2012/04/09

この春は、明るくいこう!──新大久保〜高田馬場

2012.4.1
【東京都】──「山手線を歩く! ⑫」


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 東京でも桜の開花が発表されました(本稿アップ時は満開!)。
 寒かった冬や、昨年の桜には複雑な思いがあったせいか、今年の春には格別な感慨があります。
 日本人は「季節」を生きていますから、春の便りには「さぁ、これから!」と、心身共に活動期への合図と感じる面があります(冬眠中のクマは完全に寝ておらず、ねぐらでモソモソすることに似ているかも知れない)。

 この季節を新年度という「新しい年のスタート」に重ねた狙いは、見事なくらい「日本的な演出」に思えます。
 ですが、東大などが準備を進める「9月入学制」は、世界と足並みをそろえるためには必須要件になります。明治維新により西洋の教育が取り入れられた当時は秋入学だったと聞きます。
 新しいランドセルを背負う「ピッカピカの一年生には桜が似合う」という島国の情緒は、この先あっという間に消えるかも知れません……


西戸山(とやま)公園野球場(Map)


 ガキ時分に野球しかなかった世代には、いくつになっても春の関心事は「球春」になります。
 春の甲子園の選手宣誓を目にして「現代の高校生は大人になった」と感心しましたし、彼らならわれわれより「明るい未来」を築いてくれると、託せる思いがしました。

 ここは新大久保〜高田馬場駅間の山手線外側に見えるグラウンドですが、今回初めて歩きました。
 日当たりはいいと思うも内外野共に人工芝とされるのは、手入れに手間がかかるということなのでしょう。
 両翼は90mあるもホームベースがバックネットに近く、ワイルドピッチでもボールが跳ね返ってきて進塁できないのでは? そんな「球場向けの作戦」がありそうです。

 高めのボール球を振り抜いた打球は大ファールでも、積極的にいこう!


戸山公園(Map)


 「サクラサク!」の声にジッとしてられない面々は、もう繰り出しています。
 まだ咲き始めで、木々が何となく色づいてきた程度ですが、待ちきれない人たちは平年より低い気温の中でも宴会決行です。
 桜には早いも、モクレンがキレイだったので「花見の第一部」としては上々というところか(彼らは三部構成で花見をやりそうな勢い)。
 でも、公園でゴザ(シート)敷いて春の到来を体感しながら飲み食いすることは、この季節の最高のよろこびですよね。

 この後に歩いた同じ戸山公園の早稲田側には場所取りのシートが敷かれてあります。今晩の宴会準備のようで「まだ夜は寒いんじゃないの?」との心配も、以前自分もこんな陽気にやってた口ですから、カゼ引かないように気をつけて、としておきます……


 現在戸山公園とされる緑地帯は、学校施設や都営住宅で分断される状況から、元は一括管理されていた土地を東京都の権限で各公共事業に配分した様子がうかがえます。
 江戸時代には尾張徳川家(ですから徳川本家)の下屋敷があり、水戸徳川家の小石川上屋敷と並ぶ大庭園がありました。
 右下写真は現在箱根山とされ、当時「戸山山荘」として整備された際、池を掘った土を積み上げ造成されます。人工の山ですが山手線内では標高の最も高い地点(44.6m)だそうです。

 明治時代に入り跡地に陸軍戸山学校が開設され、第二次世界大戦敗戦まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに使用されます。
 ここでの訓練には、各隊のラッパ長を対象とした「ラッパ譜訓練」があったそうで、唯一の遺構として軍楽隊の野外演奏場跡が残されています。
 ゴジラの背びれ(?)のような石が並ぶ山の下には、当時の銃弾が多数埋まっていると、多くのサイトに「シラ〜ッ」と書かれていますが、それでいいのかよ!
 この地で液状化現象は起きないと思うも、銃弾がニョキニョキ出てきたらどうするのだろうか?

