2009/03/08

大震災、大空襲、そして大麻……──両国、亀戸

2009.2.21
【東京都】

 両国といえば国技館ですが、まずはその周辺から紹介します。
 駅を降りて一番驚いたのが「docomo」ロゴがはられたビルのデカイこと(写真無し)。
 何でこんなモノが必要なのかと思いましたが、オフィス用ではなくネットワーク等の設備が集められた東京におけるdocomoの肝のようで、屋上の鉄塔はアンテナになっているそうです。
 ビル内には「NTTドコモ歴史展示スクエア」という科学館があるそうですが、ケータイを持たぬ身としては関心を示すこともなく、スルーしてしまいました。


 両国公会堂(Map)

 国技館の北側には、旧安田庭園と右写真の両国公会堂があります。
 安田の名は「金融財閥」と言われ、富士銀行〜みずほ銀行(芙蓉グループ)の基礎を築いた安田家によります。
 江戸時代に大名屋敷の庭として築造され、それを管理していた安田家から当時の東京市に寄贈されたそうですが、関東大震災(大正12年 1923年)によって壊滅的な被害を受けてしまいます。
 がれきの地となったものの、ゆかりある場所に対して安田家からの寄付があり、1926年にこの建物が完成したそうです。
 当時にすれば「超モダンな建築物」が造られたわけですから、被災した庶民たちは勇気づけられたと思われます。
 以前には改修工事も行われたようですが、老朽化のために現在では使用されていないようです。
 中にも入ってみたかったので、景気が回復したら(望み薄?)また改修してもらいたいと願っております。


 東京都復興記念館(Map)

 上記庭園のはす向かいにある横網(よこあみ:相撲のよこづなは「綱」の字)町公園には、かなり立派な建造物の東京都慰霊堂と、復興記念館(右・下写真)があります。
 慰霊堂は関東大震災の際に、火災によってこの地で亡くなられた多くの方の遺骨を納めるために造られました。
 大震災前この地には陸軍の被服敞(ひふくしょう:軍服などを作る工場)があったのですが、移転に伴い東京市が跡地を買入れて公園の造成中だったため、地震発生時に空き地だったこの場所に大勢の方が避難してしまい、その後の火災によって多くの犠牲者が出たそうです。
 大学の卒論のテーマが関東大震災で「本所被服廠跡」の惨事を知って訪れたことがあり、これが2度目の訪問になります。
 そんな惨事を繰り返さないために「火災に強い町を!」のスローガンにはとても説得力があると思えるのですが、先日歩いた「都営白鬚(しらひげ)東アパート」が「防火壁」の役目を果たすとの主張には、やはり半分くらい疑問を感じています……

 年号が変わって昭和には、第二次世界大戦の東京大空襲(1945年3月10日)によって大震災の倍近い犠牲者がでてしまい、慰霊堂にはその時に亡くなられた方の遺骨も納められているそうです。
 空襲時には焼夷弾(しょういだん:攻撃対象を焼き払うために使用するもので、ベトナム戦争で使われたナパーム弾も含まれる)によって、下町は焼け野原となってしまいました。
 いくら都知事でもそんな戦争を想定して、新たな「防火壁」を築いて延焼を防ごうなどとは考えていませんよね?

 先日、大震災で亡くなられた大陸(朝鮮系)出身者の追悼行事が慰霊堂で行われる様子をテレビで見ました。
 卒論の調べ物をしているときによく出くわしたのが「朝鮮人が暴動を起こすのではないか」というデマです。
 何の根拠も無いのにそんなデマのせいで、多くの朝鮮系の方が被害を被ったそうです。
 良くも悪くも、情報化社会と言われる現代ではあり得ないとは思いますが、非常時には自分の身も含めどんなことが起きるか予想もつきません。
 まずは身を守ること、そして冷静に行動する準備のためにも、個人個人が頭の中でシュミレーションをしておく必要があるのかも知れません。


 江戸東京博物館(Map)


 のぞきもしないくせに帰ってきてから思ったのは、「できるだけ江戸の風情を感じられる場所を歩こう」と考えているならば「少しでも勉強してくれば良かったのに」ということでしたが……
 以前入ったことはあるのですが「館内に日本橋を再現してどうするの?」というテーマパーク的な展示内容に「ここは一度で十分」との印象が強く、再チャレンジできませんでした。
 土曜日だったせいか人気はあるようで、お客さんがゾロゾロと写真のエスカレーター(赤い部分)に吸い込まれていきます。
 「バブリーだなぁ」(1993年開館)の印象通り、やはり維持費用が膨大にかかる設備なんですって。でも「はとバス」も来ているようですから、収支を含めたさじ加減は知事次第、となるんでしょうね。


