2012/06/11

「芸術の森」に託した願い──日暮里〜鶯谷

2012.6.2【東京都】──「山手線を歩く! 21」

 この日は鶯谷(うぐいすだに)駅を起・終点として、上野桜木町・上野公園(という地名があります)周辺を歩きました。

 鶯谷の地名は現存しませんがその由来には、江戸時代寛永寺の住職として訪れた京都の皇族が「江戸の鶯はなまっている」と京都から運ばせ、鶯の名所にしたとあります。
 江戸時代政治の中心はこの地でも、天皇が暮らす御所のある京都こそ都という意識を持つ都人(みやこびと)たちは、「野蛮人の町」程度に見下したのでしょう(明治時代に認識の古さに気付き、慌てることになります)。 

 なまっていない(?)「京都弁のウグイスの鳴き声」を聞いたことがありますが、雅さの足りないわたしには違いが分からなかった気がします……


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鶯谷(Map)

 鶯谷から想起するのは看板を見ただけの、グランドキャバレー「スター東京」(バンド演奏の舞台やダンスフロアがあり、映画『キャバレー』のライザミネリに通じる明るいイメージ)ですが、既にビルも取り壊されました。
 通りの反対側にある「東京キネマ倶楽部」(大正時代開業のダンスホール)は、現在イベントホール的なスペースで女子プロレスなども行われます。
 夜の社交場が林立した背景には「吉原(幕府公認の遊廓)の玄関口」という歴史があり、現存するラブホテル街には受け継がれた実態が散見されます。

 ホテルが密集する地域で営業を継続するには、多くの利用者が必要になりますが、そんな「ムラ」は「施設を必要とする商売」を育てていきます。
 おそらくホテル街への反対活動なのでしょう、送迎車に乗り込む出張の女性を至近距離で撮影するアマチュアカメラマン(おばさんもいる)たちの、「ヤツらの人権は認めない!」的な行動にはやり過ぎの印象を受けます。

 この付近にはびこる根は深そうで、暴力団関係者が代々受け継ぐ「根城」のように強固な歴史がありそうです。
 若いファミリー向けのマンションを建てにくい下町では、横浜黄金町の地域住民が結束したバイバイ売春運動続編のリンク)のような動きは難しそうに思えました。


寛永寺(かんえいじ)〜上野桜木町(Map)

 上野寛永寺は、徳川幕府三代将軍家光が1625年に開いた天台宗(比叡山)のお寺です。
 山号を東叡山(とうえいざん;東の比叡山)とし、比叡山を従える天台宗本山として権勢を誇るも、1868年上野戦争(江戸城無血開城後に起きた、徹底抗戦を貫く彰義隊(しょうぎたい)と新政府軍の戦い)により焼失します。
 また第二次世界大戦の空襲で、残っていた徳川家霊廟の大部分も焼失します(篤姫の墓は残るそうだが、見学不可)。

 本堂から外をうかがう僧侶の姿が目につくと思えば、中では見学会の最中で、写真撮影を警戒していたのかも知れません(どれほど秘蔵のものなのか?)。


 ここは寛永寺に近い浄名院(寛永寺36坊とされる子院)になります。
 予備知識のないまま本堂周りを歩いていると、奇妙な色・形状の実のようなものが干されており「これへちま?」と……
 ここの「へちま地蔵」は咳や喘息に効用があるとされ、旧暦8月15日にはへちま供養が行われます(へちまでこすると先代の「巣鴨とげぬき地蔵」のようになってしまいそうな……)。

 ここは、信号待ちで見かけた外国人観光客と思われる兄ちゃんが目指す場所のようなので、寄ってみるか的な気分でした。
 入ってみると「彼が引かれたのはこれか!」と納得できる光景を目にし、いい場所を教えてもらい感謝しています。
 ここでは1876年(明治9年)8万4千体の地蔵建立を目指し、当時の皇族をはじめ多くの人の協力で具体化しますが、まだ成就されていないようです。

 寛永寺を含めたこの地域は上野桜木町とされ、転居好きな(?)川端康成が『雪国』執筆当時はこの付近を点々としていたそうです。


 言問通り上野桜木交差点の角に、下町風俗資料館付設展示場があります。
 谷中で江戸時代から代々続いた酒屋の建物を移築し、屋内に酒屋で使われた道具や資料を展示しています。

 ちょうどその前の広場で紙芝居が始まりました。白昼の広場を舞台にして、語りで絵に関心を集め展開を期待させる力は、まさに「話術」なのでしょう。

 最初は最前列の親子だけですが、次第に周囲の大人たちが「懐かしさに呼ばれようか」と腰を下ろす方が増えていきます。
 いっときを過ごす人が増えれば、それが評価となるのですが、徐々に腰を下ろす大人が増えたのは「座りたい」だけかも知れません……

 この方の情報見つけました。「紙芝居屋の三橋とら」という方で、自作自演(脚本、絵、製本製作)の「紙芝居屋」とのこと。
 でもブログには「北海道にお引っ越し〜」とあるので、しばらく会えないかも知れません……

 芸大の門前町ですから、凝ったデザインの建物や、装飾(右写真)が見受けられます。


東京藝術大学(Map)

