2009/07/06

冷し中華の季節──府中基地跡、府中の森公園

2009.6.27
【東京都】

 晴れると30℃を超え、雨が降れば25℃以下という近ごろですから、体調管理にはお気をつけ下さい。でももうじき、逃げ場のない暑い空気に覆われます……
 この日は梅雨の中休みの晴天で、関東地方はかなり暑い一日でした。
 そんな時には、のどごしに涼しさが欲しくなりますが、目に入ってくる「冷し中華 始めました」のポスターには、オアシスを見つけたような救いを感じてしまいます。
 期待している味は、醤油ベースのつゆ+お酢+マスタードで、残ったつゆを「酸っぱい+辛い」表情で飲みたいという、妙な食欲がわくのですから、食欲が減退するこれからの季節には、もってこいのメニューと思われます。
 年をとるごとに、汗をかいたりすると「酸味」が欲しくなるようで、それは補給後に「ホッ」と、体が落ち着いたと思える瞬間に実感したりします……


 府中基地跡(Map)

 「府中」という地名は、「国府所在地」(奈良・平安時代に、律令国の国司が政務を行う施設が置かれた地)を指すものなので、日本各地に存在しています(甲府は甲斐府中の略等々)。
 大化の改新(645年:飛鳥時代)により、武蔵国(无邪志と表記されているそう)の国府がこの地に置かれたので、関東の中心地として栄えたようです。
 当時の関東には、武蔵国足立郡(東京都足立区と埼玉県東南部)、武蔵国埼玉郡笠原郷(埼玉県鴻巣市)、武蔵国入間郡(埼玉県入間市)付近に国造(くにのみやつこ)といわれる豪族の本拠がありましたが、争いが絶えなかったので、そんな地を避けてここに武蔵国の国府が置かれたそうです。
 また、鎌倉時代には鎌倉街道(上道:かみつみち)が南北に、江戸時代には甲州街道が東西に整備されたそうですから、かなり古くからにぎわっていた土地になるようです。



 この地訪問の動機とは、前回紹介した「廃虚めぐり」の関連サイトにて、現在も残されているとの情報を見つけたので「是非とも!」と足を運びました。
 管理に必要な道路等の整備は行われていますが(敷地内を走る車がありました)、建造物に関しては手を加えてないようで、左の建物は使用されなくなった当時のままのようです。
 この状況下で、鉄塔や、パラボラアンテナだけが草木に覆われていないのは不自然な訳ですから、メンテナンスされていることと思われます。
 敷地北側では区画がとても入り組んでいて、民家の軒先をかすめるようにフェンスが張られています。
 基地建設時に家屋があったなら、こんな立ち退きはさせないでしょうから、おそらく住宅の方がギリギリまで攻めていったように見えます。
 住宅のすぐ隣に、廃虚となって木々に覆われた米軍の施設がある様子は、奇妙なコントラストを生み出していました。


 府中の森公園(Map)

 この公園の名称はローカルニュースなどで、水遊びをする子どもたちの映像と共に印象に残っていました。
 また「府中の森芸術劇場」の名も耳にしたことがあるかと思われますが、他にも「府中市美術館」「生涯学習センター」等が、公園に併設されています(隣接して航空自衛隊の施設および官舎があります)。
 この一帯は以前、府中基地に使用されていましたが、返還後の再利用計画により現在に至っています。
 ──わたしにはこれまで、府中基地があったという認識がありませんでした(知っていたのは調布と立川)。

 府中基地は1939年に、陸軍燃料廠(しょう)として設置されました。
 この「燃料廠」とは、石油資源を持たない日本が長引く戦争に備えるため、航空・自動車燃料等の自前調達を目指した施設なんだそうです。
 ここでは、石炭からの人造石油精製(石炭に油が残っているとは知りませんでした)や、原油からの燃料抽出量向上等の研究が行われたそうですが、成果は上がらなかったようです。
 何とも涙ぐましい努力というか、追いつめられた国家は何をしでかすか、理解や予測も不可能になってしまいます(北朝鮮を想起しました)。
 しかしそんな事態は、燃料資源(石油類)を自給できない日本が、資源を求めて第二次世界大戦へと突入してしまうひとつの理由となります。
 ──敷地内にある自衛隊基地のホームページには「官民あげての技術開発は、戦後のわが国の重化学工業の発展に大きく貢献しました。」とあります。化学には明るくないので理解できていませんが、おそらく無駄ではなかったのでしょう……

 戦後は米軍に接収され、在日米軍司令部と空軍司令部が設置され、1975年横田基地に移転するまで使用されていたそうです。
 返還後、かなりすったもんだがあったようですが、跡地は大蔵省(現関東財務局)、地方自治体(東京都)、防衛庁(現防衛省)で分割して利用することになったそうです。
 元からあった自衛隊の施設はそのまま存続し、自治体割り当て地域には学校やこの公園施設、霊園等が作られましたが、旧大蔵省分の土地は現在も手つかずのまま、塩漬けにされています。
 そのシンボル的な存在が、アンテナ群です。
 敷地内に残されている建物の多くは、植物に覆われて廃虚感を漂わせていますが、どうもこの施設はまだ稼働しているようです。
 同時多発テロ(2001年)以降、ゲートを警備していたそうですから、米軍の活動を補佐しているのかも知れません。

 ──子どもたちの水遊びの写真につける文章ではないとは思いますが、「右写真の女の子可愛かった」などと書いては主旨が変質してしまいます……


 浅間山(せんげんやま)(Map)

 この写真からは、映画等でみられる、敵のレーダー施設の破壊に向かうような状況を思い浮かべてしまいます(前写真と同じものの別アングル)。
 ──しゃがんで撮りましたし、虫にも刺されました……


 こんなところに「山」と呼ばれる場所があったとは知りませんでした。
 どうもこの一帯だけ、大昔の多摩川の流れに浸食されずに残された場所なので「山」という名称になっているようです(周囲からは30m程度の高さ)。
 山の頂には浅間神社(せんげんじんじゃ)が祭られていますから、富士山信仰との関連が想像されます。
 浅間神社は火之神を祭った、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)を総本宮とする神社で、日本全国に約1300社あるそうです。
 ほこら付近からは望めませんが、展望所とされる場所では、富士山方面の視界は整備されて(切り開かれて)います。
 残念ながら、この日は拝むことができませんでした。

 古神道(こしんとう:神道の源流である日本古来の信仰)には山岳信仰の要素が含まれますし、仏教にも山に対する畏敬の念が示されています。
 「山を拝む」という信仰心を理解できるわれわれだからこそ、他国からは不信心等と言われながらも、信仰の多様性(自由)に関して寛容でいられるようにも思われます。