2013/01/28

+4mの堤防で大丈夫?──勝どき、豊海

2013.1.12【東京都】──「ベイエリアウォーク⑯」


 この冬は低温の影響で「葉もの野菜の生育が悪く価格が高騰」について調べると、2012年や11年の記事も目に入るので、野菜たちにとって冬は闘いの季節のようです。
 先日購入したレタスの出来の悪さには、「こんなモノを売るな」という怒りより、「こんな姿でも商品とされてしまうレタスが可哀想」と感じるほどでした。
 いまどきが最も寒い季節なので、食品選択も工夫して乗り切らないといけません……


より大きな地図で ベイエリアウォーク を表示


勝どき(Map)


 地下鉄大江戸線「勝どき駅」に初めて降り立ちます。駅前の晴海通り南側の先には、ゆりかもめ新豊洲駅に隣接する「ビッグドラム:新豊洲変電所」が見通せ、そんなに近いのかと地図を改めて確認しました(北側勝鬨橋の先は銀座和光前交差点に至る)。
 埋立地開発の関心は、新規開発が継続中のお台場方面に向いていましたが、近代の東京湾埋立で最初に着手された地域ではリユースの「第2章」が開幕しています。

 銀座に近いだけで生活に便利とは思えませんが、老朽化した都営住宅の建て替えと共に、液状化しなかった埋立地の宅地利用(転売)も積極的に進めているようです。


 この地の始まりは江戸時代初期で、当時隅田川河口付近の砂州を埋め立て「佃島」とし、大阪から招いた漁師たちの漁村とします(当時江戸に専業の漁師はいなかった)。
 明治時代(1892年)東京湾のしゅんせつ土砂で埋め立てられた月島1号地は月島、2・3号地は勝どき、4号地は晴海とされ、先端の豊海(とよみ)は1962年に埋め立てられます。
 歴史がありそうな佃島や月島の地名ですが、埋立地につけられたものです。

 上2枚の写真は現役倉庫のようですが、外観は以前のままでリユースされる施設です。
 1枚目右のテラスは店舗に見えますがオフィス施設らしく、現在は飾りであるクレーン施設の雰囲気も悪くありません。
 2枚目は扉の表記から靴販売店舗のようですし、隣接の大きな倉庫は室内フットサル場やテニスコートを有するスポーツ施設だったりします。

 利用価値の高い土地の用途は時代と共に変わりますから、現代向けのリユースを実現したこの地域の感度は、トレンド的と言えるのでしょう。


豊海:とよみ(Map)


 この建物はベイエリアのどこからも目に入るツインタワーで、検証に足を運びました。
 看板にある「TOKYO TOWERS」の表記を目にし「何たる安直さ!」と、ガックリと肩を落とします(PORTとかBAYくらい入れろよ!)。
 レインボーブリッジをくぐり入港する船にはインパクトはありますが、住んでいたとしても「TOKYO TOWERSに住んでる」なんて、恥ずかしくて言えない気がします。
 きっとここからの眺望は素晴らしいのでしょうが……


 1962年埋め立ての豊海地区には、時代の要求から早々に水産基地の冷蔵庫団地が誕生しますが、70年代後半は水産物取扱量で日本トップクラスも、200海里規制が始まる80年代には遠洋漁業の水揚げは皆無となります。
 物流もトラックやトレーラーが主体の現在は「首都圏の冷蔵庫」だそうです。

 そんな時代の流れに対応できない施設(上写真)を目にしました。上は、搬入口の奥行きが現在のコンテナサイズに対応できない様子です。
 右下の白線は道路のセンターラインなので、どうにもならないばかりか、夕方の営業終了後もコンテナは放置されているようです。
 これはおそらく施設側はケツをまくった状況で「道路の片側はうちが使うからよけてくれ」の、アピールという気がします。
 確かにふざけた態度ですが、東京のまん中で管理側も黙認してそうなところが、港湾施設のアバウトさとも感じられます。
 ですが、漁師でもない「地に足が着いた連中」のわがままですから、シャクにさわる面もあります。


 多くの港湾施設は「関係者以外立ち入り禁止」が多いのですが、ここは外周道路を含め出入り自由とされます。
 隣接する晴海客船ターミナル同様、東京湾夜景スポットとして人気のようで、豊海地区の歴史を検索する際「夜景スポット」ばかりヒットするような状況です。

 この地区は港湾施設で荷揚げ岸壁などに堤防は築けないため、水害からは守られない堤防の外に位置します。
 震災後、全国の港湾施設の安全対策が再検討されていますが、東京湾の防災基準はどうなの? の関心が高まり調べてみました(下写真は豊海にある防潮扉)。


 東京湾内の防潮堤は高潮対策を基準とし、計画高潮位(MAXの想定)は東京湾平均海面+4.0m。堤防の高さには+1m程度を考慮とのこと(およそ海面から5m程度の目測に近い)。
 ですが、そこに津波対策は考慮されていません。

 海抜ゼロメートル地帯を抱える江東区のホームページでは、「堤防や防潮堤を越えるほどの大きな津波に襲われる心配はありません」と宣言し、東京都建設局、港湾局、下水道局の「地震・津波に伴う水害対策に関する都の基本方針」資料でも「やるつもり」を示すだけで目標は示されません。

 確かに、元禄地震(1703年:房総南部沖震源)、安政東海地震(1854年:遠州灘震源)、関東地震(1923年:相模湾震源)では、湾奧の津波は最大でも2m程度とされるため腰が重いのは分かりますが、今回の震災時に船橋市で観測された約2.5mの津波には地盤沈下分も含まれるでしょうから、住民としては「安心できない!」が本音になります。


勝鬨橋(Map)


 勝鬨(かちどき:shout of victory)は「エイ・エイ・オー!」や「バンザイ!」の表現なので、勝鬨橋建設には「国の威信」的な気合いが込められました(オール・メイド・イン・ジャパン橋の完成は1940年で、第二次世界大戦参戦の前年)。
 現在も可動橋(跳開橋)設備は重要文化財として保存されますが、再稼働には10億単位の予算が必要なため、現実的ではないようです。


 右は橋が左右にバンザイする中央の接合部です。
 日本では武士が左腰に差す刀が触れぬため、などの理由から左側通行とされますが、橋がバンザイした際、左側通行の車からこのランプは見えなくなります(見えない時は通行不可の意味か? 写真奧の反対側にもある)。

 車・歩行者・船の信号はあるので、残るは飛行機か?
 当時は水上飛行艇がありましたから、上下に可動のものには高さ表示が求められていたかも知れません。


 追記──夢が広がるiPS細胞

 iPS細胞(人工多能性幹細胞)から、毛髪の元となる組織「毛包」の部分的な再生に成功したそうです。
 なるほど「これは身近で大きな夢!」と、納得しきりです。
 まだ自分は大丈夫ですが、薬に裏切られた方々にも「大きな希望」となりそうです。
 そんな事例を増やせれば、全世界にiPS細胞応援団は増えそうですが、その前に生命倫理規定を整備しておかなければ、SF映画のような事態が現実となる危険性があります……

0 件のコメント: