、当初は青空も見えていたのに雨雲に追い着かれ、傘を持ってても歩けない土砂降りに遭い、小動神社(こゆるぎじんじゃ)の神輿蔵で40分ほど雨宿りです。
 先を急がない散歩ですから「この場所での雨宿りも思い出になるか?」と開き直り、ただ「ボケーッ」と雨脚や空の様子を眺めながら、瞑想にふけっていました……

 腰越(こしごえ)にある「シラス料理」の人気店に並ぶ行列も、この大雨で散ってしまうだろうと思うと、連休後半は「空を恨めしく見上げる」人が多かったように思います(右は雨上がりの丹沢山系を望む)。


 そんなことはお構いなしに海で戯れるのが、子どもたちと、写真上側の海に浮かぶオットセイ(サーファー)たちです。
 「好きこそ…」とはいいますが、海が「発散の場所」であることを再認識されられた気がしますし、わたしも同類なのだと感じました……

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