2012/01/16

虹の向こう〜は♪──レインボーブリッジ

2011.12.24
【東京都】

 これは昨年のクリスマスイブに歩いたものですが、年末年始の報告を優先したため遅くなりました。
 日本人だし、クリスマスより年末年始を重視する姿勢でいいと思いますが、写真にもう少し季節感を出せないかと反省しています。
 タイトルも「どこから掘り起こしてきたんだ?」という若い人には伝わらないフレーズですが、いつか使いたいと思っていました(『虹をわたって』天地真理 1972年)。


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レインボーブリッジ(Map)

 田町駅海側の芝浦地区(埋め立て地)は近ごろウォーターフロントと称されますが、こちとらそんな名称によろこぶ年ごろでもないし、「レインボーブリッジまで徒歩15分で行けるんだ!」との驚きも「だから何?」と思う口ですが、東京タワー同様ベイエリアが近い土地柄での暮らしになじんできた気がします。
 関心がなかったのは確かですが「この橋は歩いて渡れる?」の答えを、もう忘れてしまった方も多いのではないでしょうか。
 わたしも「渡れます」の答えに「えっ、そうだっけ?」の口なので、足元が見える高所にビビる年ごろですが(視力・運動神経の衰えとはいえ、あまりに情けない)歩いてきました。
 何だかんだ言っても、歩いてみなければ何も語れません。

 陸地側のループ付近の海面は、タグボート等の船だまりのようで結構いい雰囲気があります。というか、そんな海上にループを作ったのでしょう。


 もう橋の写真はいいと、別の視点を探した芝浦側橋脚の写真になりますが、この鏡面ガラスの内側に入れるのかと思いきや、エレベーターはその階を通過して橋の上に至ります。
 橋の管理施設でもあるのかと思っていたら、徒歩も有料とされた時分には展望・休憩施設だったものが、2000年の無料化以降は封鎖されてしまいます(開通は1993年)。
 横浜ベイブリッジのスカイウォーク(1989年完成)も2010年に閉鎖されましたから、橋からの展望施設には物珍しさ以外の魅力が無いということなのだろうか?
 明石海峡大橋では、子どもたちが大はしゃぎしていましたから、見せ方にも問題があるように思いますが、バブル期に計画された施設を現在維持しろと言われても「無理です」以外の答えは出てきません……

 2012年5月開業予定の東京スカイツリーがここから望めるのは当然としても、条件が良ければ結構遠くからでも見えることを思い出しました。
 まだ丸子に暮らしていたころ、東横線車窓から都心方面の見晴らしが開ける学芸大学駅付近で、東京タワーと同じ高さに見えるスカイツリーを発見し、距離と高さの関係を理解するため景色の中に「巨大な三角定規」を思い浮かべていました。
 それにしても、渋谷駅の手前から山手線反対側のさらに先の隅田川付近にある建造物が裸眼で見えるのですから、直下から見上げたときの存在感を想像すると楽しみでなりません。

 下写真の「ゆりかもめ」のループ軌道を目にすると、以前携わった週刊誌での大きなミスを想起してしまいます。


 それは、このループ全体と対岸のお台場までバッチリ入った迫力ある写真を、見開きページに「ドーン!」と使っていた記事になりますが、発売日の朝にフジテレビから電話で「この写真は何ですか?」と指摘されたそうです。
 こちら側の意識としては「何の文句言ってるんだか?」との被害者意識でページをめくり開いた瞬間、それまでの出版社側の目から読者の目に切り替わり、全員が「ギャ〜!」の叫び声を上げました。
 写真が逆版(ぎゃくはん:フィルムの表裏を間違え左右逆)で使用されていました。
 一般的な日本人やフジテレビの女子アナ好き(?)の視点で見れば「これ逆じゃない?」と一発で分かるはずなのに、海外版で使用される写真なので誰も疑わなかったのか、多くの担当者がそれぞれ何度も目にしているのに、編集段階では誰一人気付かなかった事自体、不思議でなりません。
 もちろん対外的には「お恥ずかしいばかりで……」と謝罪するしかありませんが(フジテレビに迷惑は掛けてないと思うが)、社内はあきれた大爆笑(笑っちゃうしかない)に包まれ、気を引き締めたことが思い出され、いまでも笑っちゃいます……(それ以前に皇太子妃雅子さんの写真を逆版で使い、宮内庁まで謝りに行った反省が生かされてません)


 橋上の景色からは、フジテレビなどの建物やその奧の埋め立て地を排除すれば、台場が列をなしているように見えるので、海の砦となる要塞(ようさい)として建造された当時の戦略が見て取れます。

