2010/06/14

海へと広がる、空の港──羽田空港

2010.5.29
【東京都】

 今回から、多摩川沿いを歩こうと考えています。
 厳密な川沿いでは見所が少ない気もするので、川周辺のスポット等を探しながら歩こうと考えています(本シリーズでは神奈川県も歩くと思いますが、@東京に含めます)。
 ということで、まずは河口に面した羽田空港からスタートします。


羽田空港(Map)


 旅行で空港を利用する時というのは、出発時間が気がかりですから、余裕があっても食事やお茶する程度で、空港施設を見て回ることはできなかったりします。そんな関心よりも、心はすでに旅先に飛んでますしね……
 「空港まで見送り」なんてことも無いので、飛行機搭乗の目的以外でこの地を訪れたのは初めてという気がします。
 時間に余裕のある視線で見回すと、空港機能以外の余計な施設ばかりが目につき、ショッピングモールのような印象を受けます。
 最低限必要と思われるのは、準備し忘れたモノを扱うコンビニ、急な体調不良等に備えてドラッグストア、その場から発送してくれる特産品の土産物店と、立ち食いそば屋があればいいでは? と思ったりします。
 でも、目的地がローカル空港だったりすると、飲食店が営業していない場合もあるので、腹ごしらえは大切かも知れません……


 わたしは全日空(ANA)派なので、2004年開業した第二旅客ターミナルへANAが引っ越してからは、当初ビッグバード(現在は両ターミナルの総称)と呼ばれた第一旅客ターミナルに立ち入ることが無くなりました。
 久しぶりなので細かな記憶は薄れていますが、京急線出口から上がった正面にあるフードコート的な飲食スペースで、よく食事した事を思い出しました(どこもおいしくはないんですが……)。
 また、搭乗手続きを済ませた出発ロビー内には、第一ターミナルの方が飲食店は多かったのでは? との記憶もよみがえります。
 中まで入れないので分かりませんが、喫煙所とトイレの場所はキッチリ覚えていそうな気がします……(下写真まで3点は第二旅客ターミナル)


 羽田空港4本目の滑走路となる、D滑走路の運用に向けて管制塔が新設され、2010年に運用が始まりました。
 管制業務には全滑走路を一望する必要があるので、高さは116m(世界第3位)あります。
 下に見えるこれまでの管制塔は、埋め立て拡張後の運用開始(1993年)には、かなり注目された最新鋭の施設で、TV等で紹介されましたが、16年で役目を終えたことになります。
 空港の建設や拡張には長期の準備・工事期間が必要ですから、航空業界の情勢変化に対応することは、とても難しそうです。
 でも、このデザインもへったくれもない容姿は、役所的ではあっても「可及的速やかに(高い管制塔を造ればいいんでしょ!)」準備が進められた様子が、見て取れるような気がします……

 1984年から始まった、沖合埋め立て事業により新たに生まれた広大な土地は、すべて大田区に組み込まれたので、「東京23区最大の面積」を長年保った世田谷区は、その地位を大田区に譲ることになります。
 エーッ、知らなかった。世田谷区がずっと一番だと思っていました。
 D滑走路の建設でまた広がりますが、さん橋方式部分(全面埋め立てではない)はどんな扱いになるのだろう?


旧穴守稲荷鳥居(Map)

 羽田空港は1931年(昭和6年)、日本初の国営民間航空専用空港(軍は使用しないの意)として開港します。
 第二次世界大戦後(1945年)米軍に接収され、ハネダ・アーミー・エアベースとなり、拡張工事の際には、周辺住民に48時間以内の強制退去が命じられます(米軍の横暴ぶりは沖縄と同じ)。
 区域内の住民や、穴守稲荷の社殿(おそらくご神体等)だけはからくも移転しますが、鳥居は米軍も壊しづらかったようで、基地内にポツンと残されることになります。
 返還後も移設工事の度、工事関係者に事故や不幸があったりするいわく付きの鳥居とされます(テレビで紹介されると「心霊スポット」にされてしまいます)。
 現在は、東京モノレール・京急線「天空橋駅」近くに移設されています。
 もう元の神社とは切り離されたのでしょうか、現在は「平和」という額が掲げられています。
 そこには、米軍に接収された当時の思いが込められているようです。


穴守稲荷神社(Map)


 地域住民の思いが込められた神社であることはうかがえるのですが、でも、何の「穴」を守ったの?
 「堤防に開いた穴の水害から、水田や人々を守る」ことなんだそうです。
 アシ等の茂る湿地帯が、江戸時代(1804年)に開墾され堤防が築かれるも、嵐で決壊し海水による大きな被害を受けたため、住民が堤防の上に稲荷大神を祭り、水害が起きぬよう祈ったことがこの神社の起こりとされます。
 上写真は、賽銭箱にしるされた神社の紋で、描かれるのは稲穂と米俵(?)ですから(五円玉の穴を埋めたよう?)、豊作祈願とされたようです。
 湿地だった羽田一帯には、川からもたらされた栄養分もあり、水の管理ができればいい水田だったように思います。


 京浜急行空港線「大鳥居駅」の名称は、穴守稲荷が現羽田空港内にあった時分、この付近に「一の鳥居」(一番外側の鳥居)があったことによりますが、その鳥居は現存しません。
 現在の天空橋駅近くに移設され現存する鳥居は、1929年に京浜急行(当時京浜電鉄)が、当時の社殿近くに奉納したそうです。
 ということは、現在の「穴守稲荷駅」の名称は、神社の移転後に改名されたことになります。
 何でも、以前の穴守稲荷付近(現羽田空港内)まで路線があったらしい記述もあるので、京急はこの地域に力を入れていた分、米軍占領の影響も大きかったようです……

 そんな苦難を乗り越えてもらったおかげで、神奈川方面から空港へのアクセスがとても便利になったことを実感しております。
 「京急川崎」〜「京急蒲田」〜「羽田空港」という、とても有り難い列車があるのですが、現在早朝には運行されません(早朝便は、運賃の安さや、乗り継ぎ等の関係で、結構利用することがあります)。
 この先、D滑走路の運用開始(2010年10月31日)と同時に、24時間国際線化されると聞きます。
 バスやタクシー業界は歓迎でしょうが、鉄道系はどう対応するのだろうか?
 モノレールと京急線が運行するだけでは、その先が困ってしまうので、東京全体の対応が必要になります。
 でも、鉄道が24時間営業されると「終電だから帰る」と言えなくなりそうで、そっちの方が困るかも知れません。
 夜中まで飲んでも帰りの心配がないのは結構ですが、次の日が大変そうです……

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