2009/03/18

食のテーマパーク──築地、月島

2009.3.5
【東京都】

 築地(Map)

 近ごろ流行の「市場の食堂」は地方の港町でも盛況ですが、その東京版を求めるならここ築地となるのでしょう。
 迷惑視されていた海外からの観光客の見学マナー報道についても、いい宣伝材料になったのではないかと感じられるほどの盛況ぶりです。


 関西で耳にしていた「マグロはみんな築地へ行っちゃう」という飢餓感も手伝い「中落ち丼」をいただきました。
 確かに美味しゅうございましたが、考えてみれば生で入荷するものは限られているわけで、同じ冷凍物であるならばここより焼津(ちと遠い静岡県)や、三浦半島の三崎(神奈川県)の方が安価であるであることは明白であります。
 マグロばかりではなく、地方の港町では「いいモノはみんな築地に持って行かれちゃう」とよく耳にします。
 それを訳すと「築地の仕入れ人はいいモノだけ買っていく」のだから、地方の漁師にも「できるだけ築地に高く買ってもらいたい」という市場原理がはたらきます。
 しかし、水揚げされた港においての「最高級品」であっても、そこから「運ぶ」という手間には「鮮度(味)が落ちる」というリスクが伴います。それは、どんな高級料亭で出される食材であっても(冷凍技術の進歩により東京でサンマの刺身が食べられるようになっても)、地理的な距離の壁は同じように存在します。
 築地という場所は、東京という「大都市」で入手可能な食材の中で最も新鮮な魚介類を、最も安価な値段で入手出来る(比較論として錯覚させられる)場所でしかないように思われます。それは「築地ブランド」という偶像のようにも思えてくる気がします……
 しかし、そんな信頼感を築き維持し続けることは容易ではありませんし、それが現在の「信奉」とも言える人気を支えていることは、確かであると思えます。
 
 寿司は「江戸前」と言われますが、今どき築地に直接水揚げされるものはほとんどないでしょうから、各地から集められたものを東京向けに売買する市場ということになります。
 仕入れてにぎって提供するだけですから(それをいっちゃ、おしまいよ!)「ネタの新鮮さには自信があります」等を売り文句にするならば、どの地でも「地域の一番」として使えることになります。
 であるならば、寿司屋の特徴を出すためには料理ものの味になるはずです。
 先ほどの、まま美味しかった「中落ち丼」ですが、その中では「玉子焼き」が一番印象に残っています。
 何か失礼に聞こえるかも知れませんが、玉子焼きを褒めることは寿司屋への賛辞になると思えるので、寿司屋という商売って難しいのかも知れません。

 築地のような大きな市場に集められるのは「数がまとまる」魚でなければ、取引として成立しない程度のコストがかかるものと思われます。
 それは、スーパーに並ぶ魚の種類が毎日同じである理由のひとつになります。東京で種類をそろえようとすると、高いモノになってしまいます。
 大阪は、瀬戸内海が近いこともあり要望が多いのか、距離も近いのでまとめる数が少なくても商売が成り立つのか、魚売場に並ぶ種類が多く、選ぶのが楽しかった印象があります。
 では、本当に美味しいモノを安価で食べられるのは?
 地方の港町にあるお寿司屋さんに足を運びましょう!(あぁ、行きてぇー)
 ──勝手に「地方活性化委員」を名乗るわたしの提言です。




 勝鬨(かちどき)橋(Map)

 可動橋(船を通すために橋が開く構造)でしたが現在では可動部は固定され、電力供給も止められており動かないそうです。
 再稼働への働きかけもあるそうですが、10億円以上もかかるそうです。現実問題として、晴海通りの通行を止めてまで通すべき船はないと思われます。
 右写真の右にある信号機は、橋の開閉時に歩行者に対するもので、左上に横向きに見えるのが船に対する信号と思われます。
 歩いてみれば分かりますが橋の開閉部分は、一般の橋の揺れとは異なる振動が伝わってきます(要するに不安定)。
 強度的に問題がなければいいのですが、どうせ残すならイベント的でいいから開くところを見てみたいと思いますし、もう開かないのであれば橋としてちゃんと補強すべきとも思われますし、難しいところですね。
 しかし「かちどき」とは、戦いに勝ったときあげる「鬨(とき)の声」なわけで、命名も日露戦争の勝利を祝う声から付けられたそうですから、この国ではもうその手の「バンザイ」は欽ちゃんのように「無しよ…」(と、断言しましょうよ!)ですから、もう開かなくてもいいことにしましょうか。




 月島(Map)

