2009/05/18

三味の音が ビル風に乗る 神楽坂 と、麻布十番

2009.5.14
【東京都】

 わたしの勝手なイメージでしょうか、神楽坂(かぐらざか)という言葉のひびきから、江戸にはなかったとしても、雅(みやび)な雰囲気を想像してしまうところがあります。
 神楽とは、宮中の神事にかなでる舞楽のことですが、市中にある神社のお祭りで奉納されるものも、同じ言葉で表現されます。
 それは正しいのですが、頭の中には無意識のうちに、華やかで、雅な光景が広がっていたりします……

 何度か飲みに来ましたが、料亭などのあるディープな場所に足を踏み入れたことはないので、明るいうちにのぞきに行こうという趣旨になります。
 昼下がりの町中の主役は、おばさんたちであることに驚きました。とくに見て歩く場所もないでしょうから、目的は「食い気」であると思われます。
 料亭での昼の会席料理が人気のようで、それも楽しそうだと納得なのですが、「昼じゃ酒も飲めないんだろ〜?」と言う、そこのオッサン!
 酒席の時間帯ともなれば、のれんをくぐることもままならないのではありませんか?

 神楽坂(Map)

 神楽坂と聞くと「芸者さんってまだいるのだろうか?」という方面に関心が向いてしまいます。
 東京六花街(かがい、と読むのが正しいそう。芸妓置屋、待合、料亭が集まる地域)とされ現在も、新橋、赤坂、神楽坂、芳町(人形町)、向島、浅草にあるそうですが、昔の面影を残す路地があるのは神楽坂だけだそうです。
 神楽坂には現在、組合所属の芸妓さんが約30名、料亭が9軒あるとのことで、路地を歩いていると三味線の音が聞こえてきたりします。
 東京の町中にいまでも三味線の音が響いている、という感慨は確かにあるのですが、ビルに囲まれた日陰で耳にしたせいでしょうか、どうも「くさくさとしたお座敷の様子」しか思い浮かんできません(怒られますね)。
 京都上七軒町で耳にしたおぼつかない三味線には、こちらも応援したい気持ちにさせられ、自分にもおおらかさが感じられる気がしましたから、やはり環境というものは大切なのかも知れません。

 坂の中ほどに「神楽坂の毘沙門さま」と親しまれる善国寺(池上本門寺の末寺で日蓮宗)があります。
 ここの本尊は毘沙門天(守護神四天王の一尊で、独尊として信仰の対象とされることもある)で、狛犬ではなく虎(右写真)が本殿を守っています。
 京都鞍馬寺も本尊が毘沙門天で、しもべである虎が両脇を固めていたこと、思い出しました(やはり、気になったことは記録しておくべきですね)。
 その流れでしょう、ここでは虎が描かれた絵馬(絵虎というのか?)に願いを書いて奉納しています。
 しかしあまり盛んではないようで、雨風で色あせた板がぶら下がったままになっています。
 そこに書き込まれた文面に「ニノ」の表記が多く目につきました。
 神楽坂を舞台としたTVドラマ「拝啓、父上様」に出演した二宮くんのことのようですが、2007年放映ですからもう2年間も絵馬は放置されていたことになります。
 そこに書き込まれた願いは、まだかなってないのかしら?

 とくれば、われわれの年代なら「前略おふくろ様」の、さぶちゃん(萩原健一:目黒で3度ほど見かけましたが事件後だったせいか、いつもいかつい表情をしていました)なんだと思うのですが、わたし番組を見てませんでした……
 舞台は東京下町とありましたが、あの舞台は神楽坂だったのでしょうか?
 調べるより、詳しい人がいそうな気がするので、ご存知でしたら教えてください。
 ──しかし、なんで路地ですれ違う板場姿の面々の目つきは印象が良くないんでしょう(いい人は皆無でした)。

 軒先に縄のれんをかけた、いい雰囲気の店がありました。
 昼間なので店内の様子は分かりませんが、むかしは「縄のれんを下げる店=居酒屋、一杯飲み屋」の意味で、「縄のれんで一杯」は庶民の表現ですから、われわれも気安く入れるのではないかと思ったのですが、さて……
 一度チャレンジしてみませんか?