 東京藝術大学は、前身である官立の旧制専門学校「東京美術学校」と「東京音楽学校」が、1949年(昭和24年)に統合され設立されました(現在の英語表記「Tokyo University of the Arts」の響きがカッコイイ!)。
 現在上野キャンパスで一般人が立ち入れるのは、通りをはさむ南側の大学美術館がある「美術学部」だけで、北側「音楽学部」(右写真に隣接の赤レンガ1号館(旧教育博物館書庫)は都内最古のレンガ建築物)には入れません。
 南側の美術学部には、作品の素材に使用する木材・金属・岩石・石こうを扱う「工場(こうば)」が並ぶような印象があります。

 キャンパス内では、かなり以前に造営されたと思われる「彫刻の森:木々の中にたたずむ彫像」や、えらく太い大木があるままの姿で、コンクリートの建物と共存しています。
 芸大のコンセプトも「イマジネーションは自然に学べ」と受け止められ、自分のスタンスを確認できたような気がしました。

 一方の立ち入れない「音楽学部」は、感性+ひたすら技術向上を目指す場のようで、制約の下で「集中力を高められる環境」が与えられているようです。それ自体をプレッシャーに感じそう……

 現在右は「国際子ども図書館」とされる、児童書を専門に扱う国立国会図書館の施設になります。
 この立派な建物は、1906年に帝国図書館として建設されます。
 その後国会図書館と統合され、1961年現在の国会図書館(永田町)に東京本館が移され、ここは国会図書館分館とされます。
 そして東京本館の増設に伴い蔵書が減ったため、国会図書館には残されていない児童書を専門に扱う図書館として再出発します。

 何度来てもよく撮れないと思うのは日差しによるもので、それは「午前中に来い!」ということなのでしょう。もう少し年取って、朝早く目覚めるようになったら来ます……


上野公園(Map)

 右写真は、東京都美術館裏手に残される、上野動物園で以前使用された門の様子です。
 入園券売場やゲートの様子も見られるので、昔はここが出入り口だったようです。
 次回は、久しぶりにパンダ見物でもと考えています。

 下は東京都美術館入口にあるオブジェで、球体の鏡面ですから撮影者は小さくても中心部に映ってしまいます。
 美術館や博物館が集まる場所なので、見学に足を運ぶ機会は他の場所に比べて圧倒的に多いのですが、東京都美術館に足を運んだのは1回(?)程度の印象です。
 1975年「新館」オープンから活動方針として「現代美術館:いわゆる前衛芸術の展示」を目指します。それがピンと来なかったばかりか、現在展示中の2012年4月リニューアルオープン記念の「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」にも「?」なので、美術「通」向けのプログラムには反応できないようです。


 ちょうど季節柄、不忍(しのばず)池に下りようかと思っていたら、噴水池付近が改修され広場となった場所で「さつきフェスティバル」が開かれています(これを見たかった)。
 以前は不忍池のほとりで「皐月展」として開催されていましたが、2008年から上野の山の上で行われるようになります(ちょうどこの辺りに栄華を誇った時分の寛永寺がありました)。
 大学時代の4年間(不忍池のほとりで開かれていたころ)、この展示会の夜警のアルバイトを学科の仲間で仕切っていた思い出があります。
 時代が違うので状況は分かりませんが、不忍池周辺の「猥雑」とした雰囲気が若い身には刺激的に感じられましたが、現在山の上での夜警には何されるか分からない「怖さ」があるように思います。
 酔っぱらいの相手をすれば何とかなった時代との違いを感じます……

 上野の山のロケーションでインパクトがあるのは、大噴水の先に東京国立博物館(特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」には長蛇の列)を望むの絵で、その光景を引き立たせようとする改修工事はこの4月に終わったばかり。
 博物館への見通しは広くなり、脇にオープンテラスのカフェが新設され「ここは上野?」とも思いますが、花見の季節を除けば世界にも通用するロケーションになりますって!
 世界の町も、さまざまな経緯を経て地域を浄化していったのですから、上野だってできないはずはありません。

 右は国立科学博物館前の様子で、ここは見応えのある博物館で1日楽しめた印象から、「楽しかったけど、疲れちゃったね」の会話かとシャッターを押すも、きっと違った疲れなんでしょうね……


追記──社用携帯電話がiPhoneになりました

 何で? と思うも、事業主が会社の金でiPhoneを使いたいとか思った程度の理由なのでしょう。
 パソコン的な機能があるので、気軽に手に取れる反面制約はあるわけで、それを不便と感じるかが利用継続の分岐点では?(ランニングコスト高いし)。
 ですが、電車の中で楽しそうに見えた動画観賞を、今回サッカー日本代表が快勝した試合のダイジェストで体験してみると、「これは楽しいなぁ!」と。
 そこに求めるのは、画面の大きさや画質ではない「ささやかな自分だけのよろこび」とでも言うのか、外出先でもプチサイズで楽しめ、元気をもらう活力源になると感じます。
 情報ツールだけでなく、元気ツールと考えると手放せない人の多いことを、ようやく理解できた気がしました。

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