2009/06/29

安心な「翼をください」──調布飛行場周辺

2009.6.20
【東京都】

 調布飛行場は現在も、伊豆諸島(大島、新島、神津島)向けのコミューターが発着する空港として機能しています。
 一度くらいは利用したいと思うものの、結局「のんびりとフェリーで」を選んでしまうので(近ごろは高速船もあるそう)、まだ実現していません。したがって、ここは初めての訪問になります。
 東京にある空港にしてはローカル色が漂っていて、とてものんびりとした印象があります。
 とは言え、当然ながらその周囲は市街地に囲まれているので、「ジェット機の騒音に比べればまだマシ」という比較ではなく、「飛行機は落ちるもの」という危険性においては、厚木基地や沖縄の普天間基地周辺と変わりません。


 味の素スタジアム(東京スタジアム)(Map)

 以前と言っても、かなり古い記憶からの引用(1970〜80年代)になりますが、甲州街道を八王子方面に向かい、調布インターを過ぎた右側には、高い並木が壁のように続いている場所がありました。
 その木々のすき間からは、日本ではあり得ない(米軍住宅でしか見られない)ような、まぶしい緑のじゅうたんが見えた記憶があります。
 後述しますが、その木々の奧には旧米軍家族居住区の「関東村」があったそうで、返還後に並木の中ほどを切り開いてスタジアムが作られました。

 現在、サッカーのFC東京や、東京ヴェルディの本拠地になっており、最寄り駅は京王線の飛田給(とびたきゅう)になります。
 以前は周囲に何もないローカルな駅だったのですが、スタジアム効果で立派な駅になっていました。
 この飛田給の名称は、むかし、荘園の領主から民衆に給与した田畑を給田(きゅうでん)といい、この周辺の領主が飛田姓だったため飛田給田地から、飛田給となったそうです。
 世田谷区にも給田の地名があり、気になっていました。


 近ごろはやりの命名権(ネーミングライツ)契約により、競技場等の名称を貸与することで運営の助けとなるのであれば、運営会社にはとても有り難い収入源になると思われます。
 確かにこの名称は、スポーツニュース等でよく耳にするのでなじみつつあると思われます。

 命名権絡みで話が飛びますが、歴史も長い施設である渋谷公会堂(1964年東京オリンピックの重量挙げ競技の会場だったそう)を、突然「C.C.Lemonホール」などと言われても、「新しい施設ができたのか」くらいにしか思えないのではないでしょうか?
 黄色い広告に覆われたたたずまいを目にして、「ネーミングライツ契約とはこういうことなのね」と、これまでの記憶が「Paint It Yellow !(黄色に塗りつぶせ)」という思いがしました(契約料年間8000万円、契約期間は2006年10月1日からの5年間)。
 自治体(渋谷区)の考えも確かに理解できるところですが、でもわれわれの記憶はいくら積み上げても「お金にならない」と否定されたような、裏切られたような印象を受けてしまいます。
 ──渋谷区ではこれ以外にも、公衆トイレの命名権も募集しているそうです。「○○トイレの前を右折です」などと目立つような、ド派手な施設になるのだろうか?


 調布飛行場(Map)


 飛田給の駅を降りたときから、「ブルルルルー」というプロペラ機のエンジン音が聞こえ、ジェット機が発着できない離島の小さな空港に来たような「懐かしさ」が感じられます。
 ジェットエンジンと比べると、あのプロペラ機の「羽音(と表現したくなる)」からは、とても暖かみが感じられる気がします。
 滑走路の端には下写真のような丘があり、ベンチが設置されています。
 日照りの時は暑そうですが、この時間のような曇天のなら、いつ出入りするか分からないプロペラ機の発着を眺めるのは、羽田空港の慌ただしい飛行機の列を見るのとは違い、のんびりと落ち着いて見学できるように思われます。