 別の路地で店の門を撮っていると、取材拒否なのかも知れませんが「止めてください!」という店がありました(京都では一度もありませんでした)。
 往来に面している場所ですから、撮られても仕方ないと思うのですが、以前イヤな思いをしたのかも知れません(印象悪いのでもちろん載せてやりません)。
 近ごろ東京では、隠れ家的とされる「通を気取れる店」が流行っており、客の小さな優越感を守ることも店の売りなのかも知れませんが、もう少し胸を張った商売をしてもいいのでは?(結局そんな売りも、ハリボテでは?) という気もします。
 ──後で知りましたが、上写真の右側は料亭だそうで、この写真で怒られたなら素直に引き下がって、この項の文章も書かなかったと思います。でも、驚くような人たちが出てきたら、話しは別ですが……

 結論として、カメラをぶら下げて歩くと「何を探っているんだ?」と、目の敵にされる町なのかも?
 という情報が伝わればいいのかも知れません。
 京都とは違って東京の花街は、政財界等とのつながりを保つことで生き延びてきた面があるようで(雅さではなく実利のため)、保守的でなければ続けられない事情もあるように感じられました。
 ──京都の花街も幕末のころは、勢力争いに巻き込まれて客を選んだのでしょうが、あの時代は金儲けなどという生やさしい基準ではなく、生き残るために「どちらの客を選ぶか」という自立性が求められ、それも店によって異なったため、現在でも関心を持たれるドラマが生まれたように思われます。


 麻布十番(Map)

 右写真は、パティオ十番という多目的広場で、骨董市などが開かれるそうです。
 広くはないものの、外国大使館が多い土地柄で、欧風を意識したのか? と感じたのですが、実は戦後の区画整理の未着手部分で、ここだけ道幅が広く残されていたんだそうです。
 上記の広場もビルに囲まれていますが、この町に多いとされる老舗の店舗もほとんどがビルになっているので、そうなってしまうと現代風の派手な看板に圧倒されていまい、お店の確認もままなりません。
 地下鉄(南北線、大江戸線)が開通するまでは陸の孤島とされてきた地ですが、「行きたいけど不便だった」おばさんたちの関心は高かったようで、地下鉄開通効果が最も高いとされる地域なんだそうです。

 何でこの町に来たのかといえば、地図で見ると一ノ橋の川向こうに、古い町並みが残されているようなので、そこを歩いてみたいと思ってのことです(以下の写真周辺は初めて)。


 上部に首都高速が走る古川(上流は渋谷川)を渡った地域も、住所は麻布十番になります。
 ここにはいまでも、以前と変わらぬ生活環境で暮らしている方々がいますが、おそらく近ごろは暮らしにくくなっているのではないでしょうか?(将棋でいえば「詰み」の状況)
 だからといって、立ち退いた跡にそびえ立つであろう高層マンションに入居できればいい、というものでもないと思われます。
 しかし、開発会社(建設会社等)にとってはそれ以上のフォローはできないでしょうから、「お金で解決」となるのかも知れません……

 ここは東京タワーにも近いですし場所柄も、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台設定に近しい環境と思われます。
 映画の設定をお借りすると、立ち退きを迫られた鈴木オート(堤真一)がいくら抵抗して暴れようとも、一家族の意志だけではどうにもならず、追い込まれてしまうという状況が、この地の現実なのかも知れません。
 映画の続編があったとしても、そんな結末にはして欲しくない、と思ってしまいます……


 話の種にと入った更科堀井(老舗のそば屋)ですが、とても品がよろしいようで、わたしの口には物足りない印象がありました。
 味の話は置いといて、そのそば屋でおばあさんが、日本酒をキュキュッと「そば屋で一杯」やってるじゃありませんか!?
 締めのそばを、ズズーッと手繰る(たぐる:江戸っ子の気取りの表現)勢いはさすがにありませんでしたが、カッコイイ! を通り越しています。
 下町とは違って、ちょっとひがみにも近しい感情を抱いたこと、しばらく忘れられないかも知れません。
 「他人の目を気にするこたぁない。わたしゃ、これが好きなんだよ!」と、生きていくべきなんですよね。おっと、これは下町の口調でしたか?

0 件のコメント: