2013/02/04

「ひとりもんじゃ」はNG──月島、佃島

2013.1.19【東京都】──「ベイエリアウォーク⑰」



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月島(Map)

 ガラス戸のムラに見える塗装は狙いなのでしょう、ルノアールの絵画のように見える絵になりました(右)。
 ここは撮影スタジオで「撮影中」の看板が出ています。
 都心のスタジオが好まれるのは、スタッフ集合に便利なためですが、ここは「気分を変えたい」際も遠すぎず、洋食に飽き「もんじゃでも食べたい」の気分転換にはいい環境かも知れません。
 外に出れば海辺の絵も撮れる場所柄です。

 佃島・月島は隅田川の河口に位置し、川から流れ出た土砂が堆積するため、航路の整備が必要になります。
 明治時代になると、航路確保のためしゅんせつした土砂で埋立地を造成し、その土地に国策の重工業化を目指した工場が建設されるという、上昇の連鎖が生まれます。

 工場開設当時(勝鬨橋の建設前)は築地との間に「月島の渡し」が運行されました。
 その付近に工場労働者相手の店舗が並んだのが、月島西仲通り商店街(もんじゃストリート)の始まりです。

 昼食には遅い時間ですが、人気のもんじゃ焼き店にはグループの行列があります。
 同じ焼き物でも、焼肉には哲学的とも言える「個人の間」があるので、ひとり焼き肉はNo Problemですが、お好み焼きは「焼けた!」の瞬間に一気に食べられませんし、チビチビ焼く気にもなれません。
 一方もんじゃは、焦げても酒のつまみになるため、ベチャベチャと「ひとりもんじゃ」で悦に入った表情になりそうです。
 そんな姿を想像するとゾッとするので、ひとりでは行かないと決めています。

 住宅密集地にこんな渡り廊下を作る感覚とは「燃えたらおしまい」の開き直りという気がします。消防署だけでなく、都市整備計画の対象となっていそうですが、ここは行政が立ち入れないグレーゾーンなのか?

 以前も目にした松井秀喜(先日引退表明)の写真が、増えたように思えます(もんじゃと似合いすぎ!)。
 よほど好きなのか? 訪問時に「うちも寄ってって!」と引きずり込まれたのか? 人の良さそうな彼の印象とこの町の人情がとてもマッチしそうで、「また来ちゃいました!」のような気もします……

 右はもんじゃ通りに残る古い交番(懐かしい!)。
 昔の交番の床は何段か高くなっていて、そこに立ち周囲を見回すお巡りさんが、エライ? コワイ? 存在であったことを思い出します。
 傾いてるように見えますが、そんな理由で解体しないで下さいね。

 もんじゃのルーツは、焼く際に文字を書いて遊んだ「文字焼き」とされ、子どもが遊びながら食べる様子が一番似合う気がします……


佃島(Map)

 佃島住吉神社は、徳川家康が関東に国替えとされる際(1590年:秀吉の命)大阪の漁師を招き、干潟を埋め立てた「佃島」に暮らようになった住民が、故郷(大坂住吉大社)から分祀を受け建立したことに始まります。

 住吉神社の例大祭は江戸でも歴史のある祭りとされ、「獅子頭宮出し」には神輿が通る道を清める意味があるそうで、築地の獅子祭りはここからの派生と思われます。
 宮神輿は「八角神輿:八角形の形状」と呼ばれ、船渡御(船で神が巡る)で隅田川をくだり、海の安全と豊漁を祈願します。

 2011年、170年ぶりに八角神輿が新調されますが、震災の影響からお披露目は翌年とされます(右は先代)。

 下のさい銭箱は、とにかく火事からは守りたい気持ちの表れのようです。


 佃島に隣接した旧石川島(現佃島高層マンション付近)には、江戸時代に設置された人足寄場(にんそくよせば:軽罪人などの自立支援施設)がありました。
 明治時代に同施設は監獄となり、巣鴨への移転後の跡地は工場(石川島播磨重工業:現IHI)や居住地とされます。いまでは企業名からもその名は消えました。

 葛飾北斎『富嶽三十六景』では、手前が石川島(古称は森島・鎧島→将軍から石川氏が拝領)で、佃島はその奧の民家の密集地から発展したように見えます。
 石川島でなく佃島の名が残されたのは、そこに根付く人々が生み出した「庶民文化の力」なのでしょう。

 中央区に右のような船だまりが残ることに驚きますが、手前のような放置された廃棄船がいくつも見られ、活気が失われていることは確かなようです。


 上は佃島北端に作られた、木造展望施設「佃テラス」。
 朝ドラ『瞳:2008年』で榮倉奈々ちゃんが踊った場所が、石川島公園「パリ広場」とされるのも驚きですが、高層マンション下にテラス作ってどうなの? という気もします。
 これは「東京アートポイント計画」とされ、木造建築のぬくもりある舞台(高層マンションと違う身近な高さ)から隅田川を眺めてもらいたい、との狙いらしい。

 高層マンション足下の佃島には、現役の銭湯が健在です。もんじゃストリート裏の長屋的な家屋には、風呂のない家も多くありそうです。
 日々の裸の付き合いから、交流や結束力も高まると思われ(京都の町屋家屋には風呂はないため、銭湯が多数存在する)、地域文化の芽が健在であるこの付近には、小さくも希望があるような印象を受けました。


追記

 先日「お茶は買うものだ」の習慣定着から、「家でお茶が入れられるの?」という若者がいる、との調査結果に驚きました。
 われわれは当たり前と思うことでも、きちんと伝えなければ「文化は途切れてしまう」という危機感を覚える年齢になった、ということのようです。
 発売当初、母親世代の人々が「お茶は買うものじゃない」とぼやいてから、20数年程度でしょうか……

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