2009.6.16
【東京都、神奈川県】
今回は近所を流れる多摩川沿いにあじさいを追いかけました。
よく見かける球状のあじさいはセイヨウアジサイで、日本種であるガクアジサイの改良品種だそうです。
咲き始めは白っぽくも、次第に色が変わることから「七変化」とも呼ばれるそうですが、ウシ、ヤギ、人には中毒を起こす毒性があるそうなのでお気をつけ下さい。って、食べたりしませんよね……
花の色は、生育土壌の養分構成やpH(酸性度)によって変わるとも言われますが、同じ花(色づいているのは萼(がく)だそう)でも、咲き始めと終わり頃では色が変わるそうです。
あじさいの学名は「水の容器(大量の水を吸収し蒸発させる等の説もある)」、語源は「あづさい(集真藍:藍色の集まり)」だそうですが、どちらもいい表現と思います。
ただ、漢字表記の「紫陽花」は唐からの伝承を間違って(ライラックと取り違えたとも)広めてしまったと言われています。
前回の菖蒲(これをアヤメと読む?)や杜若(カキツバタ)に加え、植物名の漢字表記にはいい加減なモノが多いという印象を受けてしまいます。
昭和記念公園(Map)
飛行場の跡地を公園化したため、基本的にどの施設も、敷地面積が広いという贅沢さがあります。
広い空間において、さらにその広さをアピールしようとするデザインやコンセプトには、あまり遭遇したことが無いような気がします。
どの場所でも広々とした印象が感じられる公園になっており、わたしはこのセンスがとても好きです。
気持ちがいいものですからつい歩き回ってしまい、実際に広い公園ですから、いつも帰りはドロドロに疲れてしまいます……
歩きたくなるような場所が都内にあるのですから、オススメしたいのですが入園料は400円です。
それをどうとらえるかは、行ってみて判断してください。
これこれ、これがむかしのあじさい! じゃなかったかなぁ……
子どものころの記憶だと思うのですが、あじさいの葉っぱは上写真のように、緑に白い模様が混じっていた、というイメージが残っています。
今回見た中ではこの一種類だけなので一般的とは思えませんから、家の近くにそんな種類のあじさいがあっただけの、ローカルな体験なのだろうか?
そんな印象のある方がおられましたら、あじさい談義でもしましょう。
この公園の正式名称は国営昭和記念公園といい、昭和天皇の在位50年を記念して1983年に開設されました。
元は陸軍立川飛行場で、終戦後米軍に接収され立川基地となり、滑走路拡張に反対する地権者との衝突で「砂川事件(裁判で憲法と日米安全保障条約の矛盾をしめすものとして注目された)」が起きた場所になります。
まだ西側には、跡地開発について国・都・自治体の綱引きにより手つかずの地域があるそうですが、できるだけ住民の意思を取り入れた利用方法を考えてもらいたいと思います。
昭和天皇の存命中に付けられた公園の名称に従って(?)、2005年に昭和天皇記念館が開館しました(未見)。
その必要性については、意見が分かれると思われますが、この施設は、国民からの募金(約14億円)によって作られたんだそうです(管理する財団の理事には企業名も見えるので割り引いて考えてください)。
しかし、ここで目から鱗(ウロコ)がポロリと……
東国には天皇陵が2つ(大正、昭和天皇陵)八王子にあるだけで、関連の寺社も明治神宮だけです(明治天皇陵は京都伏見桃山)。
昭和天皇は存命中に「神から人間」なったわけですから、死んだらまた神に、とするには抵抗感が強いかも知れません。
しかし、さまざまな時代を生きた人々の思いが具現化された場(寺社や庭園等)こそが、歴史の語り部となっていることを、京都や奈良を歩いて思い知らされた経験があります。
近畿地方では時代と共に、多くの思いが幾重にも積み重ねられてきたからこそ、現代でも関心の尽きない日本文化の歴史や伝統が光を放っているのだと思われます。現在でも卑弥呼の墓か? と、にぎやかです。
東京は、京都・奈良とは異なる性格の都市と思われるので、同じものを目指すことは無理と思われますが、「歴史を残す・刻む」ことを、将来に向けて考えるべきではないか、と思われます。
まさか、東京タワーや高層ビルが数百年後まで残されているとは思えません。
明治維新や昭和を「激動の時代」と表現しますが、この国の歴史スケールからすると、東京は「(明治天皇を含めても)天皇陵3つ分」だけの、ほんの一部分でしかない、子どものような都市と言えるのかも知れません。
──都(みやこ)はこれまでも、幾度となく移されてきましたから、先のことは分かりません。つい先頃まで「首都機能移転」についての意見が飛び交っていましたし……
府中 郷土の森博物館(Map)
ご存知と思われる荒井由実の「中央フリーウェイ」に登場する「右に見える競馬場、左はビール工場」の舞台近くで、JR府中本町駅(競馬場最寄り駅)から歩くと、高速道路をくぐり、ビール工場の前を通ります。
ここには公園だけでなく、府中市の歴史民族資料館やプラネタリウムなどがあり、市の文化施設が集まった一画になっています。
隣接して交通公園、総合体育館やグラウンドなどもあるので、全部含めるとかなり広大な面積に公共施設が作られていることになります。
「とっても素敵な公園ね」と、車いすのおばあさんが褒める理由には、手入れの行き届いた公園であることはもちろんですが、「バリアフリー」であることも含まれているのではないかと思われます。
その言葉を耳にして「なるほど、車いすの方が多いわけだ」と納得させられます。
草木や自然環境を楽しむ公園に土地の起伏は付き物で、そこを段差を気にせず回るためには、傾斜を緩やかにするための、かなり遠回りになるスロープが必要になります。
この公園では、設計段階からバリアフリーを意識していたようで、わたしたちもバリアフリーと意識せずに歩いて回ることができます。
しかし園内の一部には、近ごろ商店街などでよく目にする、表面をわざとデコボコにしたブロック状の石を、デコボコをアピールするように埋め込んである路面がありました。
あれって、車いすや、お年寄りがよく押している車輪付き買い物カゴ(車輪付き旅行鞄も同様)にとっては、通行しづらいと思うのですが、それでも普及する理由って何かあるのでしょうか(オシャレな商店街を気取るため?)。
水たまり防止とも思えませんし、滑り止めのつもりでも、転ぶ危険性の方が高まると思われます。
自動車や自転車の速度を抑制する効果はあるかと思われますが、不便を与えない方策を考えてもらいたいと思います。
妙楽寺(Map)(神奈川県)
以前から、おぼろげながら存在は知っていたのですが、ようやく足を運びました。
最寄り駅はJR南武線の宿河原で、閉園になった向ヶ丘遊園(現在生田緑地)の尾根続きにあたる場所になります。
ですので、旧向ヶ丘遊園正面にあった「100段階段」分の坂を(リフトは無いので)登ることになります(古いローカルな話しでスミマセン)。
──下写真:前日雨が降ったので、いい具合に水滴が残っている、と思ったのですが、他の花にはありません。誰かが霧を吹いたんだと思われます。
お寺の説明には、源頼朝の弟である全成(ぜんじょう)が威光寺の院主となり大きく発展し、その志をこの妙楽寺が継いだとあります。
しかし、川崎市の記述は「威光寺と妙楽寺との間の因果関係が推定される」というもので、他も「天台宗(比叡山延暦寺の教え)の寺」程度しか見あたらないので、私見としては関連のあるお堂等だったのではないか、と思われます。
ここでも車いすで外を散策する団体と遭遇しました(そういう日だったのだろうか)。
でもここは、通路も狭く石畳もデコボコしている、バリアだらけのお寺です。
最終的にはマンツーマンでの対応が必要になりますから、介護の方も総動員と思われる物々しさで、寺院内の交通整理もしていました。
そこまでしても、ここのあじさいが見たい、見せてあげたい、というプロジェクトだったようです。
写真にもあるように、あじさい山を見渡すことができるお寺ですし、時季も良かったと思うので、満足してもらえたのではないでしょうか。
それにしても、介護の方々の責任の重さを、目の前で見せつけられた気がしました。
「外に出たい」という要望もとても良く理解できますが、出先で転んだりしただけで大けがに結びつきます。
自身に非は無くとも、その責任を問われてしまうのは介護の方なわけですから、そうさせてあげたいという気持ちをバックアップする制度などが必要ではないでしょうか。
何か起きた場合、その家族に「外に連れ出すなんて大きなお世話」などと言われかねません。
それで「善意の押し売り」みたいに言われたのでは、やってられませんよね……
多摩川台公園(Map)
ここは以前、野毛大塚古墳の項でふれた田園調布古墳群のある多摩川台公園(最寄り駅は東急東横線多摩川駅)で、自宅から徒歩で20分程度の場所にあります。
公園には何度か足を運んでいましたが、あじさいの季節は初めてで、広くはないながらも「あじさいの丘」というコンセプトはしっかり伝わってくる一画です。
そういえば、駅前の商店街(たいしたこと無いんですが)で、ちょうちんをぶら下げて「あじさい祭り」みたいなことやってましたね。
女性の二人連れに「ここがいちばーん!」と、ベストポジションに陣取られてしまうと、他に腰掛ける場所が無かったりするベンチの配置になっています。
ベンチはほとんど、多摩川を望む場所にあるのは、とてもよく理解できるのですが……
ここは桜もキレイで、東横線の車窓から多摩川沿いに見える桜色の丘はここになります。
むかし、こんなスイミングキャップが流行っていませんでしたっけ?
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