 付近では過去に、上記のようなことを書いては怒られそうな事故(1980年に中学校の校庭に飛行機が墜落)もあり、「調布飛行場を考える市民の会」では、騒音、ストレス、危険性等から、早期閉鎖を訴えています。
 離島に向けた行政サービスである、都営コミュータ空港の役割としての緊急時の支援や救命活動等よりも、つり竿やゴルフバックを持つ客が目立つばかりで(わたしも利用したいと考えています……)、地元には何の利益もないとの主張です(緊急活動が多いのも困りますが)。
 都営コミュータは必要と思われますが、島民側からしても行き先は羽田の方がはるかに便利なわけで、どんな理由でこの場所に空港が必要と考えているのか、聞いてみたい気がします(都知事は「羽田はお金を稼ぐ施設」なんて言いそうな気がします)。
 ──ずっとむかしに関わりのあった、航空測量関連の施設(航空写真を撮るための飛行機および資材)を置くための空港は必要に違いないのですが……

 ここは、1941年に軍民共用の飛行場として開設されましたが(大規模な立ち退きを強いられたと看板にありました)、第二次世界大戦に突入すると、東京に飛来するB-29爆撃機などの迎撃に向かう戦闘機が飛び立ったそうです。
 当然、戦後はアメリカに接収されますが、現在のグラウンドや大学施設のある西側地域は、水耕農場(人糞堆肥を使用しない)とされ、「衛生的野菜」の生産場となったそうです(とても威圧的な表現で、カチンときます)。
 その後、代々木にあった米軍家族の居住施設を、東京オリンピックの選手村に使用するため、1965年にその代替施設としてこの場所に「関東村」が作られました(元居住者たちのコミュニティサイトもあるそうです)。
 関東村は1973年まで使用され、返還後は2000年頃に完成した現在の大学施設等が作られるまで、塩漬けにされていたそうです。
 ──きっとその塩漬けの期間に、甲州街道脇の「高い並木が壁のように続く」風景を横目に走っていたんだと思います。

 調べているうちに、その塩漬け期間の廃墟を警備していた人と、廃墟が撮りたくて不法侵入して追い出された人が、10数年後に連絡を取り合ったという、面白いサイトを見つけたのでアドレスを紹介します(http://www.tomosakata.com/kantomura1.htm)。


 野川公園(Map)

 ここは調布飛行場の北側にあたり、この日の気象条件から、飛行機は公園の上空をかすめるように着陸していました。
 立派な木の多い公園なので視界が開けず、低空で飛ぶ羽音(エンジン音)だけが響いてくると、やはり不気味な印象を受けます。
 公園の入り口付近に、幕末期に新選組局長として名をはせた近藤勇生家跡とされる一画があります。

 結局こんな写真しか撮れなかったのですが、木立と芝生が交互にある公園なので、以前はゴルフ場では? と思っていたら、国際基督教大学(ICU)所有のゴルフ場だったそうです。
 大学がゴルフ場ですか、とも思ったのですが、設立にはマッカーサーも尽力したそうですから、その経緯も見えてきますよね。
 国際基督教大学の敷地には、第二次世界大戦まで「東洋一」と言われた中島飛行機(戦後解体され、富士重工業、プリンス自動車工業等に分割)の研究施設があったそうで、東京ドーム13個分もの広さになるそうです。

 右写真の足元に広がる、木々に覆われた落ち葉地帯はふっかふかの感触で、こんな状態になるまで何十年かかるのだろう? と思われるような「腐植土を育てよう」とする意志が感じられます。
 いたるところに枯れ葉や枝を積み上げる区画を見かけましたし、そんな公園側の方針はしっかりと伝わって来ました。
 ここに落とし穴を作られたら見事にはまりそう、と思いながらも、ふかふかの落ち葉がクッションになって、落ちても痛くなさそうな印象もあります。
 でも、ニオイはキツそうですが……
 ここでは、当たり前のようにクワガタムシが見られるそうです(そうでしょうねぇ!)。
 今どきでは、そのように守られている森の近くに暮らす子どもたちを「恵まれた環境に育った」と表現するのかも知れません……
 もう都内には残されてないと思われますが、閉鎖されたゴルフ場があったなら、このような有効利用を目指しませんか?!

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