2012/01/30

削られた山の記憶──品川〜大崎

2012.1.14
【東京都】──「山手線を歩く! ②」


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品川駅(Map)

 昨年震災後の節電対策で、すべて電源が切られた駅通路に並ぶ広告ディスプレイです。
 当時初めてここを通行した人には、「絵を映さぬ黒板」(モノリス?)の並ぶ姿が異様に映ったことでしょう。
 現在も駅構内の照明は省エネモードですが、ディスプレイは以前のように広告を流しています。これを流さなければ「広告収入が得られない」実情は理解できるので、受け手側から「No !」と言ってあげた方がいいかも知れません。

 今年の4月には稼働中の原発も定期点検に入るため、国内の原発は全基停止することになります。
 それはひとつの安心材料ですが、このままでは夏の電力不足への不安が高まりますし、先日の「東京電力が企業向け電気料金値上げ発表」には違和感を覚えるものの、火力中心となれば(目に見える)発電コストが上昇し、やがてわれわれの生活にも影響が及ぶことになります。
 庶民の感覚としては、もはや原発は次世代エネルギー整備までのつなぎ役という認識と、多少の電気料金値上げの覚悟はできているので、安心・安全なエネルギー政策のビジョンを示して欲しいと、待ち望んでいることでしょう。

 政策転換には中・長期的な時間が必要になるので、電気を大量に使用する業種や、円高の影響を受ける輸出産業の海外移転は避けられませんから、資源(原油、小麦等)輸入に支払った同等程度の外貨を得る必要が生じます(雇用問題も)。
 知恵を働かせれば何とかなる(?)とは思いますが、そのためにはこれまでの方針を「国策」レベルから見直す必要がありそうですから、歴史に残るような転換点(エポック)になるかも知れません。


品川アクアスタジアム(Map)

 久しぶりの「品川アクアスタジアム」では、人型のオットセイ(?)もパフォーマーに加わり、パワーアップしていました。
 最初に披露される、イルカサーフィン(背中に乗る)に驚くも、サーフィン同様バランスが難しいようで転倒者続出はご愛敬ですが、イルカのジャンプ力に、人間を写真の高さまで持ち上げられるパワーがあったとは驚きです。と、よろこんだ反面、心配なのがイルカのストレスです。
 イルカ側も「一緒に遊ぼうよ!」と楽しんでいるならいいのですが、ちょっと負担を掛けすぎではないか? という気がします。
 施設側の「ショーアップ」したい気持ちは理解できますが、彼ら(イルカ)と相談してね、とお願いしたくなります。

 上写真でお分かりのように、入口付近の混雑(3列目までは潮をかぶるので空席)を避けて反対側に回ったため、パフォーマーの顔は見えませんが、右写真にはいいアングルだったと思います。
 イルカたちに指令を送る存在は他にいるのかも知れないし、イルカの泳ぎに合わせているだけかも知れませんが、この写真を見る限り、手を振る彼女の合図に従っているように見えます。
 そんな舞台裏のせんさく無しに、「イルカにサインを出したい」と思う人は多いことでしょう(気持ちが通じているように感じられます)。

 ここでは、子ども向けメニューに「イルカタッチ:イルカにさわった写真を撮ってくれる」や、「アシカとのふれあい」「イルカやマンタにエサを与える」等のプログラムがあります。


 少し年長向け(?)プログラムには「イルカトレーナー体験」もあり志願者も多いのですが、外野から見ているとトレーナー役の指示というより、普段の訓練の流れで行動しているように見える気もします。
 それでも、自分がタクトを振ってジャンプしてくれる姿を見られれば、そりゃあ大満足できることでしょう。
 その感激によって、次世代のイルカトレーナーが生まれるかも知れませんから、体験とはいえ事前のレクチャーをキッチリする様子が印象に残ります。

 日差しが無かったこともあり、わたしのカメラではこんな程度しか撮れない暗い施設でした……


品達(Map)


 京浜急行線横浜側のガード下に「品達」(品川の達人の意か?)という、フードコートがあります。
 2004年オープン当初はラーメン屋7軒が並ぶ、いまどきありがちなラーメン横町でしたが、そこにどんぶり屋が5軒加わりメニューの選択肢も増え、ガード下という気軽さもあって「ちょいと寄るか」と思える一画です。
 ターゲットは若者向けのようなので雰囲気が明るく、若い女性も抵抗なく入れる清潔感があります。今度是非!


八ツ山橋(Map)

 品川駅から南下するJR各線が最初にくぐる橋で、日本で最初に作られた(1872年:明治5年)線路をまたぐ跨線橋とされ(右端に青い欄干しか見えない!)、架橋当時はまだ旧東海道の雰囲気を残す主要道だったそうです。箱根駅伝は少し先の新八ツ山橋(新道)を走ります。
 上を通るのは京浜急行の線路ですが、千葉県方面から直通運転される北総鉄道の車両なので、赤い電車ではありません。

 現在も通りや交差点に八ツ山(やつやま)の名は残りますが、江戸時代の道路整備やすぐ南にある目黒川の洪水対策に利用するため切り崩された経緯からか、幕末のペリー来航に慌てふためいた幕府が海上の台場建設に使用したため、山どころか削りすぎてくぼ地となったそうです。
 そのため鉄道を通しやすかったのか、現在東海道線等の線路が敷かれる辺りに山があったようです。

