2012/04/16

笑顔も満開!──高田馬場〜目白

2012.4.7
【東京都】──「山手線を歩く! ⑬」

 タイトルとは異なる出だしですが、北朝鮮のミサイル発射に対する「日本国」の対応には驚かされました。
 今どきの庶民が抱くイメージはSF映画かぶれ的な面もありますが、緊急事態発生のALERTが発せられる場面では「YES or NO」の判断が迫られると思っていましたが、結果的に日本のレーダーで確認以前の段階で打ち上げが失敗したことで、米国からの「発射情報」を疑い始め「この場合はどうしたらいいのだろう?」と話し合っちゃったようです。
 国民の生命、財産を守る義務に必要と思われる「第一報」が、政府の体裁を重視するような記者会見として発射46分後に開かれましたが、攻撃ミサイルなら被害を受けた後の報告しかできないことになります。

 多くの国にも同様な状況があるのでしょう、判断を下せない「バカな政治家」に従ってられるかと、指揮系統が確立された軍隊のクーデターが起こる理由も分かる気がしました。
 でもこれが「平和国家」を目指す日本の姿(自衛隊の装備はお飾りでしかない)と受け入れられれば、「平和ボケ国家」でもいいのでは? と思わされました……
 

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鳩山会館(Map)


 ここは、神田川沿いの桜の名所とされる江戸川橋公園を歩くついでに、一度くらいはと立ち寄った「音羽御殿」で、「鳩山家の人々」が暮らした屋敷を修復〜公開した記念館になります。
 1954年から約2年間総理大臣を務めた鳩山一郎の邸宅で、建築されたのは1924年(関東大震災の翌年)になります。
 父親の和夫は衆議院議長、息子の威一郎(顔も名も記憶に残る)は外務大臣、孫の由紀夫は総理大臣、邦夫は法務、総務大臣と、エリート政治一家であるのはご存知の通りで、大磯の吉田茂邸同様、戦後政治史の舞台であることから保存されています。

 鳩山一郎の人物像を知らないのですが、由紀夫ならやりかねない「ハトの飾り」を付けた人ですから、当然同系統であるも「業績を残した政治家」とされますから、イメージを浮かべにくい存在です。


 口から発せられる言葉だけは「素敵」だった由紀夫総理でしたが、何もできないばかりか、とっ散らかして「お尻ペンペン」にはあきれました。
 最大の汚点は「沖縄普天間基地の県外・国外移転」の大ボラで、沖縄県民に期待を抱かせてしまったことです。
 わたしも可能と思っていたので、どれだけの覚悟や策があるのか楽しみにしていたら、開けてビックリ「単なるハッタリかよ?」と、愕然としました。
 心をもてあそばれ沖縄県民の気持ちをかたくなにさせたのは、あなたです!

 世間の信用を失った人物なので、イランなど行って欲しくないと思うも、海外からもなめられているのか「捏造(ねつぞう)記事」などと騒いでいます。
 現代の外交は「ロマン」で進展するような「甘い」代物ではないことを、彼自身が体現しているようにも思えます。


椿山荘(Map)


 暦も上々で、春の訪れが期待できる週末ですから、結婚式場が大混雑するのは当然ですし、当人たちはもちろん出席者たちにも「いい季節に挙げたね」の印象が残ることでしょう。
 館内も大混雑ですが、記念写真撮影場所にも次から次へと流れてきますから、「ただいま写真撮影中にて、立ち入りご遠慮願います」の看板を持った係の方も、立ちっぱなしです。

 この施設には、慶事にかかわる第一人者のプライドが感じられ、無いモノは「お客様の不満」としそうなほどサービスを徹底しています。
 まさに人の扱いを心得えた従業員の態度には、「ありがとう」の言葉を素直に返したくなる接客を目指すような、心遣いを感じます。

 ベールが風で舞い上がり、介添えの方が押さえようと伸ばした手が、野郎の顔を隠してくれたおかげで、無粋なモザイク無しで公開できました。
 新婦は「今よ!」とばかりに「ありったけの笑顔」をカメラに向かい振りまいています(とても可愛らしい方です)。
 晴れの舞台という気持ちも分かりますが、ちとやり過ぎの印象も。周りがおだてるからどんどん登っちゃうんでしょうね。
 この背中は素肌のようで、いくら桜は満開といえ寒くない? と思うも、気分は「絶頂」でしょうから、風も心地よかったりするのかも?
 
