2013/06/03

情緒を創出する「庶民力」──森下

2013.5.18【東京都】──大江戸線を歩く_3


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西深川橋(Map)


 小名木川に架かる西深川橋の北側に、シーラカンス像があります。
 江東区の橋梁景観整備事業により設置され、題名は 「ゴンベッサ」。
 コモロ諸島(アフリカ大陸とマダガスカルの間)でのシーラカンスの呼び名で、食用に適さず「役に立たない」に由来するらしい。
 役所は、意味も無い役立たずでも、話題作り(になってる?)でGOしたようです。 
 上写真は「それでいいの?」を伝えるために掲載しました。


高橋(たかばし)のりば(Map)


 「江東水上バス」は2002年に廃止されますが、待合所は以前と変わらず憩いの場としての情緒が保たれています。
 正面の色あせた看板には「高橋のりば」とある。

 ほかの閉鎖施設は荒廃などで立ち入り禁止とされますが、ここは遊歩道に面し、近所の方々も利用するためかとてもきれいで、対岸からは「もうすぐ船が来そう?」な、にぎわいに見えたりします。
 ここは亀戸〜お台場航路の停船港で、ルート設定に疑問も感じますが、前回歩いた扇橋閘門(こうもん)を通ったことを知り、乗ってみたかったなぁ、と……


萬年橋(Map)


 付近は相撲部屋の多い場所柄で、道を歩くゆったりとした相撲取りの動作や、橋のたもとで耳にする三味線の音には、時間の流れ方が違う? との錯覚に陥ります。
 上は江戸市中側の小名木川入口である萬年橋で、当初の川船番所は付近にありましたが、後に旧中川側(前回の水陸両用バスのスプラッシュポイント)へ移されます。
 浮世絵でよく見かける大きな弧を描く太鼓橋の姿は、絵師たちの誇張にも思えますが、川の入口にあたる橋は「門」として派手な造りとされました。

 橋の奧に見える、形状は違うが橋のデザインに倣うような建物は、地図を出版する昭文社のビル。景観への配慮という粋な計らいが、町を楽しいものにしてくれます。


 小名木川が隅田川と接続する北岸には、松尾芭蕉(1644〜94年)が暮らした「芭蕉庵」がありました。
 現在その地には「芭蕉稲荷神社(上)」が祭られ、川岸には「芭蕉庵史跡展望庭園」が整備されます。
 運河と川が接続する付近の水面(みなも)は広く、当時は見通しも利いたことでしょう(現在も風が心地いい)。
 また、「水路の角地」の夜はものさみしかったことも、落ち着けた理由かも知れません。
 芭蕉は蛙の石像を好んだそうで、神社には多くの像がありますが、上はもっともそれらしく見えた蛙。

 付近に配される芭蕉の句に接し、この歳でようやく味わえた? に至るには「年輪」が必要だったようです。
 そんな教材を小・中学校で押しつけられても、理解できるわけがありません。
 でも、それを忘れなかったのはとても大切なことです。

 右は展望庭園脇にあるCafeの装飾。


 隅田川堤防に広がる「緑化プロジェクト」のようで、気持ちよく歩けますし、とてもいい取り組みと実感できます。
 近ごろ多く目にする子どもたちがペイントした壁は、表情が変わらないためほほ笑ましく感じるのは一瞬ですが、季節の変化には無意識に関心が向くことに気づかされます。
 植物に覆われると亀裂点検などの障害となりますが、そこは最新技術でカバーして欲しいと思うところです。


新大橋(Map)


 隅田川に架かる国の重要文化財清洲橋に隣接する「新大橋:斜張橋」は、清洲橋が体現する重厚さの対極を目指したようにシンプルな構造です。
 何事も「シンプルなものほど美しい」を信条としても、これは単純化しすぎに見えてしまい、「主塔やケーブルは飾り?」の間違った印象を与えそうと思ったりします。


 森下の地には、ずいぶん前のプロジェクトがぽしゃった際、仕事の手伝いで訪れて以来か? の記憶をたどると、サッカー日本代表の「ドーハの悲劇」にたどり着きます。
 てことは「Jリーグ開幕20年」と同じ年なので、20年ぶりだったか……
 「安いのにネタがいい!」と驚いた、大人気の居酒屋「魚三」は健在でした。今度行きませんか?

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