2009/07/27

生活を守るために──羽村の堰、横田基地

2009.7.19
【東京都】

 関東地方ではぐずついた天気が続くので「梅雨明け時期見直しか?」とも言われています。そんな時の用語に「戻り梅雨」なんて言葉があるんですね。
 九州・中国地方では大雨による被害が続いており、「まさかうちが被害に遭うとは…」の声をインタビューで耳にしました。
 「観測史上最多となる降水量」等のニュースをよく耳にする近ごろですが、温暖化の影響等が心配される将来では、安全な土地は思っているほど広くないのかも知れません……
 

 羽村の堰(せき)(Map)

 羽村の堰(正式名称:東京都水道局羽村取水堰)とは、多摩川から玉川上水に流れを誘導する取水施設(水源)になります。
 玉川上水の開削は江戸幕府による事業で、江戸市中への飲料水供給を目的として、この地から四谷大木戸(現在の新宿区四谷)までの43kmに渡って築かれ、1653年に開通しました(江戸開府は1603年)。
 現存経路の開削は半年余りで完成したそうですが、その前には2度(日野、福生(ふっさ)からの取水経路)の失敗があったようです。
 庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負ったものの、2度の失敗で資金が底をつき、自分たちの家を売って費用に充てたそうです。
 その功績に対して「玉川姓」の使用が許され、「玉川兄弟」と呼ばれるようになり、銅像が建てられるに至ったそうです。 めでたし、めでたし……


 右写真は、玉川上水最上流地点の様子です。
 ご覧のように、かなり豊富な水量が確保されています。
 玉川上水から想起されるのが、作家太宰治の入水自殺ですが、現場とされる三鷹市付近の現在の流れは小川のようで、とてもその場所で自殺したとは考えられない状況となっています。
 では、どこに流れているのかと言うと、この少し下流で取水され東村山浄水場に送られており、またその下流では、現役の農業用水(新堀用水)にも取水されているようです。
 下流域では需要が減ったため流量は少なくなり、水路の面影だけとなっていますが、上流の流れは現在でも、東京近郊の飲料水の水源として活用されているそうです。


 多摩川と玉川上水の分岐点(両側に流れのあるどん詰まり)の地は、東京都が整備している多摩川沿いの散策道「たまリバー50キロ」の終点にあたります。
 堰を見下ろすベンチでは、ゴール到着後の満足げな表情をしたサイクリストたちが、談笑をしています。
 ──この地には「歳の鬼あし多摩川50km」というマラソン大会があるそうです(歳とは土方歳三からの引用)。

 わたしも分割しながらですが、河口付近(羽田)から立川までは歩いているので、近いうちにそのフィニッシュを決めに来たいと思います。

 上写真、堰の下の流れは多摩川で、右下のおじさんは流れの中に陣取って釣りをしています。
 釣果は分かりませんが、最高の避暑だろうと思われます。寒いくらいではあるまいか?


 羽村市郷土博物館(Map)


 多摩川の対岸に市立の郷土博物館があるので、一息入れるつもりが、あまり涼しくありませんでした(28℃設定か?)。
 エコも分かりますが暑い日には、一服の清涼感も欲しい気がします。
 屋外にかやぶき屋根の古民家が保存されており、囲炉裏の火はこの季節も絶やされないようです。
 囲炉裏の火の熱は空気の対流を生むので、その温度差によって開け放たれた戸の外から自然の風が流れてきて、夏でも快適なんだそうです。
 その古民家の脇には、薪が積み上げられています(太めの薪は乾燥のために干されていました)。
 生活様式を伝えることを目指す施設なので、薪の蓄えも仕事のうちのようです。




 横田基地(Map)

