2012/08/06

猛暑日はビル風大歓迎!──東京〜有楽町

2012.7.28【東京都】──「山手線を歩く! 29」


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「はとバス」乗り場(Map)


 東京駅丸の内口といえば「はとバス:名称は1963年から」です(背後は駅舎)。
 いまだに衰えない人気は、近くで暮らす者も知らない魅力的なコースがあるためでしょう。一度はと思うもいまだ未体験です。
 現在バス通勤で、田町駅前国道15号線沿いのバス停に立っていると、これから営業に向かう「はとバス」の姿を目にします。
 車内は運転手とガイドだけですが、バスガイドさんの姿が結構楽しめます。
 慌てて化粧をする人、マニュアルを読みおさらいする人、大きな口を開けて寝てる人など、さまざま……
 バスガイドさんには、小学校の遠足などから迷惑をかけましたが、体力勝負の仕事であると再認識する通勤の朝です。


東京国際フォーラム(Map)

 東京国際フォーラムは、1997年旧東京都庁舎の跡地に開館した、日本初の国際公開コンペで設計者を選定した建造物です(その建築家ラファエル・ヴィニオリはウルグアイ生まれのアルゼンチン育ちで、現在ニューヨーク在住)。下写真のように、線路側のガラス棟は「船」がイメージされています。
 しかしこの施設に要求したいのは、せめて下写真で斜めに横断する渡り廊下くらいは休日に解放してよ! です。
 以前、何かのイベントで歩く機会があり、解放しているものと思っていました。

 地下のコンベンションホールで開かれる「エンジニア適職フェア」がにぎわっています。写真撮ってる場合じゃなく参加すべきと思うも、年齢制限で断られそうです……

 開館15周年のポスターを目にし「あぁ、そんなころから映画を観に足を運ばなくなった」と……
 建物に威厳のあった日比谷映画劇場跡地に作られた「シャンテシネ:2009年からTOHOシネマズシャンテに館名変更」には通いました。
 2000年あたりに上映方針が変わったのか、以来足が遠のいた記憶があります(その後はビックカメラが目的となります)。

 東京国際フォーラムで観たコンサートには、「スティーリー・ダン」の好印象が残りますが(説明しても理解されないと思うのでこちらを→スティーリー・ダン)、着実にイベントスペースとしての評判を上げています。


有楽町イトシア(Map)


 有楽町駅交通会館側は市街地再開発事業により、新しい町に生まれ変わりました(「フルーツ百花園」の一画は健在です)。
 取り壊された地区には、有楽シネマ(マイナー作品を扱う映画館で、特に『七人の侍:1954年黒澤明』の再上映が印象に残る)や、レバンテ(ドイツビールと思っていたらスペイン料理店だった)、並びの脇道にあったガラス張り2階建ての喫茶店(通ったものの名前を忘れた)を含む一帯は、有楽町イトシア(複合商業施設:伊藤忠関連?)に生まれ変わりました。

 確かに若者向けの集客力が高い商業施設になりましたが、歴史や文化と「個性」が失われてしまった思いが強く残ります……(右は、冬場のテラスで使うヒーターが並ぶ絵)


丸の内ブリックスクエア(Map)

 都心のオシャレな空間として人気の高い「丸の内ブリックスクエア」に、初めて足を運びました(女性誌などの撮影でよく利用されるレンガ外壁の建造物)。

 現在は「三菱一号館」とされますが、もとは最初に建築された「第1号館」であるも、解体の1968年には「東9号館」と呼ばれました。
 現在の建物は2009年に復元されたレプリカで、設計も変更されたため歴史的建造物の価値は「ゼロ」とされます(設計者であるジョサイア・コンドルの名前も消えます)。
 解体時には、文部省から重要文化財指定の申し入れに、三菱地所は無断で取り壊すことはしないと回答しながらも、抜き打ちで解体が決行された経緯があるそうです。
 文化的価値よりも、目先の利益を優先した三菱は、自分たちの論理でレプリカを作り、そこを「三菱一号館美術館」としました。
 展示品の価値は変わらないにしても、どうせ見るなら「もっとすばらしい美術館で!」と思ってしまいます。

 ここは丸の内ブランド街「丸の内仲通り」に面し、東京ミレナリオ(神戸ルミナリエのコピーで2006年以降休止)が行われました。
 縁のないブランド街ですが、表参道や銀座界隈より落ち着いた雰囲気があり、ゆっくりと歩けそうな印象です。
 それは並木や歩道の整備に加え、猛暑日でも高層ビル群の陰とされビル風が吹きまくる、部外者にはいっときの避暑地と感じられたためのようです。
 買い物客には、日差しのなさと風の強さが嫌われ閑散としているなら、ビル街に繁華街は作れないことになります(確かにニューヨーク五番街の道幅は、表参道くらい広く明るかった)。現実に人気の無い場所なの?


明治生命館(Map)


 重要文化財とされる「明治生命館」設計者の岡田信一郎(1934年完成は没後)は生前、日本銀行小樽支店(1912年)を辰野金吾(東京駅設計者)との連名で、単独で鳩山会館などを手がけます。
 彼もジョサイア・コンドルの教え子のようで、関東大震災で被害を受けたニコライ堂修繕に尽力します。

 ここで重要なのは、隣接する場所にあったコンドル設計の煉瓦建築が関東大震災で被害を受けた様を見て、耐震性に優れたアメリカ式オフィスビルへと舵を切ったことです。
 幸い関東大震災以来、巨大地震が無いため現存するとしても、力強いフォルムからは安定感が感じられます。

 占領下では、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用される、威厳と心地よさがあったようです……


皇居前広場(Map)

 観光バスで訪れる人たちは、日影の無い場所でガイドさんの説明を聞かされるため、バスに戻ってくるころにはみんなグッタリするような陽気です。
 言葉の印象から中国の方と思われますが、観光で「二重橋」を見学することを含め、ニュートラルに日本を受け止めてくれよう願ってしまいます。

 皇居前広場なので車の騒音は消えませんが、開放的な空間ではあるので、日差しのうつろいとともに居場所を確保し虫が気にならなければ、絶好の「プライベート空間」がそこにあります!(奧のベンチは外国の女性)
 さて「日本の中心」で、何をしましょうか?


追記──ロンドンオリンピック

 開会式前のサッカー(女・男)以来、連日日本選手の躍動感が伝わってくるので、応援にも力が入るオリンピックとなっています。
 表現として正しいか分かりませんが、現在の日本人は選手も応援側も同様に「発散・アピールの機会」を求めているのではあるまいか?
 大震災のショックからはい上がる復興応援の目標のもとに、何か国民全体が「日本人のアイデンティティー」を求めているように感じられます。
 そんな「一体感」から生み出された力が、選手に力を与え、それを後押しする応援と一体となり、素晴らしい成績につながっているのではないだろうか。
 この結束感は、日本人の心に「とても誇らしい記憶」として残るであろう!
 そんな思いで後半戦を応援しています……

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