2014.5.24【東京都】──「隅田川を歩く_11」
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南千住駅東口 旧汐入地区(Mapは上)
知名度で北千住に水をあけられた南千住には、現存のJR隅田川貨物駅や東京メトロ車両基地に加え、以前は広大な大日本紡績、鐘淵紡績の工場が広がっていました。
工場移転後の1987年に始まった一部貨物駅を含む大規模な再開発により、高層マンション群や公園が整備され、現在は若いファミリーが集まる地域となります。
上のショッピングモール正面には、不動産案内写真ではカットされる貨物駅の施設があります。
都内の貨物駅(汐留・飯田橋等)廃止の影響から稼働率が高まっており、右の地下鉄車両基地移転も見込めない中で、いびつな形状の再開発となりました。
アクセスは山手線日暮里駅から常磐線で2駅と文句無く、水質に目をつぶれば隅田川のリバーサイドで空も広いので、立地の人気は高いようです。
物輸の主力が船舶であった明治期より隅田川沿いに工場が建ち並びますが、今どきでは大型船が航行できない隅田川沿いの立地がネックになりそうです。
そんな地域ゆえ、仮に上写真の施設が移転した際は、下写真のような堤防に作りかえるチャンスかも知れませんし(そんな都の条例がありそう)、そこに「都会のオアシス」の夢を描けそうです。
汐入とは「海水の混じる土地」の意味で、現在も海水が混じる汽水域のためか、多摩川のようなドブ臭さは感じません。
汗ばむような陽気のせいか、堤防付近で日光浴をするオヤジたちを見かけます。
「水辺好き」が集まると思うも歩くうちに、「ガキのいない静かな場所なんだ!」と気付きます。
ガキどもが公園施設やグラウンドで遊ぶばかりで水辺に寄ってこないのは、ここでは水に入れない、ということのようです。
そんな状況の理解から、棲み分けのためにも大切な施設なのか、と……
川のほとりでは、岸辺に高い建物があっても川の上には空間が広がっているため、遊ぶ姿も「のびのび」しているように感じます(上は汐入タワー)。
明治期に石炭集散地として開設された隅田川貨物駅の構内には、右写真奥の隅田川と行き来できる水路が通され、陸運と水運をつなぐターミナルの機能がありました(右は水路跡の公園で、背後に水門跡が残されます)。
再開発後も残されたこの一画のおかげで、数百m先の貨物駅との関連が一目で分かりますし、水路跡がトラックの出入り口とされ、付近の線路間隔が離れている様子も、歴史の記憶として見て取ることができます。
近ごろ目にする機会の減ったガスタンクに引かれましたが、これはTV版『あしたのジョー』の背景に登場したガスタンクなんだそう(未見なので不明)。
ジョーの記憶がないためか、「山谷」が近いことも気付かずにいたので、近いうちに歩かねばと思っています。
東京スカイツリーもかなり近くなってきました。
近ごろ来場者は伸び悩みと耳にしますが、混雑しそうな夏休み前までにたどり着かねば……
ここは貨物駅ですが線路が並ぶ光景から、「北海道から九州までつながっている」ロマンに思いを馳せ、TVドラマ『大いなる旅路』(1972年日本テレビ:国鉄に関わる人々が各地で苦悩・奮闘する姿を描いたオムニバスドラマ。個人的には竜雷太(ゴリさん)が印象に残る。主題歌は小椋佳) を想起しました……(リンク先動画は「これ、これっ!」の懐かしさ!)
以前は「鉄道」の存在が国民の夢をけん引してくれましたが、現代では単発的な東京五輪などのイベントしか見当たりません。
だからといって、ロシアや中国が求心力維持の手段とする旧時代的な「国力のアピール」に頼るようでは、「将来に希望を持てない国」の病状は重くなるばかりです……
追記──「それでもSTAP細胞はあります!」と言えねば研究者ではない。
共同研究者に批判されても、自分は信じると訴えながら論文を取り下げた人格には、もはや研究者を名乗る資格もない。
理研がIPS細胞研究に対抗したいあせりから、奇妙な「キャンペーンガール」を祭り上げた、というところか。
ガリレオの「それでも地球は動いている」には、宣伝ではなく「真理」を訴える信念がありました(彼の言葉の有無ではなく例えとして引用)。
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