2013/05/13

戦禍をくぐり抜けた建物たち──清澄白河

2013.4.27【東京都】──大江戸線を歩く_2


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清澄白河(Map)


 清澄通りと清澄庭園に挟まれた細長い土地に、関東大震災復興住宅の「東京市営店舗向住宅:1928年(昭和3年)建設」が現存し、営業中の店舗もあるので、現時点で85年現役ということになります。
 鉄筋コンクリート建築の少ない当時でも、外壁装飾(上写真右下)があることは、模様の意味は不明でも、装飾の意義を心得た人に作られた様子がうかがえます。

 上写真の階段構造は、狭い土地で踊り場を作れないためか?
 以前はこんな階段を見かけた印象もあり、防犯面では有効そうに思えます。


霊巌寺(Map)

 江戸時代霊岸島に名を残した霊巌寺は、大火で焼き出されこの地に移転します。8代将軍徳川吉宗の孫で、老中を務めた松平定信の墓があります。
 幕府の都市防火対策で多くの寺社が移転させられ、現在付近に残る寺町が生まれました。
 隣接する「深川江戸資料館」の一服処で、来館者のおばちゃんが近所の人にスーパーの場所を尋ねると、「この辺は寺町だから何もないけど、(隣駅)森下や門仲の店には歩いていけますよ」という意識で暮らしているようです。

 右は霊巌寺門前にある「深川の出世不動尊:長専院」で、霊岸島からの移転組です。
 出世不動と聞いても「自分には関係ない」と気持ちがなえるのですが、それじゃダメの忠告を思い出しました。
 宝くじの話しで、「買わなきゃ当たらないから買う」に対し、「当てるつもりで買わなきゃ当たらない!」の意見に、その通りと納得させられました。
 運(運命)は自分で切り開かねば! ですが、結局買いそびれました……



 ここは、1933年(昭和8年)に建設された鉄筋コンクリート4階建ての民間アパートです。→外部写真
 霊巌寺本堂裏手に見え、外壁は今風に塗装されるも一目で古さが伝わるため、要チェック物件と誘われます。

 空襲で火の海になったと聞く地域で、上述の市営店舗とこのアパートが焼け残ったのはコンクリート製のおかげと思いがちですが、地域の人は「ここを守りたい」の意識から、バケツリレーで延焼を防いだそうです。

 手のかかる配管補修は、露出配管(室内・外に下水管が通る邪魔な構造:現在の部屋も同じ)のおかげで繰り返し行えたことが、建造物長持ちのポイントとのこと。
 ってことは、1966年に完成した現在暮らす建物もまだまだ使えるということかも知れません……


清澄庭園(Map)


ここは江戸時代の豪商・紀伊國屋文左衛門屋敷(紀伊國屋書店とは無関係)〜武家屋敷だった敷地を、明治期に三菱創業者岩崎弥太郎が買い取り、二代目弥之助が手を入れ庭園を整備しました。

 右は、連休で繰り出したアマチュア(?)モデルとカメラウーマン2人組の撮影風景で、遠慮無く石橋を占領しています。
 図々しさは女の特権(?)と勘違いさせたのは先達に違いありませんが、それをけ散らしていくのもおばちゃんたちと決まっています……



 清澄公園隣接地には、1875年(明治8年)日本で初めてセメント製造に成功した官営の深川セメント製造所(現太平洋セメント)があります。
 当時外来語のセメントを「摂綿篤」と表記したそう。

 付近には思った以上に工場が多く、その様子から過剰な地下水くみ上げによる地盤沈下を想起します。
 取り返しのつかない状況なので、いまさら蒸し返さないにしても、住民の「産業不在は困る」要望に対する謝罪と、「共に生きる覚悟」の表れと受け止めるのは、美談的な解釈に過ぎるか?



 清洲橋は鉄骨構造の吊り橋で、遠くからの「優美さ」と、間近での「力強さ」のギャップに、不器用なオヤジが「ロマンを目指した成果」の印象があります。
 当時には、ワイヤーを利用した曲線を描く技術はなくとも、「曲線らしさ」に挑む武骨な力業が感じられ「お見事!」と、エールを送りたくなります。

 国の重要文化財とされますから、これからも「武骨な美しさ」を楽しませてもらいましょう……


 ここに掲載するつもりだった、最後の同潤会アパート「上野下アパート」は、思いのほか楽しく膨らんじゃったので、次回報告します。


 追記──錦織圭の躍進!

 テニスのムチュア・マドリッド・オープンで、錦織圭(世界ランク16位)が、元世界ランキング1位のロジャー・フェデラー(現在世界ランク2位)を破りました!
 素人目には「あんなヤツらに、どうやって勝つんだ?」と、勝機すら思い描けないくせに、「近いうちにやってくれる」という期待感を抱いていました。
 強化育成プログラムから力をつけ、身の丈にあったスタイルを磨くことで、世界トップと互角に戦う姿を見せてくれます。
 彼はもちろん、後進に開かれた夢にも期待が膨らみます(応援団長の松岡修造もはりきって〜!)

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