 この軍部施設は早稲田大学に近いので、慶應義塾日吉の軍部への協力を想起し調べてみると、「早稲田軍教事件」という騒動があったようです。
 1923年(関東大震災の年)大学内に陸軍後援の軍事研究団が結成され、学内での軍事教育の足がかりを目指しますが、それに反対する学生や教授が文化同盟を結成し、それを阻止します。
 状況の違いもあるので単純な比較はできませんが、「早稲田には骨があった」というイメージを裏づける経緯と思うのですが、今どきは……


早稲田大学(Map)

 日曜日でも入学式は4月1日にやるものでしたっけ?
 戸山公園に面した道の反対側には大学の施設があり、そこにごった返す人の群れに驚きましたが、早稲田一帯は人で埋め尽くされていました。
 入学式ですから不作法者はいないにせよ、普段なら歩道からあふれ出てもおかしくない人出ですから、警官の交通整理も必要になります。
 わたしの本能として、大混雑を目にした際には「逃げ場はないか?」と裏道を探すのですが、「大隈重信の像を撮ろう(下写真)」とキャンパスを目指すため逃げ道はなく、ダラダラ歩きに付き合わされました(若い連中の群れて歩く姿にはイライラさせられます)。


 入学式という特別な日ですから、一帯は観光地のようです。
 門外はまだそれで済むも、構内には柵が置かれてあり、その内側には「ここから出してくれー!」のような叫びを上げる連中が群れています。
 その中には入っちゃいけないのか? と思うような「結界」は、サークルの勧誘はこの内側でしなさいというバリケードでした。
 その内側は無法地帯のようで、彼らが配るチラシが地面に散乱し紙の上を歩くような状況です(後片付けが大変そう)。
 それも社会勉強の一端で「先手必勝のアピール」によって「まずは学内で勝ち残れ」という教えなのだろうか?
 写真後方でかすんでしまった「総長、どう思われますか?」

 入学式の日だから出会えた光景として、近ごろでは「子離れできない親がついてくる」とされるも、両親共にホッとした表情のツーショットを見られる場面は、なかなか見られないのではないかと感じたりしました。
 右は大隈庭園ですが、子どもと別行動となった両親がとても安堵した表情で散策している姿には、肩の荷が下りたというよりも「まだまだ頑張らなきゃ」と励みにする様子がうかがえ、親のありがたみを再確認した思いがします……

 人込みの中では判別できませんがひと休みできる庭園では、女性一人で行動している姿に目が向いてしまいます(男どもの多くは仲間や親と歩いています)。
 比較できるか分かりませんし事情はどうあれ、女性の方が自立心があるのでは? の印象を受けます。
 草食系男子を育てる「温室的家庭環境」と、「肉食系となっても生き抜かねば」の覚悟を持つ女子との違いを感じる事自体に、社会の性差不平等が現れているのではと思わされます。


 大隈講堂裏手で帽子店の看板を見かけました。角帽は健在のようです。
 角帽といえば漫画「フクちゃん」(1936年〜71年朝日新聞の4コマ漫画に掲載)が思い浮かびますが(古すぎ?)、早稲田大学のマスコットキャラクターなんだそうです。

 角帽かぶってバンカラに振る舞う姿が似合いそうな(照れ隠しでしょうね)早稲田のイメージにあこがれましたが、いまやマンモス学府となり校風も見失われそうな印象に、「現在の魅力とは?」「慶應からは、もうライバル視されてないのでは?」と聞いてみたい気がするのは、奮起してもらいたいと思うからです……


 早稲田=神田川のイメージがあり、川沿いを高田馬場駅まで歩きましたが、そこには今でもかぐや姫の『神田川』(1973年)の空気を探してしまう気分があります。
 ひところよりは「マシ」になったであろう「ドブ臭さ」を感じた瞬間、あの曲の世界にもこのにおいが漂っていたのか?
 と、イメージをぶち壊すオチでスミマセン……

 神田川沿いにも桜の名所がありそうなので、満開となるであろう次週に歩こうと思っています。

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