今回から、隅田川に流れ込む川(水系)第2弾として、神田川を歩くつもりで吉祥寺に降り立つも、「青かった時代」の痕跡を確認しようと、水源地「井の頭(いのかしら)公園」とは反対側の繁華街を歩きました。
吉祥寺
江戸時代の周辺は、幕府の萱場(かやば:茅の茂る地=荒れ地)でしたが、江戸市中の大火で焼けだされた現 本郷、水道橋周辺住民の移転先として開拓されます。
縁深い吉祥寺が駒込に移転し、寺と離れる無念さから移転先に寺の地名を残します(寺は無い)。
玉川上水が開通するも、水田にできない土地柄のため、現在も残る短冊形の区割りには畑が広がりました。
後年、関東大震災(1923年:大正12年)の被災者や、成蹊学園、東京女子大学が移転(1924年)した時代から宅地化が始まります。
町に根付くサブカルチャーは、戦前(1937年)前進座(YouTube)(歌舞伎劇団)の進出で芽吹き、様々な大学の移転等で広まったとされます。
中央線沿線のヒッピー的カルチャーは、関東大震災以降の地方出身者が壊滅した下町を避け山の手に向い、歴史の浅い地域で新しい庶民文化を構築する際の、すき間に入り込み定着したのではないか?
伝統文化やしがらみも無く自由に活動できる地域でしたが、傍流とされる状況に異を唱えたかったのかも知れません。
そんな心情をドラマとしたのが『俺たちの旅(YouTube):1975〜76年』で、「落ちこぼれ」でも輝ける姿に、あこがれや勇気を与えてもらいました……
中央線沿線のヒッピー的カルチャーは、関東大震災以降の地方出身者が壊滅した下町を避け山の手に向い、歴史の浅い地域で新しい庶民文化を構築する際の、すき間に入り込み定着したのではないか?
伝統文化やしがらみも無く自由に活動できる地域でしたが、傍流とされる状況に異を唱えたかったのかも知れません。
そんな心情をドラマとしたのが『俺たちの旅(YouTube):1975〜76年』で、「落ちこぼれ」でも輝ける姿に、あこがれや勇気を与えてもらいました……
1枚目:ハモニカ横町の店舗はどこもいい雰囲気。「さとう」のメンチカツの行列は相変わらずも、付近のたい焼き屋に全部行列ができているのは、ブームなのか?
2枚目:以前よく行ったジャズバー「Funky:パルコ裏」は健在でした。マスターがやかましかった印象があるも、それが長寿の秘訣か?
3枚目:名物の焼き鳥「いせや」はビルになっても、道沿いの立ち飲みスペースは健在。
以上、夜の部は昼間から暗い、というレポートでした。
ほんの数十m程度の路地を「プチロード」と命名した気概が現在も感じられるのは、各店舗の努力や店舗を選択するプロデュース力によるのでしょう。
前回訪問時、店のオムライスを「吉祥寺らしい大人の味」と感じたように、こころざしが町を育てています。
──儲けなければ淘汰されるとおびえる六本木の連中とは、人種も、精神も、仕事も、明らかに違います!(新しい店に入る度に「ひどいね↓」という町で働いています)
駅前のアーケード街「サンロード」沿いの、四軒寺(しけんでら:4軒の寺が集まる寺町)はいまも健在。
と言うか、繁華街は寺の借地で吉祥寺の大地主とは驚きました(右はサンロードに面した月窓寺)。
吉祥寺と言えば「ホープ軒」という世代で、タイミングよく空席があり入りました。「ギトギト系」の印象(で敬遠気味)も、ルーツはあっさり目でおいしゅうございました。
閉店後のアーケード入口に出店するおでん屋台に、わざわざ飲みにいったこと思い出しました。言い出しっぺの職場の先輩も『俺たちの旅』かぶれだったようです……
学生時代、成蹊学園のけやき並木付近(右)にある先輩のアパートで、8mm映画の撮影をしたことを思い出しますが、1度で霧散するようなガキの戯れでした……(無念)
マイナー映画の拠点、吉祥寺バウスシアター閉鎖(2014年)を目にしますが、かつて武蔵野の希望を喚起した「伊勢丹:1971〜2010年」「近鉄(東京近鉄百貨店):1974〜2001年」閉店は、地域に暗い影を落としたことでしょう。
ですが現在、東急裏に若者向けブランドショップが軒を連ね、若者の町への転身という希望が感じられます。
京王の駅ビル改築(2014年開業)に伴い、駅の横断通路が真っすぐに広くなり便利になりましたし、パァーッと明るい印象を受けました!(これが一番驚いた)
2013年、イギリス王室ウィリアム王子夫妻の長男が「ジョージ」と命名され、中原理恵『懐かしのジョージタウン(YouTube):1980年』が注目されたらしいが、地元では「ジョージタウンなんて聞いたことない!」の声が多かったそう。
改めて聞いてみると、70〜80年代にこの地で青春期を過ごした者には響く歌詞なので、タイトルとしました。
そんなことを一度まとめておきたかった、吉祥寺です。
追記──第91回箱根駅伝 復路 2015.01.03(右)
青山学院がぶっちぎりのため、待てどやってこない後続ランナーに「来るんだよね?」の声も聞こえるような、応援に力を入れにくいレース展開でした……
青山学院の選手たちは見事でした!
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