2010/07/26

ご近所で感じる江戸のなごり──小杉

2010.7.10
【神奈川県】


より大きな地図で 多摩川 を表示

 今回は、普段の散歩でよく歩くご近所になります。
 何度となく前を通りながらも、ちゃんと調べたことがなく、「まとめれば、一本できそう」という安直な企画です。
 動機としては、梅雨どきのゲリラ豪雨を避けやすい場所にしたかった、になります……

 ※今回から、概略地図を表示し、各地点を詳細表示にしました。


旧小杉御殿周辺(Map)

 現在武蔵小杉駅付近は、JR南武線・横須賀線、東急東横線・目黒線のターミナル駅として、さらに開発が加速されそうな勢いですが、江戸時代この地域では、中原街道沿いに造営された徳川家の小杉御殿(1608年)のあった、現在の等々力競技場付近がにぎわっていました。

 右写真は、安藤家の長屋門(両側に門番や使用人部屋の長屋が作られた門)になります。安藤家は後北条氏(小田原北条氏)の家臣で、江戸時代には名主の代表格とされ、歴史的な資料が多数保管されているそうです。
 すぐ近くに原家という、こちらも立派な門構えの名主の屋敷跡があり、母屋は日本民家園に移築されています。街道沿いでは「原」姓の表札をよく見かけ、どれだけの大地主なのか見当も付きません。

 この付近は、武蔵小杉にあるイトーヨーカドーの帰りに、レジ袋を下げて歩くようなご近所で、カメラのフレームで切り取ってみると、とても絵になるものだと改めて感心しました。

 右下写真の両脇は醤油蔵で、奧には瓦屋根が並んでいます(上述の門から街道沿いに数分)。
 ここだけ見たら、竹原の美観保存地区のようですが、限られた範囲でも川崎に残されていることが、ひとつの驚きです。

 ここは旧石橋醤油店で、現在は営業していませんが、蔵や醤油だるなどを文化財として保存しています(現在も土地の名士で、様々な活動に協力しているらしい)。
 1870年(明治3年)創業ですから、比較的新しい建物ですが、ここでも創業者に「原」(文三郎)という名前が登場します。
 当時は「キッコー文山」の商標で販売し、丸子の渡し(橋のなかった時代)の船頭が「お前のお客のために船を出すようなもの」というほど繁盛したそうです。
 関東で多い「キッコー」の商標は、香取神社(千葉県香取市にある、農耕・水利・海の仕事の神)の紋である「亀甲」が尊ばれたことによるようです(キッコーマンの由来より)。
 一方、西日本方面で多い「キン」の名称は、金刀比羅宮の紋(○に金)にあやかったそうです(小豆島のマルキン醤油の由来より)。
 どちらもしょう油醸造に大切な「水」にまつわる神様を尊んだようです。
 背景となる文化の違いは、味の個性に表れますから、各地のしょう油で名物を食し、比べることができたら楽しそうですね(関西・九州にも東日本育ちがおいしく感じるしょう油があります)。

 街道沿いとはいえ、小杉宿とされたのは1673年(江戸開府は1603年)で、東海道が整備され徳川家の小杉御殿が取り壊された後になります。
 東海道がメイン街道とされたのに、中原街道を利用する人はいたのか? と思うところです。
 それが東海道では、大名行列の追い越しは禁止されていたため、急ぎの旅人などには、東海道のバイパスとして重宝されたんだそうです。
 わたしも、最初からバイパスを選択しそうなので、ナットクです……

 明治時代、府中街道と交差する小杉十字路辺りには、旅館、料理屋、劇場などが立ち並び、大正には乗合馬車の停留所が出来るほど、たいそうなにぎわいだったとあります(現在の新丸子駅近くには遊郭があったと聞きます)。
 しかし、JR南武線の前身である南武鉄道線の開業(1927年:昭和2年)、東横線の開業(1939年:昭和14年 当初は「工業都市駅」の名称)に伴い、にぎわいは現在の駅周辺に移っていきます。


 「梅雨明け10日」といわれる、夏を実感する安定した晴天が続くころ(今年は酷暑日が続くころ)なのに、まだ梅雨ネタが残っています……(天候や仕事を考えるとストックも必要なので)

