2009.8.9
【東京都】
今回足を運んだ高尾山は、東京・神奈川に暮らす人々には、身近なハイキングコースとして親しまれていると思います。
ガキの頃から何度となく登った印象や、「ハイヒールで登れる山」と言われることからも、「あんなの山じゃない」という気分を、どことなく持ち合わせています。
でも近ごろでは、平地はよく歩くものの山登りには自信がないので、ケーブルカーで登りました……
それじゃ、山登りと言えないじゃん!
下りだけでも、翌日(だったことにホッとしたりして)ふくらはぎがバリバリに痛く、悲鳴を上げていました……
高尾山薬王院(Map)
山の頂にある薬王院は、744年聖武天皇の勅命により、東国鎮護のために開かれ、真言宗智山派の関東三大本山(残る2つは、川崎大師平間寺と成田山新勝寺)では最も歴史があるそうです。
空海さんの真言密教のお寺なのに、世間的には天狗のお寺として親しまれています。
1375年京都醍醐寺から来た僧侶が、飯縄権現(いづな or いいづなごんげん)を祭ったことから、飯縄信仰の霊山とされ修験道の道場として人気が高まったそうです。
飯縄権現とは、長野県飯縄山(Map)に対する山岳信仰が発祥とされる神仏習合の神で、白狐に乗り、剣と縄を持った烏天狗(右写真は大天狗)の姿をしているそうです。
戦勝の神として信仰され、足利義満、上杉謙信、武田信玄等の武将たちに信仰されたようです。
──上写真は、大天狗(鼻の高い天狗)像。下写真は、ホラ貝を吹きながら本堂に向かう山伏姿の僧侶。ホラ貝を吹くことには、悪霊退散、山中での修験者同士の意思疎通、熊よけ等の意味があるそうです。ちなみに「ホラ吹き」とは、仏法の説教を熱心に行う様からきたそうで、法螺貝は見た目以上に大きな音が出ることから、大げさなことを言う人をそう呼んだそうです。
天狗の一般的なイメージは鼻の高い容姿になりますが、それを「大天狗」と呼び、鼻先が尖ったもの(尖ったマスクを付けたような容姿)を「小天狗」もしくは「烏天狗」というそうです。
奈良時代の役行者(えんのぎょうじゃ)から始まったとされる山岳信仰が、鎌倉時代から修験僧(山伏)の広がりを生み、その姿が天狗と呼ばれるようになったそうです(山伏も山を飛ぶように駆けていたことでしょう)。
庶民が山地を異界として畏怖した時代には、山で起きる怪異現象や、天狗(語源は、怪音をたてて空を飛来するもの(火球、隕石)とされる)のイメージに、山伏の姿が重ねられ呼ばれるようになったようで、そのころから天狗を山の神と考える風習が広まったそうです。
しかしそこには、他宗派からの軽蔑の表現(そんな行為は修行と認められない)も含まれているそうです。
「天狗になる」の言葉通り、天狗は慢心の権化とされていて、その始まりは、彼らが「教えたがり魔」であるとの言いつたえによるようです。
仏教六道(りく or ろくどう:天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のほかに天狗道があるそうで、仏道を学んでいるので地獄に堕ちないが、邪法を用いるため極楽にも行けない「無間(むげん)地獄」(仏教八大地獄の周辺に存在する小規模な地獄。これじゃ分からんね…)との見解もあるそうです。
ですが、そこには日本人に愛されそうな「あいまいな存在」としての特徴が現れているような気がします。
人間に似た容姿を持ち、山間地においては超人的な身体能力を発揮し、空も飛ぶと考えられていながらも、われわれを守ってくれるわけでもない「畏怖(いふ)されるだけの存在」であっても、神として祭ろうと考える心理は、説明不要な「存在感」ゆえのことと思われます。
また、古事記・日本書紀などに登場する、天孫降臨の案内役であるサルタヒコ(猿田彦)は、長身で長い鼻を持つことから、天狗のイメージと混同されていることも、日本的であると思ってしまいます……
そんな「原始宗教」(アニミズム的な「八百万(やおよろず)の神」等)を理解する感性を持っている民族が、海外から先進国と見られていることは、驚くべき事なのかも知れません。
不信心と考えられているわたしたちですが、万物(自然界)を慈しむ気持ちこそが、信仰心につながることを、世界に向かってアピールできたら、と思うのですが、いかがでしょうか?
