2013/06/10

永遠に不滅の下町文化──森下〜両国

2013.5.25【東京都】──大江戸線を歩く_4


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かき氷屋(Map)


 上は森下駅近くの裏通りにある「岸氷室(ひょうしつ):製氷店」では、夏場だけかき氷を出してくれます。
 全品100円の手頃感や、時間をかけて凍らせた透明で堅い「純氷」(焼酎の名前?)の使用が人気のようです。

 これぞ「下町」の光景で、遊んでいる子どもや、家族で外出の際「寄らない?」の誘いに、全員が「行く行く!」と即決しそうな気安さが感じられます。
 店先の縁台で口にすれば、全身がシャキッとして「もう一汗」いけそうです。

 右奧のビルは、下町文化の銭湯は「永遠に不滅」を織り込んで隣接地に建てたのでは?
 洗濯物も見え「下町の銭湯至近。煙の心配なし!」が売りで、入居者も銭湯に通っているかも知れません。
 それは、ひとつの贅沢です……


江島杉山神社(Map)

 第5代将軍綱吉は、江ノ島弁財天に月参りする杉山検校(けんぎょう:江戸時代は視覚障害者最上級の官名。彼は江ノ島で鍼治療を会得)をふびんに思い、欲しいものを尋ねると「ただ一つ、目が欲しゅうございます」の答え。
 それに対し綱吉は「本所一つ目の地を与え、江ノ島弁財天を勧請した」逸話が残ります(「○つ目」は、隅田川から○番目の橋の意味で、三つ目通りなどに名が残る)。

 江ノ島に祭られる宇賀神は梵語の「ウガヤ:白蛇を意味する人頭蛇身の弁天様」なので、ここの岩屋にも白蛇が供えられるようです。


竪川(たてかわ)(Map)


 森下と両国の間には人工水路の竪川(小名木川と平行に開削された)があり、真っすぐに伸びる水路上には現在首都高小松川線が通ります。
 仙台堀川同様に大横川以東は、公園や親水公園とされます(水路存続には水位調整が必要になる)。

 上は、背後が竪川に面する建物で、以前は材木屋と思われるたたずまい。
 竪川は石材商、大横川には材木商が多かったとされますが、いずれも資材輸送路である水路際に栄えました。
 水路が木材で埋め尽くされ「木場:現木場公園付近」が整備されますが、その後ゴミ埋立地に追い立てられ、新木場に移転します。


吉良邸跡(Map)

 観光名所としたい「吉良邸跡:忠臣蔵の敵役が討ち取られた地」には、なごり程度の区画が確保され、隣接の土産物店が続けられる程度の人出はあるようです。

 右は近所にある「鏡屋」の2階にはられた鏡。
 カメラ位置の向かいのマンションからは、光の反射に苦情がありそうですが、逆に「マンションが建ったせいで、輝きを失った!」の反論もありそうな気がします。

 下の光景から、下町では必要なものは受け入れるが、飾ることなく次の必要に備える、合理性(エコ=倹約)の意識を感じましたが、その印象って伝わります?



回向院(えこういん)(Map)

 ここは1657年「振袖火事:明暦の大火」で亡くなられた方を葬るための「万人塚」に始まります。
 そのためか、江戸時代の義賊(ぎぞく:違法・反社会的行動が大衆に支持される)鼠小僧の墓もあります。
 鼠小僧の墓石のかけらを持つと「賭けに勝つ」「運がつく」とされ、受験生には「するりと入れる:それを縁起担ぎと言えるのか?」で評判らしい。
 現在墓前には「削り墓石」が置かれ、右のように削る手は休みないため、「手タレ」で登場いただきました。

 1781年境内で行われた勧進相撲が現在の大相撲の起源とされ、付近に旧両国国技館が建てられました(1909年)。


両国国技館(Map)


 大相撲期間中の両国国技館に接したのは初めてで、のぼりも番付順に並ぶ様子に納得した次第。
 この日は五月場所(夏場所)14日目で、横綱白鵬 vs. 大関稀勢の里の全勝対決で盛り上がり、便乗も含めて周辺は「ざわざわ」していた印象があります。
 この日負けた稀勢の里も内容は良かったので、次場所でも活躍できればファンの心をつかめると期待しています。


追記──祝 サッカーWカップ出場決定!

 わたしも「思いっきり、ど真ん中にけり込んでやれ〜!」と声援を送っていました(言うのは簡単ですが……)。

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