2010.7.31
【東京都】
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静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)(Map)
多摩川河川敷にある二子玉川付近から都心へ向かうと、かなり急傾斜の国分寺崖線(がいせん:川が丘陵地を浸食したなごり)が立ちはだかります。
この付近の河川敷は、多摩川と野川が合流するため広くなっているので、坂の上から見下ろす光景には開放感があり、以前から人気があったことも納得できます。
二子玉川にできた高層マンションから見下ろすと、付近の地形の様子が手に取るように分かるんだと思います。
その坂の上(敷地は斜面下まで含む)に、静嘉堂文庫という、三菱財閥2代目総帥の岩崎弥之助(号を静嘉堂と称した)、4代目小弥太父子のコレクションから始まった、図書館・美術館があり、日本・東洋の古典・古美術品を収蔵・公開しています。
弥之助は、三菱財閥の創設者岩崎弥太郎の弟で、銀行・倉庫・地所・造船など経営の多角化に取り組み、その後第4代日本銀行総裁となります(経済界のリーダー的存在でした)。
ここでのツッコミどころは、彼の奥さんが土佐藩の要職を務めた、後藤象二郎(吉田東洋の教え子で徳川幕府擁護の立場であったが、龍馬の進言を受け入れ大政奉還を推進し、新政府の要職に就く)の長女であることです。
大河ドラマ『龍馬伝』ネタですが、現在までの放映では、階級制度の厳しい江戸時代の土佐藩において、後藤の部下である兄の弥太郎は、まだあごで使われる状況が描かれています。
その当時、弥之助と後藤の長女との結婚は、世間がひっくり返らない限り実現しようもない「ありえない話」だったはずです。
そんな驚天動地の出来事を、ドラマの巻末にでも添えてもらえればと思っています。
龍馬は、新しい日本を見ることなく死んでしまいますが、そこで幕引きにしないために、弥太郎をナビゲーターとしているのだと、期待しています……
ここは、弥之助の墓とされた丘陵地の一画に、文化施設を建てたもので、墓地の区域はそのまま残されています。
しかし何で成金というか成功者は、偉そうにまつられるのでしょう。財閥の総帥ともなると、周囲がはやし立てるのかも知れません。
眺めのよさそうな(現在は木がうっそうとしていて展望はない)高台へ向かう石段は、まるで神社仏閣の参道のようですし、そこに鎮座する廟(びょう:先人の霊を祭る建物)の存在感は、昔の賢人をたたえるようでもあります。
右写真の廟の扉には、人々の暮らしについて描かれているようです(近寄れず詳細不明)。
これは想像ですが、勤勉の大切さを説く、中国の故事から引用されているような印象を受けました。
ドラマの弥太郎には、立身出世物語の下地となる、踏みつけられても決してあきらめない姿勢が感じられ、これから巨万の富を築くことにも、納得できる部分があります。
でも、近ごろの富というものには、うさんくささや、バブリーな印象がつきまとうので、コツコツと努力を積み重ねることを、バカらしく感じてしまう面があるように思います。
岡本公園民家園(Map)
静嘉堂文庫に隣接する場所に岡本公園民家園がありますが、岩崎家に土地を分けてもらった印象を受けます。
国分寺崖線と、それに沿って流れる丸子川(上流は仙川)に挟まれた立地なので広くはありませんが、崖線からわき出る水が豊富なので、木々がうっそうと茂っています。
わき水を利用したホタルの飼育が行われますが、近ごろは数が少なくなったそうです。
そんな緑地の中に、瀬田に残されていた古民家が移築復元されています。
東京都とは言え昔の世田谷は、開発前の多摩地区と同様の農村でしたから、のんびりとした光景が広がっていたようです。
神奈川で古民家を目にしても「またか」と思うのに、川を隔てた東京では「世田谷にもこんな民家があったんだ」と、感心するのはなぜなんでしょう?
