2012/04/02

甘えん坊の吹きだまり──新宿〜新大久保

2012.3.25
【東京都】──「山手線を歩く! ⑪」


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歌舞伎町(Map)

 近ごろめっきり立ち寄る機会が減り、ごぶさたの歌舞伎町を昼間にゆっくり歩きました。
 付近に立ち入るようになったのは高校時分の映画館通いからで、大学時代も新宿がベースだったので「ホーム」との意識がありました。
 ですが、よく通った映画館や帰りに寄る喫茶店などの建て替えや閉店を目にするたびに、居場所を失う近ごろです。
 少し前にリニューアルされた新宿ピカデリーをのぞこうと足を運ぶも、銀行のATMに並ばされるような腹立たしさを覚え、「新宿がアウエーになった」と感じたことがありました。

 しかし歌舞伎町は、自由なのか、秩序が無いだけなのか、知ってる店はほとんど消滅し、より所は無いにもかかわらず、敷居を感じさせずニュートラルに受け止めてくれる印象がありました。


 上写真は歌舞伎町の入口を中から外側を眺めていて、靖国通り反対側のヤマダ電機がテナントで入るビル外壁のスクリーンです。
 秋葉原はオタク野郎の町とすれば、歌舞伎町はアウトローが吹きだまる町、との表現になるか?
 線引きとしておもしろいのが、家電量販店(オタク)はNo!でも、ドン・キホーテ(生活感丸出し)はOK!という、仕事場のある六本木の町と性格が近しいところです。

 歌舞伎町といえば「風俗店」が思い浮かび、そこでは「クロ」を「グレー」に薄めたふりをするサービス提供からにぎわいを生みだし、「オカマ」「オナベ:レズビアンの男役」等の連中が集まるようになり、理解できないながらも性風俗の一大中心地として定着しつつあります。


 ここは新宿ミラノ座前の広場で、以前は1975年のTVドラマ「俺たちの旅」のタイトルバックに映された噴水(池?)があった場所です。
 いま振り返ってみると、現在のイベント広場的な姿こそこの場所にふさわしいと思いますが、ホームレス対策等だったのかも知れません。

 カメラの背後にかつてあった新宿コマ劇場は解体工事中で、ポッカリ無くなってみると改めてその大きさを思い知ります。
 その地にあったコマ劇場、映画館新宿プラザ、新宿コマ東宝、演劇場「シアターアプル」が姿を消し、付近の映画館も次々と閉館しており(新宿トーア、新宿ジョイシネマ、新宿オスカー、新宿オデヲン座、新宿グランドオデヲン座、新宿アカデミー)歌舞伎町の再開発が始まっているようです。
 現在隆盛のシネコンの影響とされ「歌舞伎町は古い映画館ばかり」の印象があるも、「オールナイト」が似合う劇場でした。ということ自体が敬遠される理由なのでしょうね。

 「新宿プラザ」では、一作目の『スターウォーズ』や『未知との遭遇』を観た思い出があり、現在解体中のガラーンとした空間に「やっぱり夢だった?」とよぎるも、もうすでに「血となり肉となりこの精神・肉体の一部になっている!」と、胸を張れたりします。

 町を観察しようと付近を歩くと、こまごまとした断片から家族経営風の「釜飯店が無くなった」等の残像が思い浮かびますが、メジャーどころでは、名曲喫茶「スカラ座」は姿を消すも、純喫茶「王城」の建物は残っていたりします(現在カラオケ店)。
 スカラ座は「ツタの絡まる喫茶店」、王城は「外見だけ」で、確かに雰囲気は独特でも、特段にコーヒーがおいしいわけでもない「当時の一般的な喫茶店」でした。
 高度成長期の反戦運動・安保闘争で騒がしかった時代にはそんな「雰囲気」が持てはやされていたようです。
 わたしたちの時代には店の人気も下火になり、とても落ち着ける隠れ家的な空間だった記憶があります。

 現在スカラ座は、小田急エース(新宿駅西口地下街の交番の奧の方)で営業しているそうです。
 雰囲気だけでも味わいに行ってみましょうかねぇ。


 新宿区役所から職安通りの一帯には、ホストクラブがひしめいており、以前目にした巨大な「愛」(店名)の看板は見当たらず、現在は「花」の看板の大きさが目立ちます(競争が激しそう)。
 女性の関心を引くためとはいえ、あまりにもベタな名称に感じますが、これって「タカラヅカと一緒?」と思うと理解不能でも納得できたりします。
 その店舗数から「お姫様願望」の女性が多いことと、決して安くないであろう「指名料?」を支払える女性がそれだけいることに驚かされます。

 歌舞伎町にはバッティングセンターが2件あります。繁華街のバッティングセンターがすたれない背景を男は理解できますし、そこで一人「ちくしょう!」と黙々とバットを振る姿は、はまりすぎです(SMAPの中居くんが似合いそう)。
 本気で3セットもやればクタクタで、頭も真っ白になり「もう帰るか」と切り替えられるほど、男って単純だったりします。
 翌日以降の筋肉痛を「バッティングセンター行っちゃってさぁ」と説明する姿には、「こいつ何かあったのか?」と感じさせるサインが込められていて、「ちょっと話聞いてやろうか」と声を掛けると十中八九「聞いてくれます?」ですから、男ってとても分かりやすい生き物なんです。
 「バッティングセンターに行く男は、モヤモヤを抱えている」は「定説です!」(そんなオッサンいましたね)。だから都心に何軒も必要なのです!(本気でやってる人には、ゴメンナサイ)