──上写真は、かつて火渡りの儀式(?)等が行われたように思える修行場。下写真は、滝行に使われている琵琶滝(右奧)。
高尾山の名をよく目にするのは、自動車の窓に貼られた交通安全の、真っ赤なもみじ型のステッカーではないでしょうか。
お寺の紋章には、もみじの葉が3枚あしらわれており(右写真)トレードマークのようで、もみじステッカーは交通安全以外にもいろいろあるようです。
近ごろ夕刻に高尾山を訪れる人が増えているそうで、それは「高尾山ビアマウント」(山上ビアガーデン)の人気によるもので、開場1時間前から行列が出来ていました。
ずいぶん前ですが、親戚一同で訪れたことがあって、景色の見事さに見とれたものの、夜の山はとても冷えるので「寒い」と言いながら降りてきた印象があります。
都心近くには山がないので、屋上ビアガーデンで我慢するしかありませんが、機会がある方にはオススメ出来ると思います。
いい機会なので、天狗のうちわとゲタについて調べてみましたが、「うちわであおぐと鼻が高くなる」「一本歯の高ゲタは俊敏に動くことが出来る」等の記述にしか出会えませんでした……(上写真は、ゲタが納められる社)
形状が似ていることから、植物のヤツデの葉(八枚に裂けた葉)の方に「天狗のうちわ」との異名がついたそうです。
登山口付近に、大きな天狗のお面が飾ってあったと記憶していたのですが、見あたらないので探してみましたが、勘違いだったのか?
記憶のある方がいたらお聞かせ下さい。
高尾山 山麓(Map)
下りは、ガキ時代の記憶をたどり、滝(琵琶滝:上へ3枚目の写真)の道を歩きました。
山上の杉並木も立派でしたが、古くから修験道の霊場とされたおかげで、山麓一帯の森林保護は各時代で続けられ、東京近郊としては驚くほどの自然林が残されています。
また驚いたのが、年間の登山者数が世界一の山であるということです。
確かに人は多いのですが、団体でも訪れやすい山で(企画する側として立案のしやすい場所になるのでしょう。学生時代に来た覚えがあります)、アクセスも悪くないので気軽に立ち寄れることは確かです。
そんな登山者の多い高尾山を見込んで(東京都ですし)、この地に「エコツーリズムの本部」となってもらってはどうだろう? と思ったりしました。
最近では、観光・ハイキング気分で屋久島や北海道の山等を気軽に歩こうとする、中高年が多いと耳にします。
言葉は悪いですが、そんな中高年たちが各地の自然環境を踏み荒らさぬように、知名度に引かれるだけで「自然を知らない」人たちへの「ネイチャー・スクール」を、この地に開いてはどうか? と思ったりしました。
高尾山だって、雨が降ったら大変なことになる「山」であること等を、この地から発信してもらえれば、多くの人の耳に届くのではないか、とも思われます。
わたし自身、多少バカにしている高尾山でも、結構リアルな山であることを再認識させられた思いでおります……
実際にハイヒールで歩く方を見かけました。
天狗の高ゲタを意識した訳ではないのでしょうが、一本歯の高ゲタのような俊敏性は得られないと思われます。
今どきは、ビアガーデンの開場待ちで散歩している方もいるでしょうから、デートだとハイヒールも仕方ないのでしょうか?
しかし、そんな認識の延長が、山を軽視した登山での遭難事故につながるように思えてなりません……
とりあえず、東京都(Map)に関しては、このあたりで終了と考えています。
また、何か企画があったら歩きたいと思います。
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