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荒川土手(Map)
荒川の両岸はスーパー堤防としてきっちり整備されますが、階段は利便性を無視した場所に設置されるため、必要な場所には道が開かれます(階段は100m程先)。
設計された階段よりこちらの方が「ワクワク感」が高まるので、当然ここを歩きます。
人によって土手に通された「けもの道」の、水平面との角度や土手の傾斜に対する比率などを調べると、地域文化の特徴が比較できるかも、と思ったりします。
その土手上では「青空理髪店」が営業中です!
切りくずを気にしなくていいし、切られる側も「サッパリ」できそうですが、鏡が無くて大丈夫?
以前パーマ・カットのモデルをした際に、余計なことを言って失敗したことがありましたから(全部やり直し…)、相手を信じて任せましょう!
成年男子のツーショットに、友情が芽生える際の「無垢」な素直さが見えた気がして、若い記憶をたどりうらやましく感じたりします(同性愛でないことを…)。
腰掛けているのは荒川のキロポスト(河口からの距離表示)で、工事で使用される標柱と思われます。学生時代のバイトで、対岸にある標柱との間にワイヤーを張り川の横断測量(断面図作成)した際、ここもやったか? と。
右写真対岸の建物は小菅の「東京拘置所」。
元は巣鴨にあり、戦後米軍に接収され「巣鴨プリズン:現サンシャインシティ」とされ移転してきましたが、閉鎖後巣鴨に戻るも再移転してきます。
死刑執行は拘置所で行われることから、江戸時代の小塚原刑場付近が選定されたなら、ちょっと迷惑な話です。
拘置所の存在は「社会の問題」でも、近隣住民には「地域の問題」であり、子供たちは河川敷で汗を流す間にも死刑執行が行われることを、学ばねばなりません。
拘置所近くに暮らさない者には考えることのない現実です……
テレビドラマ『3年B組金八先生:1979〜2011年』のタイトルバックに使われた場所らしいも、あまりピンとこないのですが、伝わります?(堤防上は舗装された)
都会周縁にあたる川の手には、何が起きても不思議ではない「混沌」とした空気を持つ地域がある、という舞台設定が時代の空気に合っていたのかも知れません。
川沿いには、ロケ地とされた「足立区立第二中学校」の統廃合で誕生した「千寿桜堤中学校」があります(千住を千寿と表記)。
当時「たのきんトリオって、楽しい金曜日のこと?」と言う娘がいたことも、はるかなる思い出です……
上は「荒川で屋形船?」の桟橋ですが、準備をしているのでお客さんは集まるようです。
右は荒川放水路の建設まで隅田川に流れ込んだ旧綾瀬川で、現在は荒川と隅田川の連絡水路とされ、洪水から隅田川を守るための水門があります。右奥の建物は南千住汐入付近の再開発地区。
荒川放水路の名の通り、洪水の防御は「荒川にお任せ!」との都市計画で、川の手の命運は「荒川土手」に託されています。
堀切〜北千住(Map)
海抜0m地帯ながら、室町時代から「堀切:城や屋敷周囲の地面を切り通した堀」の名があるらしく、当時から管理された水路等があったのかも知れません。(下は柳原千草園)
右の千草通りから北千住に向かう道すがら、おばあさんの歯切れのいい口調(耳心地よく、スカッとする)や、台所で包丁がまな板を叩く音などを耳にします。
癒されるというより「とけ込みそう」で、「ただいま」と口にした途端に「川の手」暮らしが始まりそう……
でも心配なのは「川に挟まれている」ことです。
何度も洪水を経験した地域なので、対策や準備もぬかりはないと思いますが、極端な天候が多い昨今ですから、これまで以上に気をつけられますよう。
川の流れは存在理由が明快(水が海に流れる)なので、日常生活の「意識変化」を投影しやすいように感じます。
荒川・隅田川も持ち合わせるそんな性格は、京都の川や、四万十川と同様の「なごみ」作用があるのでは、と思ったりします。「広い」「大きい」対象物をのびのび撮れた「川の手」では、小杉・丸子の多摩川より、蓮根・高島平で足を運んだ荒川の方に引かれることを確認できた気がします。
追記──W杯グループリーグ日本敗退
世界に対して、日本が「攻撃的」とする姿勢で「殴り合い」を挑みますが、追いつくのが精一杯で、その先に活路が開けない現実は、差は縮まっているにしても「実力不足」とされても仕方ないところでしょう。
戦術に手詰まり感を覚えたのは、日本人の「きまじめさ」のせいではないか?
中継で「自由人 大久保」とあったが、彼が一番楽しそうに見えたし、常に工夫することが楽しさにつながるような気がしました。
次回大会に向けて、選手たちには心身共に休養が必要です。
お疲れ様でした……
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