タイトルはご存知のように、映画『となりのトトロ』(1988年 宮崎駿監督)主人公姉妹の5月にちなんだ名前です。
これまでその命名には監督の「里山で農耕が盛んなころの日本人が大きな希望を抱いた、田植え時季の田園風景に主人公を立たせたかった」旨のコメントがあったと思うも(見当たらず)、現在流通する情報は、郊外に引っ越したのは「よく晴れた五月の日曜日」だけとは、何とも心がこもらない「安直なコピーの氾らん」と感じてしまいます。
久しぶりに目にした劇場パンフレットの表紙は、雨のバス停で傘を差しトトロと並ぶ絵なのですが、女の子は一人しかいません。
サツキとメイは同一人物? 分身? もしくはお母さんの姿かも知れない、と思ったりします。
「5月の空気やにおいを少女・少年に例える心情」は、人の一生を(春夏秋冬と)見渡す視点からの声援であると思い起こせたのは、新緑の季節だからこそでしょう……
より大きな地図で 山手線を歩く を表示
山手線唯一の踏切(第二中里踏切)(Map)
駒込〜田端駅間には山手線唯一の踏切があります。
ラッシュ時の運行間隔は2分30秒とされる山手線ですから、内・外回りを考えるとほとんど「開かずの踏切」でも現役なのは、住民に必要とされるためです(通学路)。
以前の、目黒〜恵比寿駅間にある埼京線・湘南新宿ラインの踏切と同様、切り通しで線路を立体交差させる地点では陸橋や地下道の設置は難しいため、踏み切りが設置されるようです(この付近では、山手貨物線・湘南新宿ラインと立体交差します)。
住宅街の坂道に「スダジイ」の大木がそびえ立っており、坂上(日影)側に隣接する家の前には長いすのしゃれたベンチが置かれてあります。
日差しの強い季節には、木陰でひと息つける絶好の場所と思うも、季節に関係なく「坂の途中でひと息」のおばあさんがいたようです。
日差し待ちでウロウロしながらノーマークで、シャッターチャンスを逃しました……
この大木は北区保存樹木とされるも、この木が倒れたら隣接家屋に被害が及びそうに見えますが、それは区が面倒見てくれるのでしょうねぇ?
住宅地の大木って守りたい思いの反面、余計な心配もしてしまいます。
旧古河(ふるかわ)庭園(Map)
ここは明治維新後に誕生した「古河財閥:解体後現在のグループ企業には富士電機ホールディングス、富士通、みずほコーポレート銀行など」の3代目が、1917年(大正6年)に洋館と洋風庭園はジョサイア・コンドル、日本庭園は小川治兵衛(じへえ)に依頼し築きました。
コンドルは明治期の洋風建築である鹿鳴館(空襲で焼失)、ニコライ堂に名を残し、京都出身の小川は国指定名勝指定庭園とされる平安神宮、円山公園等々を手がけた作庭家(庭師)になります。
日本ならではの斬新なビジョン「箱庭サイズ(ここも広いが海外の庭園の比ではない)で、和洋折衷の空間を表現する」目的を見事に実現していると思えます。
庭園のバラが有名でも「春のバラフェスティバル」は開幕直後で、時季的には早かったようです。
右写真は「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」(1997年没のダイアナ妃にちなむ)で、となりのおばちゃんの解説「結婚式で恥じらっていた頬の色にちなむそうよ」に、「確かに赤らんでいた」と思いますが……
亡くなる直前に、売上の一部をイギリス肺病基金への寄付を条件に、イギリスの会社が「プリンセス・オブ・ウェールズ」の品種名を認められたのは白い花でした(わたしのイメージも白でした)。
没後、アメリカの会社が、売上の一部を途上国支援「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ記念基金」への寄付を条件に命名を認められたのが右写真の品種。
2つの品種を比べるなら、「イングランドのバラ」とされたダイアナ妃には「白」が似合う印象があります。
旧正田邸跡地を整備するおじさん自慢の「プリンセスミチコ:皇后美智子さんにちなむ」(咲き始め)など、種類は多いも「プリンセスマサコ」が見当たりません。帰って調べると、植えられてあるとの記述を目にしました。
見逃したわたしが悪いのですが、「存在感が薄い」などとは決して思わないで下さいね……
北区防災センター(地震の科学館)(Map)
以前わざわざこの施設の見学に出向いた記憶があります(何かの展示があったのか?)。
開館中で「これから地震シュミレーターで揺れを体験できます!」の呼び込みがあります。
それも見たいが、隣接の平塚神社で耳にした消防訓練のかけ声に関心が向いてしまい、消防署内が見える場所を探しに。
滝野川消防署の敷地内には訓練用ビルがあり、放水もしているので「水をかぶるかも?」の臨場感があります。
右写真は、ハシゴのトラブルを想定した訓練のようで、この位置で長時間に及ぶ丁寧な対処をしています。
本来の目的は、ハシゴをビルの5〜6階に付けてけが人を救助する訓練で、隊員は人型のような重しを背負い、ハシゴを一歩一歩ゆっくりと下りてきます(訓練用ビルの裏側には、人型の重しが干されてました)。
このような不断の訓練により生活が守られることを、感謝しなければいけません。
七社(ななしゃ)神社(Map)
現在JR駒込駅と王子駅を結ぶ本郷通りは、鎌倉街道中道(なかつみち)を江戸時代に整備し、日光御成街道(おなりかいどう)と呼ばれる、将軍が日光東照宮訪問の際に利用した日光街道の脇街道とされます(付近に一里塚が残ります)。
街道筋のためか、みこし蔵が並び祭りがにぎやかそうな立派な神社が2つあります。
写真はありませんが、鎌倉街道を通ったであろう源氏の功労者、八幡太郎 源義家を祭る「平塚神社:戦国時代の豪族豊島氏の城址」と、以前は旧古河庭園内にあった、七つの社が合祀(ごうし)された「七社神社」があります。
境内に「孔子(儒教の源流)、孟子(孔子の考えを発展させた)像」(上写真)がある神社は珍しいと思うも、古河家からの寄贈とあります。
移転の経緯からも、古河家とのつながりが強いようです。
近ごろ日本国籍を取得したドナルド・キーンさん(米国出身の日本文学研究者)は、この付近で暮らすそうです。北区主催の企画展ポスターを見かけました。
生まれ育った祖国よりも、太平洋の反対側にある島国を愛してくれる心意気を、わたしたち自身が足元を見つめ直すきっかけにできれば、と思います。
飛鳥山公園(Map)
江戸時代に桜の名所は上野周辺しかなく、花見の席ではかなり風紀が乱れたとありますが、現在とは尺度のちがう品の悪さが想像されます(そんなに変わらない?)。
そのため幕府が、観光地として花見ができる場所をこの地に整備し、名所とされるようになります。
飛鳥山公園は小高い丘ですが、山として地図に記載されない「俗称」的な名称だそうです(「上野の山」のようなもの)。北区は国土地理院に「飛鳥山」の記載を要望するも、却下されてしまいます。
ここには、幕末〜大正初期に活躍し日本資本主義の父とされる、澁澤榮一(しぶさわえいいち)の旧邸で重要文化財の晩香廬(ばんこうろ:上写真)と青淵文庫(せいえんぶんこ:右写真)があり、一般公開されています。
自分としては上写真の、ガラスに映る景色と室内のカーテンや明かりが重なり「どうなってんの?」の絵が気に入っています。
右写真「平和の女神像」を初めて目にした瞬間(何年も前)、「長崎平和公園の『平和祈念像』作者の作品でしょ!」とピンと来ました。
作者の北村西望(せいぼう:1884年〜1987年)は長崎県島原出身で、東京美術学校(現東京芸術大学)卒業後に北区西ヶ原にアトリエを構えたゆかりがあるそうです。
個性や作風は別にしても、庶民の目を意識した作品では分かりやすさが大切になります。
わたしはこの像から長崎平和祈念像との対面を想起し、「つながった印象」から、2つの像をめぐるさまざまな思いを心の中で紡ぐことができました。
自分の中の印象・思い・イメージが「つながる:このBlogでよく登場するのは、以前歩いた場所と今回歩いた場所がつながった等」ことには、世界が広がるような感慨があり、わたしが歩く際のテーマであると思うところです。
JR線の車窓や王子駅ホームから見える、飛鳥山公園と線路間の狭い路地に飲食店が連なる「さくら新道」の店舗が、2012年1月21日の火災で焼け落ちた姿です。
古い建物に郷愁を感じたものの、表現が正しいか分かりませんが「役目を終えるころ」という印象もありました。
追記──沖縄本土復帰40周年をむかえて
近ごろ訪問はとんとごぶさたですが、沖縄への関心を失わないようにと関連番組を録画して見ていました。
結局はどれも「これまでを振り返る」ことに重きを置くため、「何も変わらない40年後の現実」との結論に至り、どん詰まりの後味しか感じられないものばかりでした。
そんな中、ETV特集「テレビが見つめた沖縄 ~アーカイブ映像からたどる本土復帰40年~」に出演の知花くらら(ちばなくらら:沖縄出身のモデル 30歳)の言葉に希望の光を見た思いがしました。
これまで沖縄のこれからを考えるには、どうしても過去を掘り下げ問題を並べ立て、それをどう解決していくか? それが前提と頭を悩ませていました(わたしも含めて)。
彼女もオジイと戦争経験について語り合ったそうで、それを踏まえた現在「戦争や基地について知って欲しい」気持ちと「沖縄の自然や文化を見て欲しい」思いは等しくあり、その間には大きな溝はあるが、それを「フラットに受け止める」心構えが備わってきたとのこと。
その言葉を耳にし、目からウロコと涙がポロポロと……
オヤジたちのネガティブな認識では「never:無理」でしかないビジョンが、若者たちには「not bad:いけるんじゃない?」と考えられていることに、これまでとは違うポジティブな「沖縄のあり方」を模索する時代を迎えていると感じました。
国内で最も出生率が高い沖縄=国内で「最も希望が持てる地域」との期待に、反論できる者はいません。
戦時中を生きたオジイ・オバアたちの悔しい思いは晴らせないとしても、育てられた孫世代はオジイ・オバアたちのおかげさぁの感謝と共に思いを引継いで「生きていくよ!」(ウチナー口のつもり)。
そんな人々を「ちゅらさん:美しき人」と呼ぶのだと、neverの意識を切り捨てねばと思わされました……
おまけ──金環日食 2012.05.21
前日の天気予報に「雲のすき間から見えたら写真が撮れるかも」と、人とは違う期待をしていました(いい具合に雲が出てくれました)。
出会えなかった地域の人に伝える意味でも、ガキの時分からあこがれていた金環日食を「体験しました!」を残したいと。
見えた地域では盛り上がりましたから(うちの屋上にも30人以上いました)、これを機会に理科好きの子どもが増えるよう期待したいところです。
0 件のコメント:
コメントを投稿