2012/03/12

メインストリートはならず者が?──渋谷〜原宿

2012.3.3
【東京都】──「山手線を歩く! ⑧」

ショック!
 先週木曜日の夜、通しで書き終えていた下書きを自分のミスで消してしまいました。酔っぱらっていたにしても……
 冒頭からいい訳ですが、復旧は難しいため今週は主に写真の説明だけとなります(ガックリきてちょっと力が入りません)。


より大きな地図で 山手線を歩く を表示

宮下公園(Map)


 渋谷に立ち寄る機会は多いのですが、宮下公園をのぞいたのは久しぶりです。以前公園のブルーシートは「渋谷名物か?」と思うほど、山手線の車窓にアピールしていましたが、2011年にフットサル場、スケートボード場やクライミング施設が整備され新装開園しました。
 「健全な公園になった!」と驚いたそのスポンサーは「ナイキ・ジャパン」です。当初は公園の命名権を売却し「宮下ナイキパーク」とする計画が、公共の公園を企業が独占的に使用することへの反対運動が起こり、ナイキ側が引き下がることで現状に落ち着きます。

 写真の女性は、仲間がクライミングウォールを登る姿を応援しながら、自分なりのルート設定のイメージができていたのでしょう。壁の色が暗い部分はオーバーハングゾーン(上部が手前に傾斜していて、そこでぶら下がると足が壁から離れる)を、サクサクッと越えていきました。
 なるほど、彼女のようにルート設定がはまりスイスイ登れた瞬間にこそ、クライミングの醍醐味があるようです。
 「ダメ、ダメーッ!」と騒がしいものの、周囲の男たちよりスマートに登る姿はとても格好良く見えました。


キャットストリート(Map)

 初めて歩いた気がするこの通りは、東横線渋谷駅(地下鉄直通運転開始にともない、駅も無くなります)付近で暗きょ化される渋谷川の上流にあたり、なだらかに曲がることからの命名か?

 流行発信地(?)的な地域には縁がないので、右のような絵を珍しがって撮りましたが、他でも見かける「テナント募集」のお金を掛けないディスプレイのようで、「今度マネキンにはどんな服が飾られるのか、乞うご期待!」という意味のようです。
 どうりでだれも見向きもしない訳です……


 この通りは後述の表参道と交差しており、その交差点付近には双方の客層向けの店舗が入り乱れています。
 ここの客層は20代中心と思われますが、メインストリートである表参道は20代後半より上と見受けます。
 キャットストリートの若者は、まだ表参道で買い物はできないが、交差点近くに混在する「ちょっと背伸び」の店舗を呼び水にメインストリートへといざなう「町の仕掛け」のようで、したたかな戦略と思ったりしました。
 メインに対するサブ(枝道)ととらえると、店先に商品の下着を飾ったりできる自由さがあるので、散策して楽しめる通りなのでしょう。




表参道(Map)

 現在このメインストリートには高級品ブランド直営店が、あきれるほど「バブリーなたたずまい」で軒を連ねています。
 この通りは、明治神宮創建にともない1919年(大正8年)神社正面参道として整備されたことに始まります。
 敗戦後アメリカ軍が代々木公園にワシントンハイツを建設したことから、アメリカ人向けの店が並び基地門前通り(沖縄市コザの「ゲート通り」も同じ)として栄えます。
 そんな経緯から舶来品を扱う店舗が並び、流行に敏感な若者たちが飛びつくような流行発信地の素地が形成されます。

 同様の基地門前町であった六本木は歓楽街として、横浜は開国のプライドを保つことで発展しましたが、そこには「都会だったから」の注釈がつきます。そんな様子を見る度に「沖縄市コザをどうにかできないか?」と考えてしまいます……