 両国国技館(Map)


 上記の江戸東京博物館の方がどデカイ印象を受けたとしても、両国のシンボル的な存在はここであるはずなのですが、今どきはドーンと紹介できない「相撲の聖地」ですから、さりげなく見てください。
 不祥事続きであっても、相撲協会もファンも「どすこい!」という印象が強い気がします。
 ──「どすこい」とは、どっこいしょ、どんと来い、ドスもってこい(これは冗談)という意味だそうですが、わたしには力士がシコを踏む掛け声ではなく、おばさんが重い腰を上げる時の「どっこいしょ!」に思えてなりません。

 近ごろの、世間一般への大麻の浸透度には驚愕させられます。
 豊かさというより、教育(家庭および社会)の荒廃を意味しているように思われます。
 むかしの英国・中国(清)間の「アヘン戦争」のような、外国による円獲得の圧力や動きではなく、自分たちが興味を持ち積極的に手を出しているように見受けられます。
 そこに続けて、相撲取りに細やかさを求めても無理、なんて書くと(相撲取りだけかい? と)怒られるかも知れませんが、現状では、反社会的と受け止められても仕方のないところまで来ていると思われます。
 それにしては相撲協会やファンは、結構平然としているように見受けられる気がするのですが……(特にファンは、強ければいいという認識を持っている面があるようにも感じられます)。
 「やかましい!」と感じていた横綱審議委員のおばさんは、こういう状況を危惧(きぐ)して叫んでいたのかも知れない、と納得してしまう事態であるように思われます。


 この後に、猿江(さるえ)恩賜公園に立ち寄りました。
 恩賜公園(おんしこうえん)とは、お上から払い下げられた地を活用した公園施設なので(上野公園、浜離宮等)どんな施設なのかと楽しみにしていたのですが、以前幕府直轄の貯木場だった地を埋め立ててグラウンドやテニスコート等を整備しただけなので、少々ガッカリさせられました……(住宅密集地の中にまとまったグラウンド施設等が作れたのですから、ありがたいのですが)
 公園の近くに、東京都立墨東病院(急患受け入れ不能問題)がありますが、周囲にはラブホテルが林立しています。
 町の風紀を正したい、気持ちも理解できますが、所詮「川沿い」というネガティブな印象を引きずっているように見えてしまいます。
 他に土地の確保が難しいことは理解できるところですが、地元に人にすれば「もうちょっと場所を考えてもらいたい」との気持ちも、とてもよく分かる気がしました。
 下町っ子は気にしないのでしょうが(これも怒られそうですね)、若い夫婦の転入者を増やしたい気持ちがあるのなら、生活環境等への配慮が必要になるのではないでしょうか。


 亀戸天神(Map)

 天神様の牛は、なでられ、テカテカになった方が親近感があるように思えます。──京都では北野天満宮錦天満宮


 この天神様は、菅原道真の末裔である福岡県にある太宰府天満宮の神官が、天神信仰を広めるために諸国を巡り、1661年、元からこの地にあった小さなほこらに道真ゆかりの飛梅(とびうめ)で彫った天神像を奉ったのが始まりだそうです。
 飛梅とは、陰謀により京の地を追われた主である道真を慕い、一夜のうちに太宰府まで飛んできた、との伝説がある「梅の木」になります。
 また太宰府やこの地には木彫りの(うそ:スズメの仲間)替の神事があり、「去年の悪しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」と伝わり、年ごとに新しいものと「とり(鳥)替える」ことで一年の吉運を招くとされています。

 亀戸天神といえばやはり(?)「池の亀」が印象に残っていましたが、この日はあまり見あたりませんでした。
 ──そんなことが印象となる感性ですから、結構若かりしころに来たのではないか、とふり返っています。

 境内には立派な藤棚がいくつもあり、藤の花が有名だそうです。
 出店の人たちが、人出や売り上げの低さをなげいていました。
 まま人は出ていたと思うのですが、以前はこんなものではなかったということなのでしょう。
 まさか、受験生(人口)が減ってきたから? なんて理由ではないことを祈るばかりです……


 昨晩は美味しいお酒を飲まれた方も多かったのではないか、と思われるWBCでの日本の勝利でした。
 これからが本戦です、応援しましょう!

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