2012/08/27

Portrait of The Tower──浜松町〜田町

2012.8.19【東京都】──「山手線を歩く! 32」


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 東京スカイツリー開業から、影が薄くなった印象のある東京タワーですが、夏休み日曜日の人気は健在で、ツアーバス添乗員の説明では「最上階の特別展望台のエレベーターは、何と2時間待ち!」、地上でも行列が伸びています。
 海外からの観光客に東京で人気なのは「浅草&ツリー」と思うも、ツアーでは行列する時間が無いため、あきらめざるを得なかったことでしょう。
 それで仕方なく「皇居&タワー」だったりするのか?
 国民も「ほとぼりが冷めるまで…」の状況は、旅行会社側も説明しているとは思いますが……


芝公園(Map)


 この日は芝公園周辺を、東京タワーをターゲットにしながら歩きました。
 これまでちゃんと芝公園を歩いたことがなく、地下鉄駅のある増上寺の南側区域と思っていましたが、地下鉄御成門駅付近から東京タワーの足元を含め、古川(渋谷川)にかかる首都高速都心環状線に至る一帯に広がります。
 この地域は元々増上寺の境内で、その敷地が1873年(明治6年)に都立公園とされますが、戦後の政教分離により公園は増上寺から切り離され、宗教色のない都立公園となります。
 そんな経緯から、公園の敷地は増上寺を取り囲む姿で継承されます。

 そんな元増上寺敷地内に、なぜか東京プリンスホテルがあります。
 「1964年東京オリンピックに合わせて開業」という大義があったにせよ、西武の堤一族による画策によるのでしょう(調べる気がしない)。

 上は、プリンスホテル裏の広場(ここも芝公園)で開かれる「芝オクトーバーフェスト2012:オクトーバーフェストはドイツのビール祭り」の様子。
 昼間っから飲んで気分いいにしても、暑くないの? ぶっ倒れて寝る人は、風邪ではなく虫刺され大丈夫? が心配です。


 テレビの「地上デジタル放送」は2011年にスタートしましたが、東京スカイツリー開業は2012年なので(その前から電波を送ることは可能でも)、切り替え以来東京タワーはその役割を担ってきたことになります。
 タワーで事足りる基地局は残りますが、2013年ツリーの本放送開始から、NHKや主要民放はツリーに移転します。
 ですがタワー側の「それじゃ食っていけない!」の声から、予備電波塔の契約を結んだとのこと。

 震災で傾いたアンテナの交換作業(交換は被害に関係なく計画されており、現在交換済みで真っすぐ)で、塔上から軟式野球ボールが見つかりました。
 答えに近そうなのが「リベット接合時の振動や熱を遮断するため、軟式野球ボールをはめて工具を持った」というものです。
 タワー自体が建設当時を想起させるタイムカプセルだったとは、これまで以上に同世代的な(?)親近感が増した気がします。

 芝公園の端は赤羽橋の交差点に至るので、たまに歩いて帰る(六本木〜田町:35分程度)ルートに接しており、双方をつなぐと「うわ、家からメッチャ近い!」を実感しました。
 上は旧ゴルフ練習場跡地に建つ「ザ・プリンス パークタワー東京」庭園。


増上寺(Map)

 右は増上寺三門(三解脱門:むさぼり、いかり、おろかさを解脱する門)で、1622年再建の後は大震災や戦禍を逃れ、寺で唯一江戸時代の面影を残すの建造物です。
 右は門前につるされる金属製のちょうちん(?)。そう感じたのは、川崎大師のちょうちんを想起したためです。
 上部に徳川家の紋、中央に「魚がし」の文字、下に「魚の絵+壱場」の表記があります。
 現代では「象形文字のようでも分かる!」と珍しがるも、当時は漢字を読めない人向けの表記だったのかも知れません。
 初期の江戸の町では産業は漁業だけだった、もしくは上方から招いた漁師の礼儀なのか?

 増上寺は1393年、現在の千代田区平河町・麹町付近に開かれた浄土宗の寺を起源とします。
 安土桃山時代に国替えとされた徳川家康がこの地に乗り込む際、徳川家の菩提寺とされた当時の増上寺規模は、相当大きかったようです。
 家康の「葬儀は増上寺で」の遺言以来、寺と徳川家のつながりは幕末まで続きます。
 ここには、二代秀忠(妻の江と共に)をはじめ六人の将軍、皇女和宮の墓所があります。

 ここでのお参りには並ぶ慣習があるのか、きちんと並んで参拝の順番を待っています。
 確かに浅草寺などと比べれば、はるかに参拝者は少ないので大した時間ではありませんが、追記のお願いだけをしました。(下は大殿)


 右は増上寺の総門・表門にあたる大門で、浜松町駅前から続く参道に建っており、地名の由来とされます。
 関東大震災で傾き、空襲で焼失しますが、道路整備のため原型より大きなコンクリート製に作り直されています。

 地下鉄大門駅は、三田〜六本木間の電車通勤でたまに利用しますが、その響きから「早大門(はやだいもん):1997年〜2001年テレビ朝日系のバラエティ番組『人気者でいこう!』で、浜田雅功、内藤剛志、堀部圭亮が『西部警察』の大門刑事になりきる速さを競う」を思い浮かべてしまいます(バカバカしいコーナーです)。


日の出桟橋(Map)


 大門からの旧参道を海側に向かった突き当たりに竹芝桟橋があります。
 そこから、現在暮らす田町ではご近所意識のレインボーブリッジが見えるので、今回の「山手線を歩く」企画も終点にたどり着いたことになります。
 なるべく未踏の場所を選んだつもりですが、経験不足やルート設定の都合などから漏れた場所は多々あると思います。
 山手線内は「近い!」印象を納得できたので、また機会を作って歩くつもりでいます。


追記──報告:妹の手術

 先日、妹が婦人病の手術をしました。
 幸い経過と術後は良好で、最大の関心事であるがんの心配も無さそうなのでホッとしているところです(最終検査結果には時間がかかります)。
 恵まれたことに家族は健在なので、全員で手術の場に立ち会うことができました。何もできないけれど……
 その際、よく耳にする「いるだけでいい」存在であることを実感しました。
 普段と同じ接し方しかできない家族は、彼女に勇気を与えられたか? と不安に思うもできるのは、彼女を信じることだけです。
 家族とはいえ、別々の人格がそれぞれに覚悟しながら、結束して「勇気を持って!」と願うしかない状況下で、家族が「心を裸に向き合っている」姿を実感しました。

 家族のありようを確認できた機会ではあるも、同時に両親に残された時間の短さを感じる機会にもなり、遠くないであろう覚悟を再認識しています……

 男が何か言える領域ではないのですが、早期発見しかないことを念頭に、検診等を欠かさないようお気をつけ下さい。

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