 再訪の第一印象が「基地らしい基地だなぁ」というのは、「Air Base」(空軍基地)たる空港施設の広さはもちろん、フェンスの中の芝生はまぶしい緑ですし、基地城下町とも言える商店や関係者向けの住宅(木造平屋建てで、玄関の網戸が「バッタン」と閉まる家:マッチョな軍人が出てきたら怖いので撮れませんでした……)が、いまも健在で存在感を示していることによると思われます。
 現在もそんな印象があるのは、近郊では横須賀基地くらいでしょうか。厚木基地や司令部が置かれて注目される座間キャンプ周辺も、基地城下町的な雰囲気は皆無になりつつあります。
 ──ガキの頃の思い出として、横田基地を見晴らせるドライブインの屋上(3階建てくらいか?)から、観光バスの乗客もこぞって離着陸する米軍機を眺めていたことを覚えています(結構な人が集まっていました)。まだ庶民が飛行機に乗れない時代だったからでしょうか? 不思議な光景として記憶に残っています……


 1940年に、陸軍立川飛行場の付属施設である多摩飛行場として建設されますが、敗戦後の1945年アメリカ軍に接収されます。
 接収後の拡張工事により、北側では国鉄(現在JR)八高線と国道16号線が、南側では五日市街道の経路移設が生じたそうです。
 朝鮮戦争では出撃基地、ベトナム戦争では補給基地とされましたが、現在は「極東地域の輸送中継ハブ基地」とされるそうです。
 ──軍隊にもハブ基地は必要ですわなぁ……

 この基地に関しては書きたいことが多く、収まらないので、要点だけにします。
 ●「横田ラプコン(RAPCON: Radar Approach Control)」施設において、関東周辺(1都8県)の航空管制が行われ、米空軍の管制下に置かれているため、民間航空機はその空域を通れず遠回りするために、渋滞の原因になっているそうです。

 ●石原都知事が「民間共用化」を公約し、自衛隊との「共用化」から、民間チャーター便の就航を目指すそうですが、結局は調布飛行場程度のご機嫌取りで、周辺住民には歓迎されないのではあるまいか?

 ●国連軍の後方司令部が座間からこの地に移転したそうです。国連に対する施設提供を拒む理由はないにしても、いい顔をしたかったのでは? とも思ってしまいます。

 ここで主張したいのは
 ●「1971年に戦闘部隊が沖縄に移転した(させた?)」ということです。首都周辺に、煙が上がりそうな連中を置きたくない、という考えは理解できますが、沖縄に米軍を押しつけたのは、東京を重要視した日本国家である、ということです。
 ──沖縄の施政権が日本に返還されたのは翌年の1972年になります。

 基地には国を守るという大義があります。
 その基地周辺の民間地を守る義務は誰が負うのでしょうか?
 都知事が「これでも沖縄よりは安全なんだ!」なんて言ったら、どうしましょう……

 ここにはドデカイ、ゴルフ練習場があります(右上写真)。
 体力を持てあましている人には、これくらい広い練習場が必要なのだろうか?


 繁華街には及びませんが「福生ブランド」は健在のようで、電車に乗って訪れる若い女性の姿も見かけました。


●日食(神奈川県 等々力緑地)──7月22日(おまけ)


 46年ぶりに、日本で観測可能な皆既日食に向けての盛り上がりは、スゴイものがありましたが、残念ながら東京近郊の空は雲に覆われてしまいました。
 曇天だったため、暮らしを支えてくれる太陽に対しての畏怖(いふ)等を感じることもなく、「普段の曇り空と変わらない」としか思えなかったのは残念でした。
 ですが、たまたま雲間から顔を見せてくれた姿が、こちらとしては好都合なフィルターとなってくれたおかげで、わたしのカメラでも撮影が出来ました(これは拡大トリミングしています)。
 皆既日食の場にいないと、その意味が理解できないことをテレビ報道で理解しました。
 でも、洋上の船から見えたという、360度の水平線付近に広がる夕焼けのような光景は、ちょっと見てみたい気がしました。
 機会があれば、そんな体験をしてみたいと思ってしまいます……

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