2014/06/23

住民の愛着を感じる──北千住

2014.6.8【東京都】──「隅田川を歩く_13」


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 北千住に降り立つのは初めてで、メジャーな印象から大々的な再開発が進んでいると思いきや、下町の空気が漂う繁華街では、気取らない若者や若ぶるオヤジたちの活気が町をもり立てています。
 下町育ちが中央線沿線のように「モダンさ」を取り入れている、で伝わるだろうか? 住民が町に愛着を抱いている印象に、ちょっとファンになっちゃいました。


北千住駅周辺(Map)


 上は駅前のメインストリートにたたずむ「大橋眼科」の建物で、1982年老朽化した先代に近い姿で改築されます(比較的新しい)。
 通りの両側に続くアーケードも、ここだけは景観に配慮して作らないこと(ここだけ傘が必要)を、納得している住民も素晴らしい!

 ラーメン屋が目につく中で「みそラーメン」が多いのは、これから「みそ」が流行る前ぶれ? 付近には北海道出身者が多いのか?

 訪問者は右を「敷石が真っすぐじゃない」と感じるも、下町育ちは「どこが曲がってるんだ?」と反論しそうです。
 彼らは「曲がったことが嫌い」でなく、曲線を描けないだけで(怒られそう)、「角度の違う直線が続く」なんて言われたら、ごもっともと引き下がるしかありません……


氷川神社(Map)


 歩いたルートだけでも4つの氷川神社を見かけたように、本社が大宮にあるため付近も氷川信仰の中心地とされ、町内ごとに祭られた氷川神社が現在も守られています。
 祭神はスサノオなので、南千住の素盞雄(すさのお)神社も同じ流れのようです。
 平坦地が広がる「川の手」(山の手に対する表現)ゆえか、富士山(山岳)信仰である富士講の富士塚を多く目にします。


名倉(なぐら)医院(Map)


 江戸時代から「骨接ぎの名倉」と各地に知られ、最盛期には夜が明けると門前の道が患者の行列で埋まったとされます。
 いまも現役の門(上)や門の脇に建つ倉(下)など、古くからの施設が残されており、門が開いていれば見学したかったのですが、日曜なのでそれは無理……

 土曜日は土砂降りで、日曜のこの日はかろうじて歩けましたが日差しは無く暗いため、どの写真も明るく撮ろうと露出オーバー気味になっています。



長圓(ちょうえん)寺(Map)


 上は、長圓寺門前にある「めやみ地蔵」に掛けられた絵馬。
 「め」の字をひっくり返すデザインは、春日のこんにゃくえんまさまでも目にします。 絵柄的には両目の様を想起させますが、実際の両目では同じように「め」「め」と見えるはずで、このデザインには「ちゃんと見えない」の意味が込められているとも……


お化け煙突モニュメント(Map)


 以前この地にあった千住火力発電所(1926年〜63年 石炭→重油)に立つ4本の煙突は、見る角度により本数が変化するため「お化け煙突」と呼ばれました。
 老朽化や豊洲の新東京火力発電所建設(1956年〜2000年 現在の新豊洲変電所:ビッグドラム周辺)により役目を終えます。
 当時は浅草(蔵前)にも火力発電所があったと知り、煙害のため繁華街や住宅地近い場所から埋め立て地に追いやられたことは、首都圏では危険とされ遠い福島に原子力発電所が建設された経緯につながるように感じます。

 稼働当時は近代化に欠かせない電力供給のシンボルであるも、映画『東京物語:1953年』にも登場し、近代化を危惧する側にもシンボリックとされる存在でした。
 下側の円弧は、展示される煙突断面の一部。

 神奈川で育った時分は、東京の反対側を「ひとくくり」にイメージしていたため、そんな町をひとつひとつ確認しながら歩く行程は、ガキ時分の「冒険」のようでとても楽しく、ツッコミどころばかりの「愛すべき(?)」下町育ちを、身近に感じられたような気がします……

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