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線路も道路も工夫が必要な急斜面だからこそ、前回の目白台からの眺めもいいわけで、元目白御殿の主もそれが自慢だったのかも知れません。
以前荒川線沿線を歩いたころ「まもなく新型車両登場」と耳にするも未乗車なので車内は未見ですが、外装は「ローズピンク」に統一されたようです。
見慣れてないとはいえ、どうせなら東急世田谷線のようにカラフルなカラーバリエーションにしたらどうか、と思ったりします。
でも、東京都のイチョウのマークは緑であるように、グリーン系の方がしっくりくるように思ったりします。
今回の初対面では「何か違う」印象から、緑の車両が来るまで待ったりしました。
鬼子母神(きしもじん)(Map)

この日鬼子母神と大鳥神社境内では「手創り市」が開かれていて、さまざまな個人商店が並び、境内には屋台が出るような人出があります。月一回の開催が定着しており関東では先駆的な催しのようです。
手作りのモノには女性がよろこびそうな品が多いようで、「ステキな場所を教えてくれてありがとう」と、感激する若い女性の声が聞こえてきます。
以前紹介した常設の駄菓子屋は健在で、店の老夫婦もお元気な様子です。
子どものころ店に群がった連中が大人になり、境内にお店を出したいと集まるとすれば、思いの込められた催しとなることでしょう。
このザワザワ感は身の丈に合った規模(小ぶりの縁日的サイズ)なので、わたしでもフラッと立ち寄れるような印象があります。
上の駄菓子屋は、老夫婦にとっては生活の一部としても、周囲の人にとっては「あの場所にあって欲しい店」でしょうから、お節介ながらも後継のビジョンを考えるべきと思ってしまいます……

映画では、寡黙ながら実直な兄が若くして家長となり、それ以来他の生き方はできなくなるも、年ごろの妹は恋愛の失敗にもくじけず羽ばたこうと夢を抱きます。
そんな兄を父親のように支える妹と二人の、雑司ヶ谷でのつましい暮らしぶりが描かれます。
わたしも妹一人という境遇から、共感したのかも知れません……
地下鉄副都心線建設や、都電荒川線沿いの道路整備から、防災の点でも見通しが利くようになり、周辺にも新築の建物が増えましたが、地域のつながりは健在のようで「ぬくもり」はいまも失われていないように感じられます。
周辺にはとても好きな空気感があるので、足を踏み入れた瞬間に心身共に和める空間と感じられるのでしょう。
お互いにそのラーメンが好きだったんでしょうね。
そんな仲間(?)に対して親近感を覚えたこと思い出します……
雑司ヶ谷霊園(Map)

明治維新に伴い、埋葬に関するさまざまな法令の改正から共同墓地が必要とされ、青山や谷中とともに明治7年(1874年)開園されます。
同時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で寺が消え墓地の存続が不安視される中、新政府の指示に従うべきとの気分の高まりなのでしょう、この墓地にはジョン万次郎、夏目漱石、竹久夢二、泉鏡花等の墓があり、墓めぐりが人気とも聞きます。
墓めぐりの趣味はありませんが、ジョン万次郎については墓ではなく、彼が主役の大河ドラマは波瀾万丈でおもしろそうと思い、見てみたいと期待するのですが、いかがでしょう?

第二次世界大戦の空襲の際、この地域は被害を免れたおかげで、地域(豊島区)の学芸員の方も「裏道にも江戸の面影が残っている歴史的地域。緑も豊富です。区外の人を案内するときは、必ず雑司が谷を紹介します」とされる地域になります。
右写真は、護国寺方面にある店(花屋、お茶屋、石屋?)。
店の性格からしても、こんな風情こそがふさわしいと思うし、建物の背後に墓地を背負っているので、建て替えの際の選択は難しそうと思ったりします。

ここは徳川五代将軍綱吉が、母である桂昌院(けいしょういん)の願いにより1681年に建立した真言宗豊山派の寺院になります。
総本山は奈良県の長谷寺ですが本部は文京区大塚にあるらしく、徳川家とのつながりから関東を地盤としたようです(西新井大師など)。
桂昌院は貧しい家に生まれるも将軍の母となった経緯から、「玉の輿」の語源である「お玉ちゃん」とされますが、どうも否定的な意見が多いようです。
護国寺に足を踏み入れると、突然大学時代の同級生の顔が思い浮かび、なぜか考えながら歩いていると、境内の案内図に答えがありました。
彼は寺に隣接する「日大豊山高校」出身でした。卒業以来会ってない顔を想起するのですから、大切にすべき「記憶」なのでしょう。
その学府は護国寺により設立されますが、後に中学校・高等学校は日本大学へ、大学は大正大学へと移管されます。

墓地東側に木々がうっそうとした場所があり向かってみると、申し訳程度の遮へい板で視界が遮られています。
帰って調べるとそこは、豊島岡墓地(としまがおか)とされる天皇・皇后を除く(「○○天皇陵」などに入れない)皇族用墓地で、1873年から使用されているそうです。
右を向く人たちがこの寺に埋葬されたい心情には、そんな場所柄もあるのかも知れません。
本堂裏にある共同慰霊碑の花差しの水を飲んでいたネコが、わたしの気配に振り返った絵です。
付近ではネコをよく見かけ、蔵の門番をしているつもり? というヤツも見かけました。

国指定重要文化財とされる「月光殿 」での茶会の帰りのようです。月光殿前には「拝観拒絶」(だったか?)強い口調の張り紙あり、振り袖姿の若い女性も見られましたが、「写真も撮ってやらねえぞ!」ときびすを返します。
春の茶会帰りの着物姿には、華やかさは違うものの映画『細雪』(1983年 監督:市川崑 出演:岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子)を思い浮かべました(古すぎ?)。
市川崑監督もやる気満々だし、吉永さんの押さえる演技(得意な演技)もはまって、素晴らしい映画だったことが思い出されます。
そんな記憶が、季節感と共によみがえるためには、作品に印象的な「季節」が刻まれる必要がありますし、観る側にも映画・実生活に「季節」を感じる「感性」が必要とされます。
日本人は季節感という感性を深めながら成長(年をとるの表現か?)するため、年齢によって感じ方に違いがありますから、生涯楽しめる映画であるのかも知れません……

その名称は貴族の衣服の萌黄色(もえぎいろ)に近いため、以前は「黄桜」とも呼ばれました。
清酒の黄桜を思い出しますが、その宣伝はこの花を想起させるものでは無く、一般的な桜だったように思います。
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