 ジューン・ブライド(6月に結婚した花嫁は幸せになれる)はヨーロッパの話しですから、日本ではこの季節感を大切にすべき、と思ったりします。
 施設周辺の人々が皆、笑顔満開であることは、部外者にも「春+α」の明るさをもたらしてくれた気がするので、いい場所に立ち寄ったと思っています。


関口芭蕉庵(Map)


 この付近は、武蔵野台地が神田川に浸食された崖線(がいせん:谷地)なので、その斜面からわき水が多く見られます。
 室町時代ころ、椿が自生する「つばきやま」と呼ばれるようになり(椿山荘の由来)、江戸時代には松尾芭蕉が、深川(芭蕉庵)に移るまで隣接地に暮らしたとされます(上写真は関口芭蕉庵の橋に生える草)。
 元は、芭蕉が携わった神田上水改修工事の際の水番屋でしたが、その後弟子たちの尽力で整備・管理され現在に至ります。

 隣接する「新江戸川橋公園」は、江戸時代は城に近い場所柄から幕臣の邸宅でしたが、幕末には細川家の下屋敷、明治時代には細川家の本邸とされます。
 その流れは、明治維新での「身分階級」の誕生を想起させます。


永青文庫(Map)


 細川家(現当主は元首相 細川護熙:もりひろ)は明治期に侯爵とされ華族の一員になります。現在ここは細川家の「美術館」で、美術品、歴史資料などの収蔵・展示・研究施設とされます。
 首相就任時の「細川家には、昔はもっと良い宝物があったんですが、戦争でかなり焼けてしまったんですよ。いやいや太平洋戦争の時ではなく、応仁の乱の時ですがね」というジョークには、「殿……」としか言いようがありません(お父さんのジョークだそう)。

 わたしたちの年代には、目白台という地名=田中角栄邸(目白御殿)に直結する強烈な印象が刻まれています。
 現在の田中邸は、「ここだった?」と素通りしそうなくらい静かなたたずまいですが、いまも警備員は付いています。
 道路反対側の歩道に「集団でのぞきか?」と思うような巨大な脚立が林立していた(その上から撮った写真を何枚も見た記憶があります)物々しい雰囲気は消え、落ち着いた生活空間が戻ったような印象があります。

 年代は違うも総理経験者に関係する施設を歩いたことになります。実績の受け止め方はさまざまでしょうが、政治のトップとして国をけん引していくことが、以前よりも難しくなっていることは確かだと思います。
 とは言え、いつの時代も「人の心をつかむのは人」ですから、やはり「時代の人」が求められることになるのでしょう……


雑司ヶ谷への入口?(Map)

 ここは映画『東京兄妹』(1995年 監督:市川準)で、兄妹が別の道を歩み出す「分かれ道」のような場面に使われた、とても角度の狭い分かれ道です。
 もうかなり前になるので、自分の勝手な思い込み? との不安からもう一度観てから歩こうと調べると、レンタルは「VHSビデオ版」しかないとのこと。
 ビデオデッキは以前知り合いに譲ったとはいえ、いまのデジタルテレビで見られるのかしら?

 映画の影響と思いますが、雑司ヶ谷界隈の空気感が好きなので、この期待感を膨らませて次回の糧にします。
 わたしにとってこの写真は「雑司ヶ谷への誘い」ですから、TO BE CONTINUEDとなります……


2012.4.8

浜離宮恩賜(おんし)庭園(Map)


 浜離宮庭園の「菜の花」が見ごろと聞いていて、もう遅いか? と思うも何とか見られました。
 代表的な春の色である「桜色」は結構手軽に見ることができますが、緑と黄色のコントラストが鮮やかな「菜の花」を都市部で探そうとしても、代々木公園程度しか思い浮かびません。
 「汐留のビル風はキライ」は横に置いといて足を運ぶと、近くにも「いい菜の花畑がある」うれしい出会いとなりました。
 土日とも出かけてしまい、部屋の掃除できませんでしたが出歩いたかいがありました。
 来週はちゃんと掃除します。


 桜は結構撮ったつもりもみんなカットしてしまい、ほとんど登場していないことに気付き、最後に持ってきました。
 満開の週末は、土曜日曇り、日曜日晴れでも、両日とも風が強く肌寒いお花見となりました。
 その感じ方は、昨年より気分は明るいとはいえ「本来の明るさではない」心情の表れかも知れません。
 だからこそ、まずは表情から明るくいきましょう!

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