東京は転入者が多すぎて、土地に根付いてきた人たちの割合が極端に低くなり、郷土のあり方も転入者に受けのいい、不動産関連会社の意向に沿ってきたような気がします。
地元自治体も、ようやく独自カラーを打ち出すようになりましたが、裏返すと「不動産が売れない(転入者が増えない)」ことによる焦りにも思えます。
これ以上国全体の人口は増えないとすれば、自治体間でも「住民」を奪い合う状況になるかも知れません……
付近の国分寺崖線の急坂に「岡本三丁目の坂」と呼ばれる坂があります。
わたしの中では『俺たちの旅』(1975年放映のテレビドラマ)の舞台である、紀子さん宅への坂道の光景に直結します。
両側の家並みが変わったのは当然ですが、交通の便がよくないせいか付近に高い建物はないので、坂を眺めていると、カースケ、オメダ、グズ六たちが、リヤカーを押している絵がよみがえってきます。
その坂は、晴れた日の富士山展望が見事なことから「東京富士見坂」のひとつとされています。
用賀プロムナード(Map)
今回の、用賀〜砧(きぬた)公園〜岡本〜二子玉川(今回は逆ルート)は、まま歩くルートですが、こんなに閑散とした砧公園は初めてと思います。
いくら緑はキレイでも水遊びはできないので、こんな猛暑の昼間に人が集まる場所ではないと、汗をぬぐいながら納得しました。
周囲のジョギングできるコースは木陰なので、まばらですが人出があります。
以前付近の住宅地で、家の通用口からジョギングスタイルで出てくる松任谷正隆氏と出くわしたことがあります。あちらも「あっ、見られちゃった」というタイミングで目が合いました。
中村雅俊氏(カースケ)も走ると聞いたことがあるので、周囲の目を気にせず走れるコースのようです。
用賀駅と砧公園・世田谷美術館の間に、用賀プロムナードとされる遊歩道があり、路面に瓦が敷き詰められるので「いらかみち」とも呼ばれます。
何で瓦なのか? については、淡路島産の瓦を使用している、とあるだけで、その理由までは見当たりません。
路面に百人一首や絵が描かれることから、丈夫で加工しやすく身近な素材との理由なのかも知れません。近所の方々にも評判はいいようです。
これをデザインしたのは、象設計集団という建築家集団で、沖縄の名護市役所庁舎(1981年建設。最初は廃虚となった城(グスク)を想起しましたが、年月を重ね色がくすみ、緑に覆われることで、目指す姿に近づいていくような印象を受ける、存在感のある建築物です) を手がけたそうです。
上写真は、砧公園側の入口にある鬼瓦。ちなみに、 鬼瓦職人のことを「鬼師」と呼ぶそうです。
サザエさん通り(桜新町)(Map)
特に見たいわけでもないのですが、できれば見る態勢を整えたいと思ってしまう「サザエさん」です。
日曜日の18:30〜19:00という時間帯に、テレビの前に座ってサザエさんを見ている事自体に、ホッとするのだと思います。
このように、テレビ番組が生活のタイムテーブルとなり続けているのは、他ではNHK7時のニュースくらいではないか?
なくても困らないが、目にできると落ち着く存在であることは確かです。
こちらも特に期待するモノはない「長谷川町子美術館」ですが、ある程度人が入っていることと、サザエさんがいまの子どもたちにも人気があることに、ホッとしたりしました……
断続的ですが、(記憶はないが)タラちゃん(3歳)くらいの年齢から見はじめ、カツオ(11歳)、マスオさん(28歳)をはるかに超え、次に目指すは 波平さん(54)だなんて、自分だけ年をとってるような気分にさせられます。
そんなキャラクターの年齢設定を調べていると、銭形警部(29歳)、サザエさんとヤッターマンのドロンジョは同じ24歳など、アニメキャラの年齢比較が流行っているとありました。
キャラクターは年をとらないにしても、みんな設定年齢より上に感じられるのは、声優さんが年を重ねているせいかも知れません……
上写真は駅前通の「花沢不動産?」なので、サザエさん通りではないのですが、マッチングのうまさに最もインパクトを受けた光景です。
商店街のいたるところにキャラクターが配され、町の活性化に利用しつつ、サザエさん(美術館)の宣伝にもなる、共栄を実現しています。
でもちょっと危険な組み合わせと思われたのが、サザエさん一家と寿司屋のコラボレーションです。キャラクターがネタにされてもいいの?
きっとサザエさん一家が百歩譲ったのでしょう、店先の目玉メニューに出されていたのは、旬とされる「アナゴ丼」でした。
アナゴさんなら仕方ないかと……
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