2009.8.1
【東京都】
この日歩いた多摩丘陵は、高尾山の東のふもと付近から、東は多摩川付近、南は横浜市の円海山(横浜横須賀道路釜利谷ジャンクション付近)まで及ぶ、東京都・神奈川県に広がる丘陵地帯になります。
縄文時代には海水面が高かったことから(都心の低地は海でした)、丘陵地帯には点々とその時代の遺跡が数多く残されています。
海水面が低下した弥生時代からは、谷戸と言われる谷の下に農地を開いて、稲作等の農業が始まったそうです。
1950年代から周辺一帯の開発が進み、里山とされた緑や田園風景が失われ、いまに至っています。
元もと丘陵地域なのでどの地も傾斜地ですから、決して安心して住める地ではないと思われます……
Wikipediaの説明が分かりやすいと思ったので、引用させてもらいます。
──映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)ではこの丘陵の開発が取り上げられ、また、映画『耳をすませば』(1995年)ではこの丘陵が開発された住宅地が舞台となっている。
開発に異議をとなえても止めることなどできず、それを受け入れた地においては、どんな夢が描けるのかを模索する姿が想起されます。
むかしながらの多摩丘陵にふれられる散策路が、高幡不動〜多摩動物公園〜多摩テック(2009年9月閉園予定)〜平山城址公園〜野猿(やえん)峠(甲州街道脇の「ホテル野猿」の看板はまだあるのだろうか?)に整備されているそうです。
多摩地域に残された森は、綱渡りのように歩く程度の、ほんの限られた場所だけになってしまったようです……
高幡不動(金剛寺)(Map)
高幡不動の名は通称で、金剛寺(こんごうじ)という真言宗(空海)のお寺になります。
「金剛」の名は、総本山である高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)の名や、その祈りに「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)と唱えられたりする、真言宗においてのキーワードになります。
密教徒(真言宗を含む)の間では「大乗」「小乗」に対して「金剛乗」とされるそうですが、密教が仏教に含まれるかについては見解が分かれるそうです。
わたしにもそんな印象があって、日本向けに練り直された教えではないかと思う面があり、そこにこそ、空海(弘法大師)の力が発揮されたように思われます。
通称の通り本尊は不動明王で、真言密教の本尊である大日如来の化身とされるそうです。
世間では「お不動さん」として親しまれていますが、日本人向きの信仰(即身成仏)であることを、この「お不動さん」の表現からも感じることが出来ます。
成田山新勝寺(成田不動)とともに、関東三大不動のひとつとされるそうですから(もうひとつの候補には3寺ほどあるそうです)、その人気ぶりがうかがえます。
多摩地域を歩けば「トシちゃんに当たる」印象のある土方歳三ですが、ここが菩提寺となるそうで、銅像が建てられています。
──その名から新撰組ではなく、むかしのコミック「マカロニほうれん荘」を連想するなど、新撰組への関心の薄さを自覚しています。
実家の土方家が保存・展示している資料館や、お墓も近くにあるそうなので、若かりしころはこの辺りを走り回っていたのかも知れません。
江戸時代の多摩地域は、雑木林が広がる山里のような土地柄だったでしょうから、出身者が侍に出世した(当人もよろこんでいたらしい)となれば、一躍名士〜郷土の誇りとされた様子が、現在でも見て取れる印象があります。
この地域では他に有名人がいないこともあるのでしょうが、多摩でひとり勝ちの「トシちゃん人気」(これまで何度かふれましたが)に接することが出来たのは、とてもいい見聞だったと思います。
多摩動物公園(Map)
ガキの頃、多摩動物園といえば「ライオンバス」でしたし、インド王宮のような塔が並んだ建物がとても印象に残っていました(塔は健在です)。
──当時、何でインドと思ったのだろう? 知らずともタジマハール等をイメージしていたのだろうか?