 この付近は、品川区北品川とされる地域ですが、品川駅よりも南に位置しています。
 現在の品川駅は港区に属し、駅の開設当時は目黒川河口付近が「品川」とされましたが、当時「品川県」に属することから命名されたそうです。
 京急線では、品川から南下した隣駅「北品川駅」の名称は、東海道品川宿はさらに南の「新馬場駅」「青物横丁駅」付近にあったことに由来します。

 わが国の鉄道開設は「汽笛一声新橋を〜♪」の印象から、新橋〜品川が最初に開通したと思っていましたが、品川駅と横浜駅(現桜木町駅)間の完成が早く、そちらが先に開通した(1872年)とのこと。
 東海道線のホームでは現在も、メロディ以外に「ジリリリー」という鐘の音を使用する駅があります(品川・川崎駅にある)。
 個人的には、あの音の方が発車を簡潔に表現していると思えるので、その音を耳にした瞬間に「あっ、行っちゃった」と潔くあきらめられる気がします……


御殿山(Map)

 江戸時代この付近には徳川家康が建てた品川御殿があり、鷹狩りの休憩所に利用されますが、火事で焼け落ちた後は桜の名所として庶民に親しまれるようになります。
 以前川崎市の「小杉御殿」と住所表記される場所に住んでいたせいか(住所を書く際は画数が多く面倒でしたが、響きは好きでした)、徳川の御殿には親近感がありますが、そんな印象を持つ方は限られるでしょうね。

 開国後の幕府は、外国の施設を御殿山に建設しようと計画します(そんな方針が大使館が集中する地域を生むきっかけになったのかも知れません)。
 しかし時は幕末、付近に完成間近だった英国公使館を、高杉晋作、志道聞多(井上馨:複数の大臣〜元老)、伊藤俊輔(伊藤博文)らの、尊皇攘夷(そんのうじょうい:王を尊び、夷を攘う(はらう))派集団が襲撃し全焼させます(英国公使館焼き討ち事件 当時犯人は特定されず)。
 行動の善悪は別にしても「変わるかも知れない」と、ワクワクさせられる幕末の空気感が現在も人気なのは理解できますし、この現在も「大きく変わるかも」という転換点のように思ったりします。

 御殿山ガーデンとされる高級住宅に関心は無いものの、併設の御殿山庭園への関心から足を運びましたが、特に見るものはない表現となる上写真です。
 道の反対側には「三菱開東閣」とされる、旧岩崎家高輪別邸があり三菱グループの倶楽部とされる施設があります(非公開)。

 これまで「ソニー=品川」の印象は、本社が駅前にあることによりましたが、付近を歩くとあちこちにビルや施設が散在する「ソニー村」であることを初めて理解しました。
 以前の印象ですが、ソニーには優秀な方が多いと驚かされたことを思い出します。


原美術館(Map)

 気取って立ち寄る場所のようで、オシャレな格好で出入りする女性陣の姿が目立ちます。
 現代美術を展示する私立の美術館であることを含め、これまで存在を知りませんでした。
 現館長の曾祖父で実業家とされる原六郎は、幕末の千葉道場(北辰一刀流の道場)で坂本龍馬と知り合う年代の方で、明治期の海外留学により、経済学・銀行学を身につけ帰国後金融業に就き、特殊銀行とされる「横浜正金銀行」を立て直します。

 少し学習にお付き合い下さい。
 特殊銀行とは「戦前日本で、長期の設備投資や貿易、植民地政策の必要性から、特別な法律によって設立された政府系金融機関」とされますが、戦費調達機関との性格なのでしょう。
 重化学産業は日本興業銀行(興銀)、農工業は日本勧業銀行(勧銀)、国際金融は横浜正金銀行、北海道開拓支援は北海道拓殖銀行(拓銀)、植民地政策は朝鮮銀行(鮮銀)・台湾銀行(台銀)、朝鮮農工業振興は朝鮮殖産銀行(殖銀)が設けられたなんて、学びましたっけ?

 旧横浜正金銀行本店は現在、神奈川県立歴史博物館とされています(横浜正金銀行は旧東京銀行の前身)。


追記

 ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスが亡くなりました。
 最も印象に残る「自分の中の伝説」としては、『旅芸人の記録』(制作1975年、日本公開1979@岩波ホール 上映時間4時間!)の、延々と続く長回しのシーンで睡魔と闘いながら「彼女は部屋に入るだろう」でコックリ、目を開けても「まだ部屋に入ってない」でまたコックリや、つづら折れの山道を旅芸人たちが歩く長いシーンを、何度もコックリしながら「まったく進んでないじゃないか」と、また眠りを誘われた(?)ことをいまでも覚えています。
 年を重ね、忍耐強くなったのでしょうか、近年の作品では「静かな絵でも、目を離せない」と目を凝らして観るようになったと思っていたのですが。
 おそらく彼が最も憂いたであろう、ギリシャの財政問題を題材とした作品の制作中と聞いたので、その作品までは完成させて欲しかったところです…… ありがとうございました。

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