2012/08/13

五輪から受けた「オレたちにはできる!」勇気、
その足を引っ張る政治家たち──有楽町〜新橋

2012.8.4【東京都】──「山手線を歩く! 30」

 ロンドンオリンピックの日本選手団が、メダル獲得数ではこれまで最高の成績を残しました。
 日本国民であればその理由に「復興」「絆」と出てくるでしょうし、根本には「自分の存在確認:アイデンティティ探し」が、選手同様に応援側にも存在するため、強力な磁力のような「目に見えない力」が、選手たちを後押ししたのでしょう。
 そのきっかけはもちろん、大震災・原発事故を経験した「不安感」以外にありません……


より大きな地図で 山手線を歩く を表示

虎ノ門 金刀比羅宮(ことひらぐう)(Map)

 この日は国会議事堂へ行くルートをあれこれ探した末、田町〜虎ノ門を走る「ちぃバス:港区コミュニティバスの新橋ルート」を選択します。
 地域の利便性を高めるサービスなので料金は100円ですが、特にお年寄りや乳幼児を連れた母子の手助けのため、経路は最短距離ではなく細やかに迷走しますから、30分以上かかりました……


 官庁街へ向かう道すがら、ビルの敷地にある大きな鳥居に目が止まります。
 ビル名は「虎ノ門琴平タワー」で、エントランスが参道になっています。
 はじめに神社ありきの構造に見えるのは、以前の神社所有ビルを大幅に建て替えたためで、社務所は左ビル内に入っています。

 ここは「シュラシュシュシュ」で有名な香川県琴平町「金刀比羅宮」を、丸亀藩主が藩邸内に勧請(かんじょう:神仏の分身・分霊を他の地に祭る)したもので、江戸庶民の評判が高まり限定の参拝を認めたそうです。
 「情け有馬の水天宮」と同様の経緯に思え、当時の江戸にはろくな神様がいなかったようですが、当時はまだ歴史の無い町なので仕方ないのでしょう。

 江戸の町は京都とは違い尊重すべき既存の文化がないため、全国から集められた人たちが持ち寄った文化をスポンジの様に吸収し、工夫した成果が江戸文化の原型になったと考えられます。
 それがこの土地に合った合理性と敷居の低さという性格を持ったおかげで、東京の発展がその延長上に築けたことを、納得できる思いがします。
 折衷案を考え出す性質などは日本的というより、争いのない時代の「江戸庶民の生活の知恵」が現代に息づくように感じられます……


国会議事堂(Map)

 近ごろ毎週金曜日に国会議事堂前で「反原発」のデモが繰り返されていますが、この土曜日はとても静かでした。

 それにしてもここを仕事場とする方々は、国民が難儀しているときにどうして「大変なときだからこそ、清き一票を!」と叫びたがるのか? 理解不能な人々です。
 世論調査の「支持する政党はない」が最も多いことを反省することなく、「その票をどう取り込もうか」しか頭にないのか?
 連中には、国の将来を託せない「NO!」を突きつけられたことも理解できないようです。
 「いやいや、違うんだ」などとまた離合集散に奔走して生き延びようとするのでしょう。
 何だか「お宝ゲット!」のゲームのように見えますし、「信を問う総選挙」も「何だAKBじゃないのか?」「無党派層が一段と増えました」とならないようにと思うも、自分に何ができるのだろうか?

 オリンピックで選手たちは力を振り絞って競い、素晴らしい成績を収め「オレたちにはできる!」と、国民は身震いするほど勇気づけられたようなメッセージが、この建物からは聞こえなくなって久しい気がします。
 不安ばかりを増幅させる政治家たちの振る舞いは、景気マインド(消費者心理)の足を引っ張るように思えてなりません……(わたしは消費税増税反対ではない)

 国会議事堂前に「国会前庭(ぜんてい)」があるのをご存知か?(初めて歩きます)
 幕末期は井伊家の屋敷で、井伊直弼(いいなおすけ:大老)はここから登城し、目と鼻の先で「桜田門外の変:1860年」に遭います。

