2014/11/24

地元の鎮守様に参る「七五三」──田無

2014.11.08【東京都】──「石神井川を歩く_3」

 以前暮らした花小金井の隣駅なのに、全然記憶がないことに気付き(当時は現場出張を志願し不在が多かったため)、一回りしようと立ち寄りました。
 田無は青梅街道と所沢街道が交差する場所柄、江戸時代に宿場町として栄えます。
 地名由来の有力説「田んぼが無かった」を裏付けるように、青梅街道周辺には以前の水路を暗きょ化した「ふれあいの小道」「やすらぎの小道」を見かけます。
 これは玉川上水から引かれた田無用水跡で、水不足で苦労した宿場町の手による(街道に並行して両脇に引かれた)小規模な水路でした。
 水道料を払ってでも水が欲しい地域ですから、田んぼは無理だったでしょうね……
 ──青梅街道は、徳川家康が江戸の屋敷建設に必要な漆喰の材料(石灰)を運ぶために開設したもの。



※Google Mapの仕様変更にともない、地図案内を変更しました。(再)

 中心位置・縮尺の変更が不可とされ、拡大表示の地図貼付けができなくなったので、ページ毎の地図を作成することにし、訪問場所の拡大地図リンクをやめました。
 もしやと開いた以前のページは見るも無惨な状態ですが、今後も変更のおそれがあるのでフォローする気になれません……


田無神社


 青梅街道沿いに宿場町の面影は少ないも、田無神社前のなだらかな坂がゆるやかに曲がる具合に、旧街道らしさが漂います。
 昔の道は、なだらかな坂でも直登しなかった。

 上も右も、何だか虫がたかっているような絵になってしまった(鈴なりとは、虫でなく果実を指す意)。
 上は賽銭箱付近にあった「銀杏」入りとされるお守り(ニオイは大丈夫?)。右は鈴緒(すずお)。

 うっすら化粧してもらい、着飾った姿で千歳飴を手にし、七五三の祈祷を待っています。
 地元の鎮守様(創立は鎌倉時代とされる)で七五三を祝うことは、その地で育った子どもたちの地域への愛着を高めそうですし(大人になると忘れちゃいますが)、今後の成長を見守って欲しいとの祈りが、この国の各地域を支えてきた原動力と言えそうです。

 子どもが主役ながら親の行事なので、幼少期の記憶に自信は無いが、千歳飴をなめた記憶があればいいようです。
 親となり子どもがこの年齢まで無事育ったことに感謝し、通過点に改めて気を引き締めようと祈る気持ちは、千歳飴の記憶から自然と生まれてくるのかも知れません……(暗い絵ですが、ポーズがいいので切り抜きました)


總持寺(真言宗)

 この寺の歴史も鎌倉時代に至るらしく、集落の歴史は付近を通っていた旧鎌倉街道沿いに始まったようです。
 ですが、源 義家や頼朝の奥州出兵の武勇伝を目にしないので、メインの街道筋ではなかったのかも知れません。
 江戸時代に集落機能が青梅街道沿いに集約される際、この寺も移転してきます。以前の所在地が地名のルーツとされますが、山号の「田無山」とどっちが先なのか?

 明治期の神仏分離の際、近くの同じ石神井村三宝寺の末寺と合併します。三宝寺については次回報告しますが、この地域には真言宗(空海の教え)が広まったようです。


東京大学大学院 農学生命科学研究科付属農場


 ショック! 「田無道草」最大の目玉である、上の生態調和農学機構(旧:東大農場)東大演習林の公開は月〜金に限られ、ロックアウト!
 知っていても平日には来れませんが、ちょっとオロオロしてしまい、右や下の写真で埋まるか? と凹みました。
 リンク先の光景が、東京ドーム5個分広がるそうです。

 右は江戸時代、6本の別れ道に立った六角地蔵尊
 六角柱の各面に地蔵尊と道標が刻まれるも、移設の際に向きが変わり道の方角が狂うって、何とかできません?
 仏教の六道輪廻(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄をさまよう者)の救済を祈る地蔵なのに、行き先を間違えてしまいそうです……


 付近は現在も「近郊農業」が盛んな場所柄で、駅から15分程度歩けば上の様な光景を見かけます。
 これは「田は無いが、畑ではこんなに育つ」地元自慢で、周辺は「地産地消」を実践する首都圏のベッッドタウンが「売り」のようです。
 暮らしやすそうですが、やっぱり寒いだろうなぁ……(田無は花小金井の隣駅)


追悼──高倉健さんが亡くなられました……

 存在が大きすぎて何を書くべきか分からない状況ですが、街頭インタビューのオヤジが「高倉健はいいよ〜!」と熱く語る姿(多くの人があこがれた)にこそ、健さんの大きさが表れていると言えそうです。

 以前、映画『あなたへ:2012年』の感想で

 「高倉健の背中」に何を、どう背負わせるべきなのかを脚本・演出は承知しているので、物語が進むにつれ「健さんの背中」は観る者の期待通り、寡黙ながらも語り始める。

 と書いたことがあるが、追悼インタビューで映画評論の重鎮である佐藤忠男さんの

「高倉健という役者は、ある意味『日本を背負っていたのではないか」

にこそ、われわれ観客の感動、賞賛、感謝の気持ちが反映されるように感じます。

 言葉に頼らず「男らしさとは……」を語る姿に、数知れない勇気をいただきました。
 ありがとうございました!


 上は、1999年に立ち寄った映画『幸福の黄色いハンカチ:1977年』ロケ地(古い写真のスキャンなので雰囲気だけ)。
 昨年、NHK『鶴瓶の家族に乾杯』にゲスト出演の薬師丸ひろ子(映画『野性の証明:1978年』で共演)が、この場所から健さんに電話し、快く受け答えしてくれた様子(声は放送されない)から、「ひろ子ちゃん?」と電話口で盛り上がる様子が目に浮かびました。(後ろ姿の女性は倍賞さんではない)


追記──祝結婚! 国仲涼子ちゃん

 わたしは勝手に、彼女の東京での後見人的な意識で心配していました。
 『ちゅらさん』の知名度を有効活用して頑張っても、ちっとも上手にならないお人好し(安室ちゃんとは違う沖縄人らしさ)の印象があり、あの業界で大丈夫かと。
 向井クンはいいヤツと思えるので、オヤジはホッとしています……

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