2010.6.5
【東京都】
羽田(Map)
前回紹介した、羽田空港の新管制塔を望む多摩川河川敷に、バラックとしかいえない船着き場が並んでいます。
主に、釣り船用さん橋のようですが、国際空港脇の光景ですから、そのギャップにとても興味引かれる場所です。
鉄パイプを組んだだけの簡易的なさん橋で、どこの入口にも、仮設さん橋の設置許可証が掲示されているので、チェックが頻繁なのかも知れません。
堤防を挟んだ陸側に、船宿(宿泊、飲食、入浴ができそうな施設)があるので、昔からその場所に船を着けていたようです。
恒常的に利用できるさん橋を作れないのは、堤防等の護岸整備に関する法律があるのでしょう。
護岸の外側に構造物の設置を認めない役所から、商売への支障を盾に住民が勝ち取った状況のようで、そこには生活者のバイタリティが感じられる気がします。
ここから出ていく釣り船は狙う魚によって、観音崎や東京湾の対岸である木更津まで船を飛ばすそうです。
そんな様子を知ると、おおよそ8,000円〜の料金(サービス内容で異なる)も納得できるところですが、『釣りバカ日誌』のハマちゃんに、そんなおこづかいがあったのか、なんて思ってしまいます……(貸し切りは10万円〜)
かつて江戸幕府は魚介類を献上させるため、この地域に「漁猟特権」を与え、それをきっかけに羽田は、漁業の町として発展していきます。
その当時、漁業従事者は「猟師」と呼ばれていたそうです(捕るのは魚だけじゃなかったのか?)。
おそらくそんな頃から、江戸庶民の間でも魚介類(鮮魚)の人気が高まり、羽田沖で捕れる鮮魚類が「江戸前」と呼ばれるようになったのでしょう。
この付近で捕れ「絶品」とされる、穴子やシャコを食べた印象がないので判断できませんが、食べ過ぎると危ない(ダイオキシン等を含む)逸品でないことを祈ります……(怒られそうですが、自分にはそんなイメージがあります)
この付近には昔の堤防である、レンガ堤が残されています。
上写真のカメラ位置は車道になり、レンガ堤の奧が住宅地で、その先に現在の堤防があるので、住宅は以前の河川敷に建っていることになります。
その地域は、堤防の内側なので洪水にはある程度安心でも、地盤の強度には不安がある場所なのに、住宅建築許可が与えられたようです。
でも、そんなことをいったら、大田区の低地部分には家が建てられなくなってしまいそうです……(下写真は河川側から)
昔から「暴れ川」とされた多摩川流域では、台風等の水害を繰り返し被ってきました。
川岸を歩くと、水害の脅威は海だけではなく川にもあることが見て取れ、前回紹介した、穴守稲荷神社への祈りの切実さが、とてもよく理解できます。
神奈川県側では、1907年、10年(明治40年、43年)に大洪水が続けて起こり、困り果てた流域の住民たちが、アミガサ姿で県庁に詰め寄り「多摩川に堤防を!」と嘆願します。
これは「アミガサ事件」と呼ばれ、それを機に多摩川の下流部(二子橋より下流)の、多摩川改修工事が始まったそうです。
しかし1923年(大正12年)の関東大震災によって、一帯に作られた堤防等の公共施設および、工場施設等は全滅してしまいます。
その復興の礎として、このレンガ堤が作られたそうです。
当時の町並みは、このレンガ堤(川の流れ)に沿って区画されたため、堤は当たり前のように存在し続けています。
この遺構を壊す必要に迫られる大きな再開発等が無い限り、部外者ながら残して欲しいと思ってしまいます。
川岸で目につくのが、アサリ採りに夢中な人たちです。
先日目にした地域の話題に、川崎市の埋め立て地にある「かわさきの浜」の潮干狩りに、予想を超える数の人が押し寄せ、解禁から10日足らずで一時禁漁の事態になった、とありました。
そこも、この場所も、無料であることが人気の理由のようですが、潮干狩りという「採集作業」には、本能的に没頭してしまう民族性や、労働成果が目に見えることから、人気があるのかも知れません。
それを、都心近くで商売にできるような砂浜があれば、人は集まると思われますが、そんな場所が無いから集中しちゃうんですよね……
上写真は一般人のようですが、大きな貝採り用のカゴで採るプロ(?)のおばあさんもいます。
近所で売られてるのかも知れませんが、果たしておいしいのだろうか?
でも、ガキの時分に潮干狩りに行った1970年前後の、幕張、船橋、金沢八景の海と比べると、現在の方がはるかに安全という気がします。
公害で騒がれていた時代の貝を食べても、まだ生きているのですから、現在の貝も大丈夫なのでしょう……
この付近にはかなり広い湿地帯があり、草の茂みから普段聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえてきます。
でもここでは、バードウォッチャーの姿を見かけません(マニアが求める鳥がいない、観察の時間帯が違う、観察ポイントが違う、のか?)。
われわれ素人は、聞き慣れない鳥の鳴き声を耳にすると、即「バードサンクチュアリ」と考えがちですが、そう単純なものではないのかも知れません。
多摩川下流で「子どもたちが素足で遊べる干潟づくり」を目指して活動するNPOが、環境保全活動に取り組んでいます。
川を取り巻く周辺環境を、川岸に立地する企業の協力を得て、子どもたちに体験学習させています。
目指すところは、素晴らしいと思えるのですが、下流域だけが頑張っても難しい面がありそうです。
理想としては、多摩川流域の各地域で、それぞれの目標を掲げる団体が地域活動を広めた上で、流域全体という視点での連携が生まれることではないでしょうか。
前述のレンガ堤のような、古い施設として目にとまるのが、石造りの「六郷水門」で、昭和6年完成のプレートがあります。
この施設は現役で稼働していますが、水門の内側には狭い船だまりしか残されていません。
かつては六郷用水の終端で、雑色(ぞうしき)運河の水門としての役割がありましたが、現在その用水路や運河は存在しません。
現在も水門付近に六郷排水場があるので、生活排水路(下水)とされているようです。
そんな水門付近は、テナガエビやハゼ釣りのポイントのようです。
河口に近いので、潮の影響をかなり受ける場所ですが、どう考えても下水からの栄養分に群がっているように思えます。
ある意味それは「栄養連鎖」と言えるのかも知れません。
でもわたしが想起するのは、発電所(原子力・火力)の排水溝から流れ出す「暖かい排水」に群がり、異常に巨大化した貝類等のイメージになってしまいます。
近場で「釣る」「採る」ことの楽しみは理解できますが、あまり口に入れたいとは思えません。
でも、自分で釣ったり、採った魚介類というのは、リリースも食べるも自由ですが、その安全性は自分のお腹で確かめるしかないんですよね?
海の幸には保証がない、と考えてしまうと、食べるモノが無くなってしまいそうなので、忘れることにします……
0 件のコメント:
コメントを投稿