 ヤンキースの松井やブラピ等、有名人の来店記念写真をアピールしている店が目につくような、一大観光スポットとなっています。
 そんな「もんじゃストリート」の印象が好きではなかったのですが、路地の写真を撮りに来ました。
 「もんじゃタウン」「狭い路地」「高層マンション」が混在しているコントラストはスゴイものがあります。
 右写真の路地の真ん中に排水路的なくぼみが見えると思いますが、以前そこは下水路であり、時代劇等で長屋の暮らしを描く物語などで、足の踏み場をさがしてぴょんぴょんと跳ねるように歩く姿をよく見かけますが、それは、いつでもぬかるんでいる下水路をよけるための技になります。
 ここは江戸時代の埋め立て地になるので、都市計画(?)はきちんとされていて、碁盤目状に整然と路地が敷かれています。
 そんな一画に暮らす住民の意見が一致した場所には、ドカーンとマンションが建ったりしますが、その周囲には依然として路地が残されています。
 町のあり方というのでしょうか、古くからの町並みと新しいビルとが混在する地域では、そこに住む人々のコミュニケーションがどんな具合に共存しているのか、ちょっと想像しにくいものがあるので、のぞいてみたい気もしてきます。
 現在ではいびつと思われても変化の途上にあるわけですから、新しい文化を築いていくことになるんでしょうねぇ。
 この付近で韓国語をよく耳にしました(若そうな観光客が群れて歩いています)。韓国の若者の間では下町ツアーが人気なのだろうか?


 住吉神社(Map)


 徳川家康が江戸開府の際、大阪の佃村から招いた漁師たちを、ここを埋め立てた島に住まわせたのが佃嶋の始まりだそうです(元は神社周辺だけのとても小さな島とのこと)。
 佃と言えば「佃煮」であり「深川丼」同様、ご飯のおかずに「甘さ」が好まれ続けているのは下町周辺だけと思われ、そのルーツは関西なのではないか、と勝手に思っております(甘いモノでご飯を食べるのは、ふりかけで卒業しました)。
 江戸時代の初期には「江戸の味」などは存在しなかったでしょうから、関西系の味付けが主流だったと思われますが、東北方面との流通が増えるにつれ、次第に保存の利く塩や醤油系の味が広がっていったということなのでしょうか?
 であれば、ますます江戸の庶民にとって「甘さ」は贅沢品になったと思えるので、あこがれの味覚として持てはやされ続けられた理由が分かるような気がしてきます。

 周囲を高層マンション群に囲まれていても、住吉神社の一角だけは、昔の漁師町の風情が残されており「とても落ち着く」(目の前にあるビルが視野に入ってきません)印象があります。
 むかしはきっとこの水辺で、声高々に言い争いのような「コミュニケーション(近所付き合い)」が繰り広げられていたんだろうなぁ、という想像に浸れる一画で、夏の夕涼みにはいい場所だったと思われますが、もうここから隅田川の花火は見えないのだろうなぁとも……
 上写真はお祭りに立てられる大幟(のぼり)の柱が水中で保存されている場所の外観です。
 浮世絵にも描かれている大幟ですが「江戸の華」と言われる火事が多かったことからか、水中(海底)保存を選択したことは賢明と思われますし、「江戸っ子の知恵」として記憶に残るであろうと思われます。
 

 この神社も大阪から移り住んだ人々と共に、摂津国佃にある住吉神社(現在は田蓑(たみの)神社)の分霊として創建されたそうです。
 関東でもよく目にする住吉神社ですが、神道で信仰される住吉三神を祀る神社で、全国に約600社あるそうです。
 三神とは、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)で、海の神、航海の神とされるそうです。
 その先を調べると、三韓征伐(さんかんせいばつ:新羅、百済、高句麗を日本の支配下にした)との伝説的な話しになってくるのでやめましたが、三大住吉というのは、大阪市住吉区、山口県下関市、福岡市博多区にあるそうですから、関東にある同名神社および地名(住ノ江等も含むそう)のルーツは西日本にあるようです。


 鳥居には陶製の額が掲げられています。
 それにしても、このロケーションはスゴイですよね。
 参道から本堂を見通す先には巨大マンションがそびえています。
 計画を聞いた氏子の方々は「ふざけんじゃねぇ!」などでは済まなかったことと思われます(江戸っ子を自負する人には血の気の多い方がいますから……)。
 信仰というものは、お金に換算できるものではないので、歴史を盾にしたところで太刀打ちできなかったということかも知れませんが、信仰が「けがされた」との印象は容易に理解できるところです。
 マンションの住民が全員氏子になったとしても、「あそこに神様が住んでいるのかよ!」「おまえら、神様かよ?」等々、大変だったことと想像されます……


 ここは上写真のマンション群の反対側になります。
 この地の象徴的な情景というのでしょうか、右奧にいるおじいさんはとても感慨深げに河面を眺めていますが、左の母親は猿回しのように盛んに子どもを踊らせようとしています(おじいさんとは無関係と思われます)。
 ここは、NHK朝の連続ドラマ「瞳」で主人公がダンスの練習をする「明るい場所」として描かれていましたが、わたしには何とも冷たく密度のない空疎な雰囲気に感じられました。
 ここがマンハッタンだったら、ひとりで歩くにはちとヤバイ場所の雰囲気に近い気がする、なんて書いたら怒られるか?
 いまはまだ踊らされている(好きならいいのですが)子どもが、自分の意志で踊り出す(自立・生活するの意味)ことで、この地域の新しい歴史が始まるのであろうと思われます。
 ──高層マンション群には政府高官も暮らすそうで、高級感をアピールしたいのでしょうが……

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