 1891年(明治24年)参謀本部(大日本帝国陸軍司令部)陸地測量部がこの地に日本水準原点を設置します(土地の高さの基準:右写真)。
 当時は地盤沈下の影響が少ない理由などから、台地上であるこの地が選ばれました。
 しかし当初の標高「T.P.(東京湾平均海面)+24.500 m」は、関東大震災後は「+24.4140 m」、2011年東日本大震災後は「+24.3900 m」となります(当初からは11cmの沈下)。

 ちょっとややこしいのですが、上述のように陸地の高さは平均海水面を「±0m」とした基本水準面から測定されます。
 ここの高さは地震の影響による地盤沈下で下方修正されましたが、温暖化の影響で海水面が上昇すると、それによる新たな下方修正が加えられます。
 乱暴な言い方ですが、その不安要素を計算に入れられない「土地評価価格」には、すし屋の「時価」的な不安感があるのは当然と言えます。


法務省旧本館(Map)


 上は法務省旧本館(1895年)で、実施設計・工事監理の河合浩蔵はジョサイア・コンドルの教え子です。
 関東大震災はほぼ無傷でしたが、空襲で壁と床以外は焼失します。それを修復利用しましたが、1994年の改修工事により創建時の外観とされ、国の重要文化財に指定されます。
 ほれぼれするような威厳ある建築物は「さすが法務省」ですが、法律を定める国会があの様では「宝のもちぐされ」と思うも、警備は当然厳重です。

 この日の行程の中で、国会議事堂は国のシンボルでもあり(議員連中の腹黒さが表出しないよう?)常に磨いているようで、思いのほかきれいな「石」でしたが、まるでグレーにくすんでいたのが警視庁の建物です。
 出入口ごとに警官は立ってはいますが、暑さのためかどうも緊張感が感じられません。
 勤務先の近所にある中国大使館周辺を警備する警官の方が、騒がしい右翼関連の街宣車排除に対する緊張感がある気がしました……


日比谷公園(Map)


 ここは1910年開業の旧日比谷公園事務所で、1976年内部を改装し東京都公園資料館となるも1999年に閉鎖されます。
 補修工事の後、2006年に「フェリーチェガーデン日比谷:結婚式場」とされ、垣根の周りには色鮮やかなリースが飾られます。

 施設からの「小規模の結婚式を都心で」の提案には、今どきは受けるような印象もあります。
 地方出身の方は、双方の地元で披露宴を開きたいなどの要望があったとき、勤め先の仲間と身近に祝ってもらうには、手頃かも知れません。


 公園の一角にひまわりが植えられています。
 長く楽しませようと成長時期の異なる苗を交ぜているようで、種が落ちたものからこれから開くものも見られます(品種が違うのか?)
 これから開こうとする姿に目を引かれましたが、何だか昔の特撮ものの怪獣に似たフォルムがあった気がします。

 週末のひとときを日比谷公園のベンチで過ごす姿には、時代を超え普遍的とさえ思える「ハッピー感」があるのはなぜだろうか?
 これは推測ですが、デートの際には双方とも多少の緊張感を抱く場所であり、「一度は日比谷公園でデートを」とのあこがれが、世代を超えて受け継がれているのかも知れません。


東京電力本店(Map)

 昨年から見飽きるほど目にした東京電力本店(新橋駅からビルまで地下道があります)。
 庶民感覚とはあからさまにかけ離れた社会通念をお持ちの会社であることを、先日公開された事故直後のテレビ会議映像でも痛烈に感じさせてくれました。
 危機的状況の2号機原子炉冷却に海水注入を準備する現場所長に対し、
本店:こちらの勝手な考えだと、いきなり海水っていうのはそのまま材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべく粘って真水を待つという選択肢もあると理解していいでしょうか?
現場所長:今から真水というのはないんです。時間が遅れます、また……
本店:真水でやっといた方が、塩にやられないから後で使えるということでしょ
現場所長:今みたいに(冷却水の)供給量が圧倒的に多量必要な時に、真水にこだわっているとえらい大変なんですよ。海水でいかざるを得ないと考えている
本店:いかにももったいないなという感じがするんですけどもね と……

 公開を迫られ、総理の声を消せばこれを公開OKとした判断基準もすごいと感じますから、この先には信じられないモノが出てくるのかも知れません……


追記
 病気で一線を退いた福島第1原発前所長のインタビューが公開されました
 われわれは、↑こういう話しを聞きたかったのです!

0 件のコメント: