2009/03/01

新タワーを希望に──三ノ輪橋、向島、京島

2009.2.15
【東京都】

 三ノ輪橋(Map)


 東京都が運営する路面電車として唯一存続されている都電荒川線は、始点となるここ三ノ輪橋(荒川区)から早稲田(新宿区)までの約12kmを結んでいます。
 新庚申塚(しんこうしんづか 都営三田線西巣鴨駅で乗り換え)から早稲田方面は、仕事でよく利用しましたが、乗った途端にスイッチがoffになってしまい「どこへ行くんだったっけ?」という、リラックスモードに切り替わってしまったことが思い出されます。
 主に東京の西側での生活が長かった者にとっては、三ノ輪橋・千住・綾瀬という地域は一緒くたに「上野の向こう(東)側」としいう認識しかなく、遠いところという印象を持っていました(地域の皆さまには大変失礼!)。
 地下鉄日比谷線の駅では、上野〜入谷〜三ノ輪〜南千住〜北千住(千代田線で次が綾瀬)ですから、西側の下町で言うなら戸越や三軒茶屋あたりでしょうか?
 ──三軒茶屋にも東急世田谷線という路面電車があるので、荒川線も含め機会を見つけて沿線を歩きたいと思います。


 三ノ輪橋という停留所(都電では駅をそう呼びます)名は、以前石神井川の支流(現在は暗きょ:地下水路)に架けられていた橋の名前だそうです。
 終点となる早稲田の停留所は大通りの中州のような立地で(最近見ていないので今度確認してきます)殺伐としているのですが、三ノ輪橋付近は商店街も健在で、路面電車がとてもなじむような町の風景が残されています(昔の三軒茶屋も上写真のような感じだったと思います)。

 商店街を10分ほど歩くと南千住駅で、その反対側の隅田川方面には大規模な再開発地域が広がり、ご察しの通り現代風なマンション群と、ショッピングセンターと、まま広い公園とテニスコートなどのグラウンドと、学校施設が整然と並んでいます。
 そこは汐入という地域で、以前にあった大きな工場や下町的な住宅密集地などを、全部追い出して再開発したそうです。
 工場関連の移転についてはその意図も納得できるところですが、住宅密集地に対して一斉立ち退きを求めた姿勢には、行政側が疎ましく考えていたのではないか、と勘ぐりたくもなります(「あしたのジョー」の舞台設定はこのあたり、との記述も目にしました)。


 向島(Map)

 上記の整備された汐入公園から隅田川の対岸になる向島(むこうじま)方面には、高速道路の奧に屏風岩のような都営白鬚(しらひげ)東アパートが連なっています。
 墨田区によると「江東防災拠点のひとつで、明治通りと堤通りに沿って高さ約40メートルの高層建築物を連続的に配置することにより、大震災時の火災に備える」防火壁の役目もあるんだそうです(写真ありません)。
 分かった! 東京都は、とりあえず下町をコンクリートで固めてしまえば「江戸の華」のひとつである火事の延焼を防ぐことができると考えているのではあるまいか? 
 確かに後述の京島周辺を見ると、庶民生活を守る立場にある行政側とすれば、そう考えたくなる気持ちも理解できます。
 高層建築物であっても「都営アパート」であることは、ベランダではない通路と思われる壁に布団がズラーッと干されているのを見れば、もう納得です。
 住民の方たちが屏風岩のようなアパートに納得されているのであれば、他人が文句をつける理由もないのですが……

 右上写真は汐入から隅田川を渡った、向島にある隅田川神社になります。
 かつてはこの付近まで海だったそうで、海運業者等から浮島神社、水神社と信仰されたそうですが、写真のように川との間に高速道路が通されていますし(奧が隅田川)、手前側に伸びている参道の上には(布団が干してある)都営アパートが建てられたりしています。それも、防災のため(?)です。

 近ごろは新聞を駅やコンビニで買っているのですが、この付近で買った朝日新聞の地域面の区分が「東京 川の手」とあります(神奈川ですと川崎、横浜との分類)。
 「山の手」と呼ばれる地域を意識したネーミングのようで(その地域は単に「東京」とされています)、隅田川付近で育った方々にはステータスかも知れませんが、わたしはあまりいいセンスとは思えませんでした。
 東京で生活する者にとって向島とは、下町の代名詞のような響きやイメージがあるのですが、冷静に考えてみると「川向こうの島」ですから、あまりいい意味で使われていなかったようにも思えます。
 わたしの両親の父母(わたしには祖父母)は都外から移り住んだそうですが、その双方共に「向島の家」と呼ぶ親せきがあったようです(わたしは知りません)。
 そんな時代の庶民の盛り場といえば浅草であったでしょうし、外からの人たちを受け入れてくれる寛容さがあったようにも思えます(そんなころの山の手方面は、タヌキがすむような田舎だったと聞かされています)。
 受け入れてくれる人たちや、その好意に甘えさせてもらった人たちが多かったことも、「お互いさま」というような人情を根付かせ、継承され続ける一因なのではないでしょうか?