この日は比較的気温は低かったのですが、お昼寝タイムでしょうか「ライオンは(日陰で)寝ている」個体が多く、写真の彼女だけがそれらしく振る舞い、見学者をよろこばせていました。
現在でも人気があるようですから、子どもの興味の対象が変わっていないことへの安堵感と、手軽さという「親の感覚」も変わっていないのかも知れない、と思ったりしました……
象はどこの動物園でも、こちらに顔を向けてくれた印象が無いので、思わずシャッターを切りました。耳も開いてくれましたし……(アフリカゾウ)
見聞が広まってくると(年をとると)動物園とバカにしてしまう面もありますが、「こんな姿は初めて見た」という動物園ならではの光景に出会えることがあるので、足を運んでいるのだと思います。
下写真はグレビーシマウマで、右方向が頭になります。
左側の足の付け根あたりのしま模様が、とっても不思議に思えました。
シマウマのストライプ模様は、全部ストレートで1本なのかと思っていたら、途中で切れていたり、他とつながったりしています。
中でも、つながりそうでつながらない模様には、何かお互いの意志があるようにも思えてきます。
ここで、視点のネガ・ポジを切り替えます。
上記までは、白毛を模様と見た表現になりますが、お腹が白いことを踏まえると「白地に黒い模様が入る」と考えた方が自然に思えてきます。
そんな視点で考えると、黒毛の模様が変化・移動していくことになります。
下腹部あたりでは黒い模様が枝分かれしており、その辺りが模様の調整個所(変化の始まり)のようにも見え、途中で枝分かれしている模様を付け替え直していくと、キレイなしま模様が完成するようにも思えてきます。
しかし、当のシマウマがそれを完成型としているかは、疑わしいですよね。
だって、人間が勝手に「ストレートなストライプ」を望んでいるだけなのかも知れませんもの……
シマウマの気持ちを推測すると、遠くから見るとストライプ模様は、草原の風景に埋もれて判別しにくい、と考えられているそうです。
ここは、コアラが日本に初めてやってきた(1984年)地のひとつで、当初はかなり盛り上がっていた記憶があります。
写真も眠っている姿ですが、一日約20時間程度眠るそうです。コアラ館は安眠を守るためでしょうか、とても暗いので、ブレずに撮れたのはラッキーでした。
主食のユーカリの葉から栄養分や水分を摂取するものの、ユーカリには毒素が含まれるため消化が悪く、栄養分も少ないため、省エネのために寝て過ごすのだそうです。
──食べ物の消化に時間のかかるテングザルも、食後は消化されるまで眠って待つと、テレビで見ました。
「コアラ」とはアボリジニの言葉で「水を飲まない」という意味なんだそうです。
オーストラリアでは抱くこともできますが、爪は鋭いので引っかかれる危険性があります。でも、あのフサフサの毛並みに触ってみたい気持ちは、とてもよく分かります。
記憶はたどれないのですが、その毛並みの「繊細な毛の感触」を手のひらが覚えていました。
ですが、場所も覚えていないのですから、当時の関心の薄さがうかがい知れます(オーストラリアだったかなぁ…)。
下写真はオランウータンの子どもですが、とても人気があるようで、もの凄い望遠レンズを抱えた(アマチュアと思われる)カメラマンたちが群れていて、驚きました。
注目されている子どもなのかと調べてみても見あたりませんから、オランウータンの撮影会(?)だったのでしょうか?
って、そんなのあるの? 水着も着てないし……
多摩動物公園は、丘陵地帯の斜面に沿って各動物たちの飼育舎が点在しているので、一周するとハイキングくらい上り下りをさせられますから「今日は歩いた〜」という実感を得ることが出来ます(汗はダクダク……)。
この年になると視野も広がるので(休憩が多いだけ?)、周囲にも視線が向き「いい雑木林が残されている」と感じることができたりします。
ヒグラシの鳴き声(カナカナカナ)を久しぶりに耳にすると、風情があると言うのか、ガキの時分の「遊びの時間がもう終わる」と感じた、一種のさみしさがよみがえってきます。
いまどき、住宅街では耳に出来ませんから、当時はそれだけ身近に自然があった(身近に里山的な環境があった)ということになります。
帰りは、多摩モノレール(レールの設置高度が高い上、山を上り下りするので、ジェットコースターのような迫力が楽しめます。是非、先頭の席で楽しんでみてください)で、多摩センターに出たのですが、もうビックリ!
開発期の様子や、サンリオピューロランド開設くらいまでは知っていましたが、現在のこの姿がほぼ完成型なのでしょう。
都市計画があまりにも人工的過ぎて、便利ではあっても面白味を感じることのできない「不思議な町」になっていました。
開発計画が進められた時代(1950年代〜)における「未来都市」の姿なのでしょうけれど、そんな反省が横浜港北ニュータウン等に反映されているようにも思われます(別に好きなわけではありません)。
具体的なイメージは持っていませんが、「現在描く未来都市の絵」ってどんな姿なのでしょう?
実現した時に「何考えてたんだか?!」と、言われないようなビジョンを持たないといけません。行政に期待はできないので、自分たちで明確に持つ必要があるのかも知れません。
『平成狸合戦ぽんぽこ』のタヌキたちは、共存のために人間に化けて生活することを選びましたが、もう彼らの帰る場所は、この多摩丘陵からは失われてしまった、という印象です。
だから「狸オヤジ」が、人間界をかっ歩するようになったのでしょうか?
どっちも困っちゃうんですけど……
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