 そうそう、以前歩いたのは同潤会アパート(関東大震災の復興支援に大正末期〜昭和初期に建設)が健在のころでしたが、その跡地に建設された「表参道ヒルズ」の長さに、アパートはこんなに長かったっけ? の印象を受けます。
 端っこにある「これこれ!」とイメージがよみがえる建物は、保存されたものではなく再現された建造物だそうです(当たり前だよね)。
 きっとこの大きな明り取りは、再現時のデザインと思うのは、古い公共住宅は構造重視から内部が暗い印象があるためです。
 明かり取りの左上に、現在はディスプレイと思われる縄ばしごがあります。その存在が以前のアパート生活を想像させてくれるスイッチのように見えました。


竹下通り(Map)

 ここは、かなり以前に見聞のために歩いて以来の2度目くらいだろうか。異次元の世界のようですから、関心も無ければ用事が発生する理由もありません。
 そんな「おとぎの国?」の様子を検証するつもりで、人込みに身を投じて350m程度の牛歩に付き合いました。
 現在も若者の流行発信地であるかは不明ながらも、通りに並ぶほとんどの店舗が若者の関心を引こうとアピールしていますから、若者には心地いい場所であるようです。
 また、高校生くらいの年齢特有の「スキンシップ願望」(ベタベタと体を寄せていたい)を、このおしくらまんじゅうが満たしてくれるように感じる混雑ぶりです(若い連中はこの雑踏をよろこんでいそう)。
 クレープ屋を撮ろうと思ったものの、めげました……


代々木公園(Map)


 今回は人込みを歩くことを覚悟していましたが、竹下通りに入る前に「もう飽きちゃったよ!」の気分なので、最後は代々木公園で口直ししました。
 今週の梅開花情報@代々木公園です。
 この時点では前週と変わらない印象ですが、これを書いた週には暖かな陽気が訪れたので、一斉に花を開いたことでしょう。


 終わりに近づいてショックのあせりも収まったので、少し調べました。
 ここは元陸軍の代々木練兵場で、敗戦後はアメリカ軍のワシントンハイツとされ、1964年東京オリンピックの選手村として使用されます。
 ここでわたしが誤解していたのは、現在も小田急線の車窓から見えるユースホステルのような施設が元選手村で、その周辺に数倍程度の建物があったと思っていたことです。実際は代々木公園全体が選手村だったと知り、考えてみれば広大な土地が必要であることは当然と、その認識を改めたところです。

 オリンピックから間もなく50年を迎えますが、その後に整備された代々木公園では大木となった木々が世代交代のため、伐採された切り株が目につきます。
 植物の寿命には50年より長いイメージがあり、「ここ50年の周辺環境のせいか:大気汚染等」と思うも、隣接の明治神宮では100年近くにわたり植物が育ち続けています。
 それは土壌の違い、もしくは公園の整備計画によるのかも知れません。
 下写真は、近くの木にできた大きなこコブですが、樹木の病気が広がっているなら手を打つのは当然です。


 大震災から1年がたちました。
 振り返り最初に思い浮かぶのは身近な地域社会を覆う「暗さ」です。戦争を、敗戦を知らない年代にとって、初めて経験した「暗さ」でしたが、もうそんなことは言ってられません。さあ、再生の道です。
 気持ちはあっても「力になれていない」思いは、多くの方にあるかも知れませんが、現在の居住地でも力になれることがあります。それは「ガレキ処理の受け入れ」です。
 東北地方の「リアス式海岸」とされる地域は平地が狭いため、ガレキを集めてもその移動先が無ければ、限られた平坦な土地を占領したままで、復興したくてもガレキの存在がそれを阻んでしまいます。
 以前も書きましたが、あまり好きではない東京都の石原知事ですが、ガレキ処理受け入れ反対意見に対し「ダマレ! と言えばいい」と一蹴し、事が運びました。
 それが政治家であると思うし、そんな方針を動かすのが民意なのだと思います。
 まずは放射線量計測で「クリア」とされたガレキについては、即刻各都道府県で受け入れに動いてもらわないと、被災地の復興の遅れ=日本経済立ち直りの遅れ、につながる大きな課題であると認識してもらい、行動を願いたいところです。

0 件のコメント: