2012/01/23

山手線を歩く!──田町〜品川

2012.1.8 & 14
【東京都】──「山手線を歩く! ①」

 これまでも候補として考えていましたが、田町への転居を機に「これをやらねば!」と、今回から新企画「山手線を歩く!」をスタートします。
 とは言え、ここ田町から時計回りに一駅づつ歩いて「山手線を一周しよう」とするだけのものです。
 山手線の駅間は短いので、あれこれ足を延ばせるのではないかと思っていますが、それは状況次第ということで……

 第一回目は「田町〜品川」になりますが、格好のテーマである三田の寺町はもう歩いてしまったので、用事がなければ立ち寄らないであろう港湾施設を歩きます。


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品川埠頭(ふとう)(Map)

 右写真奧にお台場の絵が見えますが、いつもあちら側から対岸に立ち並ぶクレーンを眺めていたので、反対側から見たいと思ったのが今回の動機になります。

 直接的ではないにせよ、対岸で「チャラチャラ」遊んでるヤツらのために、「何で汚れて働かなきゃならんのだ?」の思いが、埠頭に足を踏み入れた瞬間に感じられた気がします。
 以前なら子どもに「お台場なんか絶対に行くな!」と目の敵にするオヤジがいたかもしれませんが、いまどきはこちら側の労働者も「今日、お台場に行くの!」と聞いても、「帰ったら話しを聞かせてくれ」という方が多いのではあるまいか。「オヤジはつらいよ」です……

 ここは1967年神戸港摩耶(まや)埠頭とともに、日本初のコンテナターミナルとして稼働を開始しました。
 コンテナ輸送の大型トレーラーが行き来するため、メインストリートは片側3車線と道幅は広く、その道路を渡る際には、TV「西部警察」等のカーチェイスシーンに出てきそうな雰囲気が感じられます。


 先日、東京圏内で初めて千葉県の人口が減少した、との発表がありました。
 直近では昨年の大地震による埋め立て地の地盤液状化被害や、原発事故によるホットスポット(局地的に放射線量が高くなった地域)出現の影響があるとしても、東京圏にも「自然増:子供が増える」「社会増:社会起因の人口集中」のどちらも期待できない時代がやってきたようです。
 高度成長期以来、人を吸い集め経済をけん引し、都市部で生まれた利益を地方に還流させる仕組みも、右肩が下がり始めたようです。
 今後人口の面では「日本という風船は縮む一方」となります。

 そんな時代にドカンドカンと高層マンションを建てても(上写真奧)、住む人はいるのだろうか? 建てれば売れる時代も右肩下がりと思います。
 付近で目につくのが、工場敷地等には使いにくい運河沿いの細長い土地に立つマンションで、中でも人気の無さそうな区画には都営アパートとされる高層住宅が林立しています。
 いくら家賃は安くても暮らしやすいとは思えない居住環境ですが、都は「これからもっと便利になる!」と説明するのだろうか? 「地域の利便性向上を目指す」とされたら、「お願いします」としか言えませんね……


 付近を、埠頭のイメージに結びつかない少年サッカークラブの面々が歩いています。
 なるほど、コンテナ置き場の片隅にグラウンドがありますが、料金は安いにしても、もう少し立地を考えてもいいのでは? と思ってしまいます。
 何か「映画『ロッキー』のサッカー版」のようでもあり、ここからはい上がり世界に飛び立つサクセスストーリーが生まれれば、日影時代の歯を食いしばったエピソードとなるにしても、せめて「見通しの利く」原っぱでやらせてあげたい気がします。
 その点少年マンガの「キャプテン翼」には、「国民総中流意識」という基盤に構築された印象があり、時代とはいえ伸び伸びとした空気感がありました。
 脱線しましたが、時代の気分が逆戻りしている? ような気がしたもので……

 右写真電柱看板の「永住・帰化」が商売になることに驚くも、その下には中国語と思われる「友人を捜しています」の張り紙があります。
 ここは東京入国管理局前バス停で、その手の関係者が多く訪れる場所と想像されます。