 以前ここで飲んだことがあり、気を使うことなく居心地のいい空間で楽しいことは分かるも、結局はダダをこね甘えたい「野郎共の吹きだまり」であることを、白昼の訪問で理解できた気がします。
 オカマが男に接する際「おまえら甘えすぎ!」と感じるのは、「男は根本的に男が好き」につけ込みながらも、それを許す男に対し「女の甘え方」ですがろうとする、ずるさがあるからです。まだ男であるなら? 姑息(こそく)な手を使うな! と言いたい。
 性差の橋渡しを自認するならば、そこに性別を越えた「精神の自立」なくして社会の理解が得られないのは当然でしょう。
 昼間には、ただのバラック長屋にしか見えないのも確かです(オカマを昼間に見た印象に通じるの意)。

 男には(近ごろ女にも多い)「バカやったから、明日から頑張らねば!」と、切り替えられる単純さがあります。
 やっぱり男には、歌舞伎町のような町は必要なんでしょうねぇ……


花園神社(Map)

 花園神社から想起するのは、反戦運動(新宿駅の米軍ジェット燃料タンク車爆発事故→新宿騒乱:新宿駅での暴動騒ぎ)が盛んな時分に境内の「紅テント」で活動した、唐十郎率いる「状況劇場」のイメージですが、公序良俗に反するとして1年足らずで追い出されたらしい。
 当時は寺山修二率いる「天井桟敷」同様、「取り扱い注意」的な魅力を放っていました(足を踏み入れたことはありません)。

 この神社では、江戸時代の大火で焼失した社殿再建のため、境内に見世物、演劇や踊りなどの興行ができる劇場を設け、資金集めをしたことから芸能との縁がはじまります。
 「紅テント」を誘致した当時の宮司は、演劇の脚本を書いたことのある人物だったそうです。

 境内には大小の神輿庫(しんよこ:みこしぐら)があり例大祭もにぎやかそうですし、酉の市にも多くの人出があります。(写真はようやく満開の梅)


新大久保コリアンタウン(Map)

 訪問が雨の土曜日に続く日曜日だったせいもあるのか、新大久保コリアンタウンのにぎわいは原宿・竹下通り並みの混雑でギョッとしました。
 路地の入口にあるドンキホーテ(上写真)には「アジア店?」のような看板が並びます。


 韓国料理の味は目黒で覚えましたが(六本木はNG…)、さすがにこの地でガッカリなモノは出せないだろうと、久しぶりにお店の「辛ラーメン」を食べ満足させてもらいました。
 辛ラーメンとはあのインスタントラーメンですが、チゲ鍋等のちゃんとしたスープで作ったラーメンですからおいしいに決まってます(コムタンスープのラーメンはウマイ!)。
 鍋のシメに麺を入れると考えれば、そのおいしさが伝わると思います。
 以前店のママが「インスタントラーメンでお金取って大丈夫?」と心配していましたが、ネギ、タマゴ、シイタケ等の具とおいしいスープで煮込んであるのだから、「自信を持って出して大丈夫!」と言ってしまう程のお気に入りです。
 その店ではスープの出来具合で(煮込み時間がNGの場合は)「今日はダメ!」と注文を断られたりしましたから、余計ありがたくいただけたのでしょう(コラーゲンタップリ! です)。

 韓流ブームは2004年「冬のソナタ」からと考えると結構長い気がしますが、スターの世代交代がうまく回転しているという事なのでしょう。ブームについての知見は皆無ですが、それ以前の韓国映画はよく観ました。本数で多いのは林權澤(イム・グォンテク:韓国映画の巨匠とされる)で、歌舞伎町に現存のシネマスクエアとうきゅうで『シバジ』(1990年公開)を観た覚えがあります(代理母の物語)。
 この現象は、少し前の沖縄ブームに似ている面があり、史実や現状に目を向けることなく、うわべの「売り」の部分だけが取りざたされ人気を集めているように見えます。
 百歩譲って、関心を持たれないよりはマシとして、いずれは住民の声に耳を傾けてくれるだろうの淡い期待も、沖縄の基地問題のように、結局何も見てくれないばかりか「やっぱり基地は沖縄さんお願いします」と、平気で切り捨てる大和人(本土人:ヤマトンチュ)のわがままは、「ブーム」に乗っただけの責任無い行動・態度に見えてしまいます(韓国に対する歴史問題でもしかりではあるまいか)。


 東京の中では歩く機会が最も多かった町ですし、かつて「ホーム」と認識した新宿への思いには、現在も郷愁のような特別なものがあります(生まれたのが南新宿の病院ということは除外しても)……


2012.3.30──追記

 年度末の週末の夜に、近所の慶應仲通り商店街を歩く機会がありました。
 ちょうど一次会がはける時間帯だったようで、ものすごい人出で狭い路地には酔っぱらい共がごった返していました。
 組織替えの季節とはいえ、狭い路地で胴上げをされては歩けません!
 異動・転勤となった方のようで、送られる側・送る側それぞれに、悲喜こもごもあるでしょうが「新年度を迎える儀式」との認識なのでしょう、どの団体にも明るさが感じられ「企業版 村祭り」の印象を受けます。
 わたしの幼なじみは3月に静岡に転勤になり「毎朝富士山を眺めて出勤です」との連絡がありました。

 普段とは違い、酔っぱらいに対して寛容さを持って眺められる心境には、そこに「春の訪れ」を感じたりするせいかも知れません……

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