2014/12/15

ありのままの美しさ──豊島園〜中板橋

2014.11.30【東京都】──「石神井川を歩く_6」



 今どきスーパーでも細長い練馬大根を目にしませんが、現在練馬の主力産物であるキャベツ脇には青首大根(右)が植えられ、地元でも生産は減る一方のようです。
 練馬大根の栽培は江戸時代にはじまり、関東ローム層に適した作物のため広まるも、病気の発生や都市化による農地の減少で存在感が薄れます。
 白首系の練馬大根は地中深く根を張り、引き抜く際に力が必要なため、抜きやすい青首系が栽培されるように。
 たくあん向きで、辛味が強いので大根おろしに使われたと知り、ガキ時分の顔をしかめるほど辛い大根おろしは練馬大根だったのか? と……(好まれたのも分かります)


高稲荷神社、氷川神社


 上は、狐が険しい表情でにらみを利かせる高稲荷神社。
 大蛇に襲われた人を供養するために建てられた経緯から、いまも大蛇をにらむのか?

 右は氷川神社前にある、現役と思われる米屋の玄関。
 地名や地下鉄氷川台駅名の由来とされる神社は、いまも鎮守様として慕われ、お宮参りの家族を見かけます。
 神社裏にある地域の交流場では、ガールスカウトが活動しており、神社が地域の輪を取り持つ集会場的な役割を果たす様子には、懐かしさを感じたりします。


城北中央公園

 野球場、テニスコート、陸上競技場等の施設では終わらず、さらに広場や森の広がる、広大な公園です。
 陸上競技場のトラック内側はグラウンドではなく、緑の自由広場とするなどゆとりが感じられます。
 公園では、多摩動物公園のコアラ用にユーカリを育てるそう。

 右は園内にある栗原遺跡の復元住居ですが、奈良時代の復元住居との解説に驚きます。
 でも考えてみれば、奈良の古墳の上で抱いた「昔の奈良盆地に暮らす人々はみな白い衣装を着ていた」のイメージは、勝手な願望ですものね……

 枯れ枝で作られた畝のような工作物は、枯れ葉を受け止め腐葉土の床(たまり場)とするためでしょう。
 落葉の季節なので表面はザクザクながらも、中はしっとりし始めています。
 ふっかふかになるまでには時間が必要ですが、人の多い公園では踏みしめられるので、ホコリとして散らされてしまいそうです。
 既にキノコがいくつも見られますが、分からないものは口にしない指導の教材にでも……



安養院


 目にした瞬間、声を上げてしまった!
 イチョウの落ち葉が雪のように積もる上にもみじが赤味を添える、ありのままの姿を放置(?)するのは、寺の方針や住職の趣味にほかならず(ものぐさ坊主ではない)、素晴らしい感性とシビレます。
 京都だと踏み荒らされそうですが、住宅街にあるも周辺住民は関心無いらしく、訪問者が少ないおかげとも。
 真言宗の立派なお寺は、いまも「弘法大師霊場」の空気感を保ち、異空間を体感させてくれます。

 コンクリートで固められた川岸に色気はありませんが、付近には「橋だけでも飾ろう!」とデザインを凝らした橋が並び、「次の橋は?」と楽しみながら歩けます。
 右の山崎橋は絵柄から、スポンサーが「ムーンスター(旧月星ゴム)?」と思うも、本社は福岡 。
 単なる広告では困るが、企業と地域社会の接点が身近にあってもいいのでは、と思えた光景です。




追記──「ノーベル賞」ウィーク

 赤崎勇・天野浩・中村修二先生のノーベル物理学賞受賞には、日本が新しい光りで照らされたように明るくなりました。
 既に世界中が恩恵を受けている青色LEDを生み出した功績、との身近で分かりやすい成果ですから、「物理?」なオバちゃんも少しは関心を持てたのでは?
 LED開発は赤、緑、青(の順に波長が短くなり、大きなエネルギーが必要)の順で進み、目で見える光の後は、その先の紫外線が開発されたそう(殺菌等に有用)。
 さぁ若者たちよ、「はやぶさ」「LED」どちらを目指す? 科学は成果主義的な面が強いが、世の中で役に立つことを目指す道には、やりがいがあります。
 下は、六本木ヒルズイルミネーションのLED(by iPhone)。



追悼──高倉健さん_4

 映画館で初めて健さんと出会った映画『八甲田山:1977年』をDVDで再見しました。
 本作公開は6月からの夏場で、演出? のような冷房で体が冷え切った記憶と、同年10月公開の『幸福の黄色いハンカチ』は大混雑で、年明けに観た覚えがあります。
 そんな記憶が残るほどインパクトの強い作品で、こころをつかまれました。

 新田次郎原作『八甲田山死の彷徨』は、日露戦争へと向かう1902年に冬山経験の乏しい軍部が招いた悲劇を描く物語。
 公開当時「暗くてよく分からなかった」の声がありましたが(今回も誰だかよく分からなかった)、欧米列強の植民地支配から逃れるすべを探るこの国が、通らざるをえない「暗闇の道」だったようで、暗中模索だった時代の表現と受け止めます。
 八甲田の雪地獄を切り抜けた軍人たちも、後の日露戦争で全員戦死します。
 賛否はあろうが、現代日本の礎となるべく奮闘した方々の姿を映画に残す意義のため、冬の八甲田山に挑んだ映画関係者には頭が下がる思いです。
 何で内容の暗い作品がヒットしたのか(公開時の興行収入記録を更新)考えると、「天は我々を見放した」 (北大路欣也のセリフ)等、宣伝のおかげという気がします(前年公開の角川映画『犬神家の一族:1976年』以来、派手なテレビCMが増えた時代でした)。

 本作では、どんな状況下にあってもそれを受け止め、
「立ち止まったらおしまいだ、前進!」
と先頭を切る存在に、高倉健という役者が必要であったこと、再確認できました。
 健さんに甘えてきたわれわれは、遺志を継ぐことができるだろうか?
 ありがとうございました!
 完

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