 ここは、1853年に黒船(ペリー艦隊)が来航し開国を要求するも、即答を避ける幕府に再度の来航を予告し帰国した後に、突貫工事で作られます。
 翌年1854年のペリー再訪前に一部の砲台が完成し、その存在を目にしたペリーは横浜まで引き返し上陸したとされ、大成功を収めます。

 写真で見ると、しまなみ海道のように島(台場)伝いに橋を通せばいいのにと思いますが、設計段階では当時最大級の客船「クイーン・エリザベス2」の通れる高さが想定されました。
 しかしこの地域は、航空機の羽田空港への進入路でもあるため建築物の高さ制限があり(着陸時にお台場上空を通過しますよね)、頭を抑えられたため、完成後もQE2がこの橋をくぐる機会はありませんでした。
 その後客船の大型化が進み、この橋の存在が大型客船の東京寄港を阻むこととなり、横浜への寄港が増えることになります(確かに横浜では大型客船の寄港をよく見かけます)。


 ブリッジの歩道は、サウスルート、ノースルートとして橋の両サイドに配置されています(それぞれ景色はいいが、反対側には渡れない)。
 歩行者に制限はありませんが、自転車は一方通行の上走行不可とされ、走れないように足かせの台車装着が義務付けられています(通路幅は狭いので仕方ないところ)。
 ブリッジは2階建て構造で、上写真の下段には外側から歩道、一般車道(2車線)、ゆりかもめ(を含め反対側に対向車線)があり、上段は首都高速道とされています(左側にゆりかもめが走るも分からないか?)。

 風の穏やかな日で助かりましたが無料でも人影の少ないことから、ここは歩く場所ではなく「走る施設」「眺める施設」との認知が広まっているように感じられました。


日の出桟橋(Map)


 ここ日の出桟橋には、クルーズ船や港内・隅田川シャトル便が利用している印象がありますが、本来は貨物船の利用がメインで、竹芝桟橋からはみ出した地域サービス船がその片隅を利用させてもらうようです。
 上写真は東京湾ディナークルーズ船ですが、「イブの夜は船上で」の人たちで待合室は大変なにぎわいでした。
 波の静かな東京湾内なら揺れを気にせず食事できますし、海からの夜景もキレイなことでしょう。
 しかし、船酔いせずとも常に揺れの影響があるため、お酒の酔いは回りやすいので、それを利用しようと(駆け引き?)する分にはいいのですが、酔いつぶれないよう気を付けて下さいね。
 そこでクリスマスが「THE END」となるカップルもいそうな気がしたもので……


 この後、用もないのに隣接する竹芝桟橋(伊豆諸島・小笠原航路が発着)に足を運びます。
 動機としては「呼ばれないパーティーに押しかける」イメージでしょうか。発着時間には時間があるので人は少ないものの、「離島行きターミナル」の雰囲気だけで、出かけないくせに心がざわめいてきます。
 ここへ来れば「絶対行きたい!」と思うくせに足を運ぶのは、「次回への戦意高揚」のためという表現が当てはまります。
 「虹の向こう〜は♪」島が点々と並ぶ景色が広がっていることでしょう……


 追記──小笠原からの年賀状 2012.1.17

 本稿をアップした翌日に、卒業以来小笠原で暮らす大学の同級生から年賀状が届きました。
 本土と小笠原を結ぶ船便は週1便しかないため、毎年遅れて届く賀状は彼からの便りとの風情を感じています。
 その内容に、昨年の大地震の際には2m程度の津波が押し寄せるも、大きな被害は無いとありました。
 調べてみると、岸壁近くの車が流される映像等がアップされています。
 引き波がものすごかったとあるので、これは尋常ではないと小島の人々は高台に駆け上がり、無事だったようです。

 そこにはもう一言(転居先は)「竹芝がすぐだね」とありました。
 その言葉に、離島に暮らす方々の「竹芝桟橋」への思いが感じられた気がします。
 本土と行き来する際、この竹芝桟橋という「門」をくぐる必要があるわけで、その時ごとの「うれしい」「悔しい」思いと共にこの桟橋を通過するのですから、実家(育った本州:彼は宮城県出身)の最寄り駅に降り立つような思いがあるのではないか? と思ったりします。
 そんな印象からは、本土側に暮らすわれわれとは「重み」が違うように思えますが、双方の間にある「門」と考えれば「桟橋」への思いは、お互いの思いを結びつけてくれる大切な「接点」であるように思えてきます。

 東京圏内を電車で30分の転居だけでも、彼の「すぐだね」の表現には、距離の単位は違えど「何だ、近くに越してきたんだ」というご近所感が込められているような気がしました……

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