2012.3.11
【東京都】──「山手線を歩く! ⑨」
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明治神宮(Map)
天候の関係で「大震災から一年」となる日曜日に歩きました。
原宿駅周辺には、奇抜な格好をした若者を珍しがる海外からの旅行者が写真撮影するなど、普段と変わりない様子があります。
時間に余裕があったので後述の明治神宮御苑を歩くも、そのせいで横綱が奉納土俵入りをする社殿前への到着が少し遅れました。
ご察しのとおり、地震発生の時刻に明治神宮では何が行われるのか? を見たい気持ちで向かいました。
遅れたため何か合図があったのか分かりませんが社殿前の広場では、多くの人たちがたたずみ社殿に向かいこうべを垂れています。黙とうの時だったようです。
それはただならぬ光景ですが気持ちを理解できるので、写真は撮れませんでした(そんな姿こそ伝えるべきかも知れませんが)。
その様子から想起されたのは昭和天皇の崩御で、当時もこのような状況だったのかも知れないと……
平成天皇は、震災から一年に当たるこの日の「大震災追悼式」への出席を目指し、心臓手術を決断しました。
日本人の心に伝わったであろう英断と追悼式の言葉により、国民は「喝!」を入れられた思いがしたのではあるまいか。
そこには「これを言わずには、死ねない!」という心中を身をもって表現した心意気と、復興の遅さにいら立つ心情が感じ取れます。
「国民にはわたしから声を掛けますが、あなたたちには国政を任せているのだから、きちんと国を守ってもらわないと困ります」との、怒りが込められていたのではないか(それはまさしく「国民の声」です!)。
それを受け止めたであろう主に政府関係者には、決死の覚悟で取り組んでもらいたいものです。
それが効いたのかこの一週間で、急に(ガレキ処理の問題だけですが)トントンと前進するように見えました。
情けないと言うか、国民が自立できていない(自分は何をすべきかを考えられない)国には「天皇は必要である」という、甘えが感じられます。
わたしは天皇制の反対論者ではありませんが、せっかくいるのだから、その存在にしか出来ないことに専念してもらうべきと思います。
震災後の天皇の活動は、その存在にしかできないと確かに思えました。
信仰は自由でも、明治天皇に向かい震災の黙とうをするのは違うと思いながら参拝後に振り返ると、あれだけいた人たちは跡形もなく消えていました……
上写真は明治神宮御苑(神宮敷地内にあり、花菖蒲が見事な庭園)で、その奥(社殿近い場所)に清正井(きよまさのいど)があります。
由来とされる加藤清正は安土桃山・江戸初期の武将で、当時この地に加藤家の下屋敷があり清正の子が住んだとされるも、清正が暮らしたかは不明。
清正は熊本城、名古屋城の建築により「築城の名人」「土木の神様」とされたことから、この地でも伝説とされたようです。
現在その井戸はパワースポットとして注目される場所となり、「井戸の写真を撮ってケータイの待ち受け画面にすると願いがかなう」とのふれこみから驚くほどの人気で、この日は20人ほど(ほとんど女性)の行列がありました。
都心にキレイな水がこんこんとわき出す姿は、いまどきではとても珍しく癒されるものがありますが、ブームに右往左往する姿はどうかと思います。
その行列を目にして、早々に引き返しました。
明治神宮参宮橋口近くに、武道場「至誠館」があり、弓道、柔道、剣道、武道研修(合気道と剣術等)の指導をしています。
のぞいたことはありませんが、各道の第一人者を輩出する名門だそうです。
道場に近い芝生の広場で、弓道のいでたちか? 若い娘たち(高校生と思う)が輪になって踊っています。
弓を引く際の緊張感と集中力には、相当なテンションが必要と思うので、練習を終えてのリフレッシュなのでしょう。
オフに切り替わり普段の姿に戻る瞬間は、開放感から老若男女を問わず表情が明るくなります(遠かったので、ブレてますが雰囲気だけ)。
代々木ポニー公園(Map)
現在携わる乗馬関連雑誌で、代々木に乗馬俱楽部があることを知り、機会があれば寄りたいと思っていました。
ガキ時分実家から明治神宮に向かう際、小田急線参宮橋駅から歩いた覚えはあるも、そこに乗馬俱楽部があった記憶は残っていません。
乗馬俱楽部に隣接して、渋谷区立「代々木ポニー公園」があります。都心でポニーに無料で乗れる施設ですから、子どもには人気があります(狭いのは仕方ないよね)。
ホームページには「都会の中で多くの子ども達にさわられ、乗られるというのは、ポニーにとっては精神的にも身体的にも大きな負担となるのです」とあります。そのため、定期的に牧場で放牧をしているとのこと。
人間の側にすれば、都心で馬と接することができてとてもありがたいが、馬の側にしてみれば「ストレスたまるんだよなぁ〜」のようなので「そんな馬の気持ちを大人になっても忘れないでね!」という施設になります。
東京乗馬俱楽部(Map)
東京乗馬倶楽部は1921年(大正10年)に創設されその後社団法人(社団・財団法人設立には官庁の許認可が必要だが、法人税・寄附金の税が優遇される)とされます。
1909年(明治42年)設置された陸軍代々木練兵場(演習地で、現在の代々木公園、NHK放送センター、渋谷区役所、渋谷公会堂周辺一帯を含む)で使用される馬の厩舎(きゅうしゃ)が、起源となりそうです。
日露戦争(1904〜1905年)で『坂の上の雲』(司馬遼太郎)にも描かれる、ロシアのコサック騎兵を打ち破った勢いからも、騎馬隊充実に注力された時期ではあるまいか。
宮内庁の厩舎は皇居内にあるらしいので、やはりここは陸軍に由来するようです。こんな都心で馬を飼い続けられるのは、強力な後ろ盾があるためでしょう。
前回触れた代々木練兵場→ワシントンハイツですが、占領当時、米国首都「ワシントン」の名を付けたのは、ここを占領の中心地とするアピールだったのでしょう。日本は都内の米軍施設の中で最重要地として対応させられます。
元軍用地なので占領されて当然ですが、東京でオリンピック開催にあたり、この土地を戦後の占領下から自立した姿の象徴としたい旨を嘆願したのでしょう。
平和の祭典「オリンピック」を盾に東京から「ワシントン」を排除することに成功しますが、そのためにどれだけの負担を強いられたのかは想像できません……
右写真のファッションは乗馬俱楽部の写真等でよく見かけますが、地味に見えてしまうのは闘牛とは逆で、あまり派手な格好をして馬を刺激しないためのようです。
ハンチングは似合うと思うのですが「ブリティッシュスタイル」をそのまま取り入れても、様になる日本人は少ないように感じたりします(結構有名な人かも知れないのでこのへんで……)。
少ない知識から。乗馬のスタイルにはルーツである「ブリティッシュ:貴族起源」と、生活感のある「ウエスタン:西部劇でなじみの」があります(日本式馬術は廃れたそう)。
日本で前者を目にする機会といえば皇室の祝賀パレード程度しかありませんが、われわれは後者の西部劇を見て育った年代なので「乗馬=ウエスタン」のイメージに支配されています。
オリンピックの競技には、トップハット、燕尾服、白の乗馬パンツでビシッと決めた服装が義務づけられた「ドレッサージュ」という、馬の動作をどれだけ制御できるかを競う種目があります(70歳の法華津選手がロンドン五輪代表に選ばれた)。ロンドン五輪では注目してみようと思っています。
国立オリンピック記念青少年総合センター(Map)
前回「小田急線の車窓から見える」とした、オリンピック選手村に使用された施設をのぞいてきました(1980年代、中国残留孤児が肉親捜しに来日した際の宿泊先とされました)。
門を入った最初の印象は、以前の公団アパート的なイメージではなく「サンリオピューロランドか?」という、パステルカラーに彩られデコデコ(装飾過剰)なテーマパークのようで、「何の施設?」と用途が想像できません。
ここは、体育館、プール、テニスコートだけでなく、ホール、研修施設や宿泊施設も備える、スポーツ総合センターとなっています。
また、近所の子供たちの格好の遊び場となっていますから、近くにあったらいいのにと思う施設です。
以前小田急線から見えた公団的な集合住宅は、ワシントンハイツの単身向け住宅だったようです。
米軍から返還後、集合住宅とかつて代々木公園に広がっていた一戸建ての住宅群はそのままオリンピックの選手村として活用されます。アメリカへの支払いはかなり大きかったでしょうから、とても新築する予算までは無かったと想像されます。
とはいえ「基地返還」→「オリンピック選手村」という「日本の復興事業のシンボル」は、お金に換えがたい自信回復の後押しとなりました。
現在もその時に感じた「夢」を思い出して、沖縄普天間基地等の問題に取り組む必要があるはずです。
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