2013/01/21

尽きない食への関心──築地

2013.1.5【東京都】──「ベイエリアウォーク⑮」



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東銀座(Map)

 築地付近はあまり歩かないのですが、隣駅の東銀座なら記憶をたどって歩けそうと、地下鉄の三原橋出口へ。
 晴海通り下の地下街にある映画館「銀座シネパトス」は健在と思ったら、2013年3月閉館ですと(虫の知らせ?)。
 三原橋地下街が耐久性の問題から取り壊されるので仕方ありませんが(1950年代建設)、怪しくはないも「ウラ銀座」的空間が無くなるのはさみしいところです(銀座の吹きだまりは、まだあちこちに健在です)。

 右は4月オープンに向け改築中の歌舞伎座で、前面の門構えは以前の印象を踏襲しますが、背後の巨大なビルにはビックリです(写真に撮りようもない組み合わせ)。
 中村勘三郎さんの悲報には驚きましたが、歌舞伎界は世襲制とはいえ「子どもたちをごひいきに」の思いには、次世代への叱咤が込められているようです。
 歌舞伎は未見ですが、そんな集団の中で勘三郎さんは「個の輝き」を放っていたように思えました……

 近くの映画館東劇には何と『黒部の太陽:1968年 主演:三船敏郎、石原裕次郎』(ノーカット版)の看板が!(ノーカット版3時間20分の上映はこれまで2回だけとも)
 何だか『七人の侍』(ノーカット版)のような長さでワクワクする反面、ちょっと体力(集中力)が不安です。
 監督は熊井啓さん。スタッフにも当時の精鋭が並びますし、今どき観客は入らないでしょうから何とかと思うのですが……


 ここは新橋演舞場を取り囲み門前町のように並ぶ料亭で、どこも小ぎれいなので日が傾いてからの営業に備えているようです。
 演舞場の人気の出し物には「東をどり:あずまおどり 毎年5月末に開催の芸妓舞踊」があり、京都祗園の「都をどり」にならったそうです(存在すら知らなかった)。

 新橋花柳界は、江戸末期の金春新道(こんぱるじんみち:常磐津(ときわず:浄瑠璃の一種)の女師匠)の芸に始まったとされます(銀座博品館裏に金春通りの名が残る)。
 明治政府を立ち上げたのは、薩摩、長州、土佐など西方から来た田舎侍だったため、当時江戸の粋とされた柳橋(浅草橋)に受け入れてもらえず、新興の新橋、赤坂で宴会を開くことになります。
 田舎侍たちは政府要人となってからも新橋をひいきにしたため、さまざまな新しい文化との出会いに恵まれ芸が磨かれていきます。
 政治の中心が移行したのですから、当時は京都祗園以上に華やかだったことでしょう。

 「東をどり」鑑賞の最安席は2,500円とあるので、一度くらいのぞいてみたいとも……


築地(Map)


 玉子焼き山長店頭(上)の様子にはそそられるインパクトがありますが、テイクアウト「串玉」目当ての行列はちょっと長すぎです。
 すしネタの彩りとして欲しい玉子焼きはどこも「土地の味」なので、飾りであるウニやイクラは外しても、玉子焼きは食べてみる価値があると思います(甘くてウンザリすることが多いが、その分当たった時のよろこびは大きい)。
 店の評判は関連サイトをのぞいてみて下さい。アイディアの勝利だったようです……

 築地でよく見かける三輪トラックは、ターレ(ターレット・トラック)と呼ばれ、前輪をエンジンごと回転させて狭い通路を直角に曲がりますが、その分ステアリングにはパワー(腕力)が必要になります。
 海産物を扱うため、サビだらけのボロを乗り回す印象がありましたが、現在は右のような電動車への切り替えが進んでいます。
 以前は、仲卸で800台が排気ガスを出していたと聞き、食べる前にちゃんと洗っていたかしら? と心配に……

 ナンバー付きの小型特殊車両の扱いなので、場外の公道も大手を振って走っています。
 そういえば、エンジン音を耳にしなくなった気がします。


 ちょっと古くなりますがニュースでも注目された、築地の初セリで1億5,540万円で競り落とされた「マグロ解体ショー」に群がる黒山の人だかりです。
 そんな「黒山の人だかり」という表現が似合う町も少なくなった気がします。

 ここ数年初セリで「最高のマグロ」を香港の寿司チェーンに落札されたので、「日本みんなで頑張ろうと景気づけをしたい」心意気だったと。
 そのマグロを通常価格で提供するとのふれ込みから行列となりますが、通常1貫400円前後の大トロで換算すると1貫3万円ですって! 奮発しすぎです。
 正月の景気づけと宣伝は重要ですが、「マグロの完全養殖:タマゴから育てる」を応援してもらいたいと思うも、食の現場の関心は将来ではなく「目の前の食材」なのでしょうね……

 江戸時代初期の築地埋め立てでは海が荒れ難航したため、海から流れ着いた稲荷像を祭ると波がおさまったことから「波除稲荷神社」信仰が広まります(日本では何事も「海のおかげ」とすれば、結構納得しちゃいます)。

 神社に奉納された獅子頭を担ぎ回ることから「つきじ獅子祭り」が始まり、現在も右「厄除天井大獅子(雄)」や女性が担ぐ「弁財天お歯黒獅子(雌)」などが町を練り歩きます。
 神輿は神殿形である必要はなく、形状にこだわらない方が親しみやすい気もします。

 1月5日というお日柄のせいか参拝の方が途切れません。
 会社員が集団でお参りするのも、市場関連の仕事であればとても分かる気がします。
 仕事も神頼みでは不安ですが、気持ちは大切です。


築地本願寺(Map)

 築地本願寺前を歩くと、どうしても「地下鉄サリン事件」当時の空撮映像がよみがえります。
「築地? 本願寺前だ。あそこに歩道橋あった」と……
 現在も残党を監視しているようですが、希望を持ちにくい時代に芽吹く新たな脅威を防ぐには、どうしたらいいのだろうか?

 社殿前には、狛犬(というのか?)が2対(4体)あります。写真左奧に見えるのは対角線上の口を開いた像。
 この地に潜む危うさから、ここまで守る必要があったことは、いまにすればよく理解できます。

 江戸時代は浅草近くにありましたが大火で焼失の後、代替地として八丁堀沖の海上が与えられます。
 そこで門徒たちが本堂再建のために、海を埋め立て土地を築いた工事が、地名「築地」の由来とされます。


 ここは勝鬨橋(かちどきばし)上流の川岸を整備した隅田川テラスで、一部には上のようなレンガ造りの堤防が現存しています(歩いて楽しめる程度の長さが残される)。

 上は川面から目に入った「治作:じさく」の看板で、有名どころのようですが目の前でも看板しか見えず、その印象すら刻めません。
 何かの機会にでもと調べると、高級料亭のようで庭も見事らしく、家屋は三菱の岩崎弥太郎別邸だったと。
 店側ではレンガ造りの堤防を庭園の構成要素にしてそうですが、現在では隅田川が見えてもうれしくないので、箱庭に力を注いでいることでしょう。
 チャンスがあれば一度是非……


聖路加国際病院(Map)


 当初は礼拝堂の尖塔(左)を目指したのですが、手前の明石小学校校舎がしゃれているのでこちらがメインとなりました。
 この校舎は2012年に建て替えられたもので、以前の校舎は関東大震災後に建てられ、帝都再生のシンボルとされる「復興小学校」として歴史的価値のある建造物でした。
 反対を押し切って建て替えたためか、一般の校舎では考えられない程の「配慮」は、以前の校舎を知らないわたしにも伝わってきます(博物館的な重厚さがある)。

 左奧の聖路加国際病院には、100歳を超えて現役の日野原重明先生(理事長)がいらっしゃいます。
 先生は「よど号ハイジャック事件:1970年」に遭遇し人質とされながら、機内で乗客の診断をしたと知り、長く生きれば多様な経験が出来るのではなく、選ばれた人ゆえさまざまな経験を糧に長生きすべき使命を与えられたのでは? と思ってしまいます……
 お元気で、ご活躍なされますことを。


追記──大島渚監督が亡くなられました。

 遅れてきた観客でしたが、社会権力に挑み続ける姿勢が刺激的で、食らいついていく意識で名画座を追いかけていました。
 ですが現在では、『青春残酷物語』のリンゴをかじれなくなった実感もあります(川津祐介がリンゴをかじるシーンは、社会に挑む若者の象徴として記憶に残る)。
 元来目立ちたがり屋と思うので、もっとエンターテインメント系の作品を作りたかったのではあるまいか(テーマは重いにしても)。
 晩年は悔しい思いだったでしょうが、監督の気概はしっかと伝わってきました。
 ありがとうございました。


 そんな時代の記憶からか、ふた月遅れの健康診断が早く終わり(住友三角ビル)、新宿の「喫茶店のモーニング」が食べたくなりました。
 「モーニングAとホット」の注文に「コーヒーと紅茶がありますが」と聞き返されます。 いまどきは「ホット=コーヒー」は通じないのかしら?
 ですが店に流れる音楽は、マイケルジャクソン「ベンのテーマ」ですし(60〜70年代の曲が流れる)、客層も見事に白髪の年代ばかりで満席です(店が減ったのは確か)。
 昭和の新宿をより所とする古い世代には「喫茶店」が落ち着くようです……

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