 入国管理局は各地にあり、外国人の入出国・在留・違反手続、難民認定に関する調査・手続きを行うため、審査完了まで対象者を留め置く施設が必要になります。(ここの管轄は関東+山梨県、長野県、新潟県)
 十字状の高層施設(写真奧)の外観は病院か刑務所との印象で、お台場側の窓(室内)には洗濯物が干される様子がいくつも見られます。「多くの人をとどめる施設」はこんな形状になってしまうのでしょう。

 この手の問題に積極的な法律事務所のホームページには、「在留申請で救える命があります」のコピーが踊ります。
 本国送還されても生活できない人の切実さがあるため、その命を救おうと法のすき間をぬって「不法ではない入国の道」を探してくれるのでしょうが、成功報酬はどれだけ請求されるのだろうか?
 看板の「人道的支援」の現実には「弱みにつけ込みます」という条項が含まれているのではないか? と思ったりします。
 どこの国境にも「必要悪」への需要があり、日本にもそれを糧とする存在がいることを、初めて自分の目で認識した気がします。

 これは引っ越して1ヶ月間の印象ですが、ベイエリア付近では中国系出身者の多さが際立っているように思います。田町駅周辺のコンビニや牛丼チェーンの店員のほとんどは中華系との印象があります。うちの建物でも、家族連れを見かけます。
 そんな現状に意見を求められた石原知事を想像すると「都営住宅も労働力確保に役立ってるんだ。外国人をドンドン呼んでこないとこの先東京は動かなくなる」とか言いそうですが、反論の余地が見つかりません……


天王洲(Map)


 ここは東京モノレール天王洲アイル駅付近で、テレビ等で見かけた印象のある風景です(奧の建物はwaterlineというお店)。
 雰囲気のある橋は倉庫街時代からあったかと思うも、再開発の一環として架けられた「天王洲ふれあい橋(人道橋)」になります。
 天王洲の由来は、江戸時代この付近の州(海中に砂・泥が堆積した浅瀬)で、牛頭天王(ごずてんのう:日本の神仏習合神=牛頭天王+スサノオの神仏習合神。京都八坂神社等に祭られる)のお面を海から引き上げたことによるそうです。1980年代までは倉庫街でした。

 既存の埋め立て地に新しい橋を架けることは、そこに新しい町を作る「宣言」にもなりますし、橋の手前側にある都営住宅の方を含め利用者が多い様子から、とても重要な事業であったことがうかがえます。


品川駅港南口周辺(Map)

 現在「品川インターシティ」「品川グランドコモンズ」として再開発された品川駅港南口には、1984年まで旧国鉄品川駅東口貨物操車場や新幹線基地がありました。
 同様のシナリオで再開発された「汐留シオサイト」は汐留貨物駅跡地の再開発ですが、そこで感じたグレートウォールの絶望感(?)をはるかに超える規模で、コンクリートの壁とガラスの城が築かれています。
 ここには「高層ビル以外は建ててはいけません」の制限があるかのように、ドカン、ドカンと高層マンションが立ち並ぶも「まだまだ作りまっせ!」の勢いがあるようで、将来は新宿か品川か? という摩天楼になりそうです。

 品川駅港南口は大規模再開発で長らく工事が続いていましたから、工事終了後の姿を初めて目にした気がします。
 ガラスの壁面は明るそうですが、「想定外」とか言って破片をまき散らさないよう願いたいところです。「大震災前に建てたから」は、現在では言い訳になりません。

 写真手前の「東京食肉市場(株)」(株式会社だったんですね)の建物を撮ろうとするも、「内部撮影禁止」とされ遠めの写真です。
 ここでは牛・豚の生体を受け入れ、検査終了後、と畜(屠殺:とさつ の言葉は使わないらしい)、解体、整形、洗浄、計量、格付けからセリ販売までを行うため、多岐にわたる設備が必要なので、この場を動こうなどとは考えてないようです。

 個人的には、映画『愛について、東京』(柳町光男監督 1993年)で主人公(中国人留学生)が、と畜用の銃で牛を殺すシーンが脳裏に焼き付いています(ここで撮影されたと思う)。


 その近くに、屋形船の船泊りとされる運河があります。
 電車などで広告を目にする「船正」の桟橋では、清掃の方がキッチリ作業する姿や、ぶらっと立ち寄ったわたしにも迷惑がらない態度に、繁盛の原点が見えたような気がします。

 ずいぶん前に屋形船の宴会を経験したことがありますが、船上の厨房(?)で調理できるのは天ぷら程度で、刺身や調理品は陸から持ち込むわけなので、食事については面白味が感じられなかった印象があります。
 船上で調理できなければそれを逆手にとって、鍋でも出してくれればもう少し楽しめたのにと思ったものです(夏だったらしゃぶしゃぶとか)。

 付近にある「東京海洋大学」構内を散策しようと思うも、折しも「大学入試センター試験」の会場とされており、邪魔しちゃいかんと引き返しました。
 試験のトラブルはゼロにできないとしても、巻き込まれた受験生をきちんとフォローしてあげないと、真剣に取り組んできた受験生たちに遺恨を残してしまい、社会や人間不信を植え付けてしまいます。
 前身である共通一次試験スタート当初は、受験番号のマークもれは即0点とされたものを5年目からは救済するなど、さまざまな救済策が講じられてきました。
 社会は受験生を応援しているのですから、めげずに実力を発揮してください!

 東京海洋大学の名はあまり耳にしないと思ったら、2004年に東京商船大学と東京水産大学の統合により、国内唯一の海洋研究・教育専門国立大学として誕生したそうです。
 イメージには「商船大学:大型船の船長」「水産大学:漁船の船長」との違いはありますが、「海の大学」としての統合には、同窓のつながりから相互交流への期待が込められた、とても日本らしい学府の印象があります。


 ここは(写真下側)芝浦水再生センター(下水処理施設)で、23区南部地区の下水処理を行います。
 先日「山手線に新駅設置計画」と報道されたのはこの付近になります。
 計画では、上野駅を終着とする宇都宮・常磐・高崎線を東京駅まで延伸し、東海道線と直通運転することで車両基地「田町車両センター」を大幅に縮小できるため、空いた土地を再開発しようとする計画のようです。

 ここ一帯の再開発は大規模と聞き、東京湾で現在進行中の埋め立て地が使用可能となり次第、この下水処理施設等が移設されると思いきや、これまでの再開発で移転してきたSONY本社ビル等と、エネルギー循環システムを構築しているようなので、おいそれとは移転できないかも知れません。

 この建物はNTTドコモ品川ビルで、最初に見かけた瞬間『ウルトラセブン』の「キングジョー(宇宙ロボット)のようだ!」と思ったのですが、検索しても同調者はいないようです……


追記
 1月15日の女子に続き、22日に全国都道府県対抗男子駅伝が行われました。
 フォア・ザ・チームのために自分のベストを尽くそうとする姿勢、それも自分を育ててくれた郷里の中学生から社会人までが力を合わせ、襷(たすき)をつないでゴールを目指す姿は、ランナーだけでなく、地元の先輩に刺激を受けた若い世代たちが、世代間で渡される襷の存在を身近に感じる絶好の機会を与えてくれると思います(特に高校生はたくましく見え「将来は任せるぞ」の期待感が高まります)。
 出身地を別にして、頑張っている選手には無条件で声援を送りたくなる気持ちは、これが島国日本の「ムラの運動会」だからなのでしょう。競う相手はライバルではあっても敵ではないし、目標は高順位でも各地域それぞれのペースで自分たちの課題を見いだせば、来年に向けての努力目標につながることと思います。
 現在の日本人マインド(力を合わせて立ち向かおう)が求める、内向きな発奮材料かもしれませんが、テレビ中継から目を離せない2週間でした……


追記 その2
 事故を起こした原発の原子炉格納容器内に差し込んだスコープ映像に驚愕しました。
 こんな馬鹿な試み(?)は初めてでしょうから、「湿気で撮影できないか?」は想像できるも、画面がガンマ線の影響でノイズだらけになるとは、背筋が寒くなりました(神の怒りのようにも見える)。
 そんな機材しか持っていない現在の人類は、「放射性物質を扱える段階にない」ことを証明しているように思えます。

 しかし今後、原発事故から生まれた新技術として、放射線防御フィルター付スコープが開発されるかも知れませんが、それは今回のような場面ではなく、他の用途で活躍することを祈りたいところです……

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