 「梅雨の晴れ間にやっておこう」という方が多いのでしょう。上写真の西明寺(真言宗)境内の墓地では、お墓参りと掃除に訪れる方が目につきました。
 この辺りでは旧盆(7月15日を中心行われる)の習慣が根付いているようで(部屋の大家さんも旧盆行事を行っている)、軒先にはキュウリやナスで作られた「精霊馬」(しょうりょううま)が並べられます。
 キュウリは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように。ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、あの世に帰るのが少しでも遅くなるように。また、供物を背中に乗せてあの世へ持ち帰ってもらいたい、との願いが込められています。
 今年は平日だったので目にすることもできず、写真も撮れませんでした。
 街道筋にそんな精霊馬が並ぶ光景は、タイムスリップしたような情緒を感じさせてくれます。


等々力緑地(Map)

 等々力緑地(とどろきりょくち)には、Jリーグ 川崎フロンターレのホームスタジアムとして知られる等々力陸上競技場があります。
 ──以前はヴェルディが川崎時代に使用しており、その前身である読売クラブ時代の、カズ、ラモス、トニーニョのサーカスのようなプレーに目を見張ったものです……

 他にも、等々力アリーナ、野球場、プール、テニスコート、釣池、川崎市民ミュージアムなどの施設が立地しています。
 以前は農地とされていたようですが、周囲から迫る住宅地と公園の境界付近は、人工的とは思えないゆがんだ円弧状の道路に縁取られています(Map水色の線)。
 それはおそらく、多摩川が蛇行していた時期の流路のなごりと思われます。
 多摩川は頻繁に氾濫を繰り返し、その度に流路が変わるような暴れ川だったので、流域の住民たちは生活に困窮したと聞きます。
 でもそんな状況を地図から想像すると、以前、東京都世田谷区の等々力と、神奈川県川崎市の等々力が、地続きのだった時代に様子が見て取れるような気がしてきます……

 競技場では、陸上競技の記録会が開かれていました。
 中学時代だったか、市内の学校を集めて行われた記録会の記憶がありますが、いい記録が期待できない連中には、テキトーに種目が割り当てられ、困惑したことを思い出しました。
 ハードルの練習を結構しましたが、結果はしかり。そんな記憶がよみがえった時って、リアクションに困るから、思わず苦笑いしちゃうんでしょうね……


 上写真の釣池は結構広く、中に浮かぶ島はサギ類のねぐらになっており(噴水の奧)、雨が降らないとフンだらけで真っ白になってしまいます。パラソルがレンタルだったら、池の周りがカラフルになるので、Good!
 大きな池のとなりに、日本庭園とされるほどよい広さの池があり、そこはカワセミの観察ポイントのようで、もの凄い望遠レンズを付けたカメラが並んで待機しています。
 東京近郊にカワセミの出没スポットが増えている、と以前テレビで見ましたが、実際にスポットをいくつも見かけるので(戸越公園和田堀公園等)、実物は目にしなくとも、実感できる気がします。
 出没頻度が増えれば、身近な鳥とされてしまうのですが、一度撮ってみたいとも思います。


 この日は、全国高校野球選手権(夏の甲子園)神奈川大会開幕の前日で、近くの橘高校が練習をしていました。
 彼らは日々の練習で「等々力まで往復」(7km程度)のランニングをしていて、自宅付近でもダラダラ走る姿を見かけます。
 目的地の設定は理解できますが、もう少し集中できる練習メニューの方がいいようにも思います。
 これをアップしたころには、神奈川代表が決まっていそうです(出身校は早々に敗退しました)。

 自分が打つつもりのタイミングで、「いち、にの、さん」でシャッターを押すのですが、これが付いてこないんですよ。
 これまで不便は感じなかったのですが、デジカメでよく話題になる「シャッター反応速度」ってこういうことなんだ、と実感しました。
 スポーツにおける判断・動作スピードというものは、カメラの動作スピード以上に、もの凄く短い瞬間の「反応」から生まれることを、改めて思い知らされました……(彼は、レフト前のクリーンヒットです)
 スポーツカメラマンって、チャンスにはシャッター押しっぱなしなんでしょうね。

 でも、いま打席に立てばきっと振り遅れるんだから、「シャッター押す反応も鈍いんじゃないの?」といわれたら、返事に窮してしまいそうです……

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