2016/10/31

「馬」の地名由来は頼朝──蛇崩川

2016.10.10【東京都】──「目黒川を歩く_14」 蛇崩川_2

 小田急線と田園都市線の間隔が広がる付近には、渋谷〜三軒茶屋経由のバス路線が2ルートあります(成城学園前・祖師ケ谷大蔵駅方面と弦巻営業所行き)。駅やバス路線間を歩けば10分以上かかるので利用してみれば、これは助かると……



鉄塔 駒沢線

 三軒茶屋付近にある右の鉄塔「駒沢線 48」が低い(21m)のは、周辺建築物の高さ制限に関係しそうです。
 隣接の鉄塔「駒沢線 49」は、世田谷通り沿いの商業地(高い建築物が認められる)をまたぐため、41.5mのモノポール鉄塔が設置されています。
 山間部の送電線が、山の起伏(高度差)に関係なく直線的に通されるのは送電ロスを少なくするためで、いかに送電線を短くするかが、エコの鍵となるようです。
 電気の速度は光と同等とされ(1秒間に地球を7周半)、発電された電気は瞬時に各家庭で消費されるらしいが、いっせいに電気を切ったら、余剰電力は棄てられちゃうのか? 電気のエコは見えないのでピンときません……



 右は、与那国島の海底遺跡(?)を想起する角刈りの庭木。「世の中は丸く収まることばかりではない」「平穏の先には壁がある」の意味なら、理解できるようにも。
 江戸末期に荒廃するも明治中期に復興され、徳島藩蜂須賀家 三田中屋敷(芝税務署付近)から移築された門の迫力には目を奪われます(東京都文化財)。1574年開山とされる真言宗の寺院。

 門前を「野沢龍雲寺」行きのバスが通ります。行き先付近にある寺らしいが、京都の銀閣寺行きバスのようで、一度乗ってみたいと……




 付近の、上馬・下馬・駒沢通りなど「馬」に関する地名の由来は、源頼朝が奥州合戦(1189年義経+藤原氏討伐)に向かう際に生まれたとされます。
 頼朝の馬が蛇崩(じゃくずれ)の激しい沢の深みで命を落としたため、頼朝の「この沢は馬を引いて渡るべし」から、「馬引沢」→「下馬」と伝わったとのこと。現在も高台から下る坂には、流れの速かった様子がうかがえます。
 上は神社隣接のアパート通路の仕切りで、さび放題の様に目が止まったもの。


 神社は頼朝以前から源氏に縁があり、源義家(頼朝の曾祖父)が奥州に向かう際に立ち寄ったと伝わります。
 義家が訪れるまでは、古くから信仰された「子の神社:ねのかみ」(十二支の「子」、鬼門よけの「子の方角:北」、根の国の神「水の神」等の説がある)でした。
 上は、鳥居前の旧蛇崩川に架けられた太鼓橋。

 右の芦毛塚は、蛇崩で死んだ頼朝の馬(芦毛:灰色)を葬る塚(蛇崩交差点に近く、東横線 祐天寺駅が最寄り)。
 蛇崩川の由来は、大水で崖が崩れた際に大蛇が出てきた、ことによるそう。




 日本の馬頭観音は、移動手段や荷運びの馬が死んだ路傍や芝先(馬捨場)に設けられたもので、家畜全般が供養されたそう(仏教では、諸悪を打ち破る菩薩)。
 馬の好物であるニンジン、リンゴ(甘党らしい)が供えられる観音(上)は中目黒駅付近にあります。
 前回の馬事公苑付近に始まり、馬の地名を刻みながら流れ、目黒川に合流する中目黒で馬頭観音が守られる蛇崩川は、「馬の川」と呼べるようにも。

 右は馬の話題に入れなかった、世田谷公園の長いうんてい。渡り切れる? ほどの長さ。


追記──西ノ島に初上陸(リンク先動画)

 新たに生まれた島への初上陸は、外来種を持ち込まないように泳いで渡り、荷物も含め塩水で清めた(?)そうですが、海水で洗えばOKなのか?
 これほど魅力的な研究対象との出会いは限られるため、島内環境を守ろうとするのは当然で、生態系を乱してから後悔しないためにも徹底すべきと思います。
 孤島の自然環境・生態系変遷の研究、海底火山の生成過程等々、今後の研究成果が楽しみです。


追記──日本シリーズ 日本ハム優勝!

 序盤は広島らしさを見せつけ、さすがの印象がありましたが、適地に乗り込んでから何かが狂い始め、本来の力を発揮できなかった気がします(黒田の緊急降板からか?)。
 日ハムは、大谷に無理をさせるなと心配していたが、最終戦は彼抜きでもチームが力を発揮し、彼をジョーカーに使えたことが勝敗を分けたようにも。
 欲をいえば、7戦目で黒田 vs. 大谷の投げ合いを見たかったが、とても楽しめました。
 黒田投手、ありがとうございました!

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