 向島百花園(Map)

 江戸時代に開かれた梅の名所で、百花園の名には「四季百花の乱れ咲く園」の意味が込められているとのことです。
 洪水被害や太平洋戦争の空襲で全焼するなどの苦難を乗り越え復興されたのは、身近な庭園として庶民に親しまれていたからなのでしょう。
 御成座敷という建物で「投扇興(とうせんきょう):台座上の「蝶」と呼ばれる的に扇を投げ、その結果の形から点数を算出する遊び」が行われていました。
 江戸時代にお座敷遊びとして始まったそうですから、優雅であるかは分かりませんが4つほどの流派が存在するそうです(幼少時に秋篠宮も興じたとのこと)。
 ルールとして、座っている座布団から尻を浮かせてはいけないところに、江戸っ子にも最小限の品があるものだ、と感じたのですが……


 園内では「春の七草」も栽培されており、これはそのひとつ「すずしろ(蘿蔔 )」です。
 「大根じゃないの?」と思っていたら、大根の別名なんですって……
 これちょっと恥ずかしいコメントと思うのですが、ご存知でした?
 下は、ボケの花です。
 ──上記の落ちのつもりなので、好きなように突っこんでください……




 京島(Map)

 もとは吾嬬(あずま)町だったものを、東京の「京」と向島の「島」を合わせた名前から「京島」としたとありました。京島の名ですが、現在は向島と陸続きです。
 右写真は、京成曳舟(ひきふね)駅近くにあるお風呂屋さんで、左下のオヤジさんは開店を待っているようです。
 開店直前であればもう少し人がいるように思われますが、一番風呂を目指しているのでしょう。せっかちにも見えますがマイペースなのではないか、という気もしてきます。
 奧に高層マンションが写り込んでいますが、オヤジさんには「バカだよなぁ、あんな所に住んで何が楽しいんだよ」と思われているのでは? というくらい、皆さんが下町の暮らしをエンジョイしているように感じられる町です。


 この周辺は第二次世界大戦の空襲の被害が少なかったこともあり、昔ながらの下町の町並みが残されている地域になります。
 「残すこと」は、おそらく住民の意思と思われ「残されていること」は貴重であるのですが、時代が変われば「有効利用できる地域を何で野放しにしておくんだ?」という意見も押さえられなくなるようです。
 住宅街の中には、右写真のような共同井戸(?)がいくつも残されており、同じブルーの塗装がされています。
 以前は共同で使われていたと思われますが、現在では地域の防火用水的な存在のようです。
 地域の自治会などの、知恵と努力によるものと思うのですが、消防車が通ることができない路地であることは確かなので、下写真のような道路整備工事が虫食い状態のようにジワジワと広がっています。
 わたしには「防災対策」という名目によって、切り崩しを計っているようにしか見えないのですが……
 何年かしたらかなり様子が変わってしまうように思えるので、関心のある方はいまのうちに行かれた方がいいかと思います。
 ──テレビで目にしたおばあさんが店に立つコッペパンの専門店(?)も健在ですよ。


 現地を歩いたときは、住民たちのたくましさや(ある意味)贅沢さを感じておりましたが、戻って汐入のことなどを調べてみると都知事の顔が浮かんできました(別に石原さんだけが悪者ではないのですが)。
 税収の低い地域は自治体から「何とかせい!」と目を付けられ、やり玉に挙げられてしまいます。特に東京都など「土地の利用価値が高い」と自負する自治体にそんな傾向が強いのではないでしょうか。
 子どもも安心して産めない町に人を集めて「寄せて上げて」どうするつもりなんかい? とも思ってしまいます。
 ──妊婦受け入れ不能の問題を起こした東京都立墨東病院は、次回報告予定の散策中に目にしました。

 散策後に一服した喫茶店で、地域の熟年(70代以上)と思われる集団の雑談がとても耳障りでした。
 江戸っ子のオヤジって、何であんなに大声でおしゃべりなんだろうか?(軒先が触れあうような隣同士なら、大声出さずとも聞こえるってもんだろ?)
 「沈黙は愚」というかのような大声でのせめぎ合いは、関西系の特徴ではないか?(関東以北にはないのでは) とも思ってしまいます。
 家康が江戸開府時に、文化最先端であった関西から技術集団を呼び寄せたそうですから、そんな系譜が受け継がれているのではないか、とも思われます。
 つまり「江戸っ子のルーツは関西系」ではないか、と感じたということです。
 開府当時の江戸はおそらく、新天地を求めて集まった各地の人たちの寄り合い所帯だったでしょうから、地域自慢を主張し合うことから大声になっていったとも考えられますが、どう思われます?


 東京スカイツリー 建設現場(Map)


 高さ610mの東京スカイツリー(2011年完成予定)の建設現場です。
 撮影場所は、東武伊勢崎線の業平橋(なりひらばし)のホームからになります(浅草の次の駅)。
 まだ基礎部分だけなので確かなことは言えませんが、東京タワーと比べると、とてもスマートな印象を受けました。
 東京タワー建設の時代に比べれば技術は進歩しているのでしょうが、隅田川沿いで昔は海だったという向島辺りに造って、地盤の強度は大丈夫なのでしょうか?(東京タワーは芝とは言え、高台にあります)
 向島、京島や浅草から見てもそびえ立つ東京スカイツリーでしょうから、みんな吸い寄せられるように足を運ぶことになるのだと思われます(これからも進捗状況を眺めに立ち寄ってみます)。

 それこそ時代が違うので、高い建築物を造ればそれだけで「夢」になるとは思えませんが、映画『三丁目の夕日』の東京タワーように、周辺に暮らす庶民に「希望」を与えてくれる存在となってくれることを祈るばかりです。
 ──高さの目標となってしまい「目指せ東京タワー」のように、肩を並べるビルが林立するだけでは困ると思うのですが……

 しかし、誘致した自治体はよろこんでいても、果たして住民たちはよろこんでいるのだろうか?
 そんなインタビューを聞いてみたい気もします。

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